成し遂げられたこと
小雨が静かに降り続く、六月の初め。
その日の講義が昼からのみだった颯太は、午前中から蒼依の家を訪ねていた。
リビングのソファーに並んで蒼依と座り、タブレットで颯太の撮った写真を見ていた。
「アオ、颯太くん。コーヒーのお代わり淹れようか?」
テーブルの上に置かれたカップの中身がほぼ空になっていることに気付いた蒼依の母の景子に、声を掛けられた。
「うん。お願い、お母さん」
「俺もお願いします」
二人の返事を聞いて、景子は笑顔で頷いて空いたカップを手にキッチンスペースへと向かった。
それからすぐに、リビングにもコーヒーの香りが漂いだしてきた。
しばらくしてコーヒーが入った三人分のコーヒーが載ったトレイを手に、景子が戻ってきた。
「コーヒーありがとうございます。よかったらソファーに座ります? 俺が床に座りますので」
「いいの? じゃあ、お言葉に甘えて」
ニコニコしながら景子は、ソファーの近くのテーブルにトレイごとコーヒーを置いて蒼依の隣に腰を下ろした。
蒼依はどこか不満げな表情を浮かべていた。
「ごめんね、アオ。お邪魔しちゃったかな?」
「別にいいよ。何か颯太と話したいことあったんでしょ?」
「あら、よく分かったわね」
景子はくすくすと小さく笑いながら、蒼依に肩を寄せて、まわした腕で頭を優しく撫でた。
かまい過ぎて不機嫌になるといけないからと、すぐに蒼依を撫でるのを止め、景子は颯太に目を向けると、先ほどのやり取りを聞いて姿勢を正していた。その真面目過ぎる娘の彼氏の態度に、くすりと笑みがこぼれた。
「颯太くん、そんなにかまえなくていいのよ。ただ、いつもあなたの写真を楽しみに見てるって、伝えたかっただけだから」
「えっと、たぶんSNSの方ですよね? ありがとうございます」
颯太はホッと息を吐き出して、安心したような笑みを浮かべた。
「私も毎日見てるもん。昨日の写真も見たし」
「ありがとう、蒼依。蒼依からしてみたら、SNSの写真は見たことある写真ばかりじゃない?」
颯太は『to blue』というアカウント名の写真投稿用のアカウントを作った。
アカウントは毎日更新されていて、そこに投稿されている写真は、基本的に去年の同じ時期に撮った写真と、投稿日の前日に撮った写真だった。
また颯太は蒼依が目覚めた後も、毎日のようにその日撮った写真を送り続けていた。
なので投稿している写真は、必然的に蒼依も目にしている写真ばかりだった。
「いや、そうでもないよ。たまに見たことがないようなものも混じってるし。てか、なんで颯太の方が分かってないの?」
「アオが詳しすぎるだけじゃない? ヒマがあったら、ずっと写真見てるじゃない」
「お母さん!!」
「本当のことでしょ。私も最近は颯太くんの写真を見るのが日課になりつつあるのよね。実はお父さんにもアカウント教えたのよね」
蒼依が焦ったような表情をしている横で、景子はにこやかな笑みを颯太に向けた。
颯太は蒼依の父も見ているということを突然聞かされ、困惑を隠せない愛想笑いを浮かべるしかなかった。
「それにしても、蒼依はすごいね」
「なにが?」
「写真のこと。自分でいいと思った写真はだいたい全部蒼依に見せてるから、投稿してるやつは見せたことあるやつばかりだと思ってた。まあ、SNSに投稿する写真を選んでるのは俺だけじゃないから、蒼依に見せてない写真があってもおかしくない、かもだけどさ」
「どういうこと?」
蒼依が不思議そうな顔で颯太を見つめる。その隣で景子も同じような表情をしていた。
『to blue』に投稿する写真を颯太が選んでないものもあると言うのだから、当然の反応だった。
「俺が写真事務所でバイトしてるのは知ってるよね? そこの人が、アカウントを作るとこからその管理まで手伝ってくれてるんだよ。どの写真をどういう順番で投稿するか考えてくれたり、投稿しても問題ない写真かチェックもしてくれてる。もちろん投稿している写真は全部俺が撮っているものだし、自分で編集してるやつだよ。それに全部任せてるわけじゃなくて、どうしても投稿したい写真は投稿してもらっているし、投稿する前の写真は自分でチェックもしてるんだけどね」
『to blue』の実質の管理者は、長谷写真事務所の広報をしている清水といっても過言ではなかった。
颯太は写真のデータを清水と共有しており、蒼依に送っていなかったり見せてなかったけれど、清水がいい写真だと感じて、ピックアップしたものが投稿されていることもありえることだった。
それを颯太が投稿前の確認であらためて見るといい写真だと自分でも思い、蒼依にもきっと見せているはずだと思い込んでしまっていた。
また『to blue』に投稿された写真の中には、颯太が絶対に投稿したいと希望した写真はいくつかあった。例えば、最初の投稿の蒼依が写っている写真は颯太の強い希望があったからだった。
「そうだったんだ。全部、颯太がやってるのだと思ってた」
「そうできれば本当はよかったんだろうけど、自分の写真にのせて蒼依をたくさんの人に見てもらおうって思ったら、気負いすぎてすぐにパンクしてたかも」
「私はついででよかったんだけどな。颯太の写真をたくさんの人に見てもらいたいと思ってただけなんだし」
颯太と蒼依は顔を見合わせ、耳や頬を赤く染めながら、照れ笑いを浮かべ合った。
「まあ、人の手を借りてるとしても、毎日写真を撮ったりしてるのは颯太くんなんだし、がんばってるのもすごいことにも変わりはないよね」
「私もそう思う。きっと颯太の写真がいいから、フォロワーも日に日に多くなってるんだと思う。自分のアカウントじゃないのに、フォロワー増えてると嬉しくなるし、付いてるコメントを読むのも楽しんだよね。この人はこう感じたのか、とか、一言“いい”だけでもめっちゃ分かるってなる」
蒼依と景子の真っ直ぐな称賛が、颯太には少し痛かった。
いま『to blue』のフォロワーは、三桁をゆうに超している。
それだけの人が颯太の写真を見て、中には拡散してくれる人もいる。
そのことは純粋に嬉しいのだけれど、フォロワーが増えだした要因を颯太は知っていた。
「フォロワー数に関しては増えるのは嬉しいんだけどさ、そこはバイト先の人たちや行哉に感謝しかないんだよ」
「バイト先の人は分かるけど、なんで中原くん?」
「バイト先の人たちと行哉が実質火付け役みたいなものだからだよ。みんな、俺の写真ありきだって言ってくれてるけど」
『to blue』に写真を投稿しはじめて、最初に拡散をしたのは、長谷写真事務所の面々だった。
それぞれが個人のアカウントで、颯太の写真を認めたうえでアカウントをフォローし、自分を中心にすでに醸成されている写真に興味がある人のコミュニティーに『to blue』を宣伝した。
そこでまず一気に広がっていった。
アカウントができてすぐには、行哉はあえてフォローしていなかった。
それはわずかでも自分から、颯太に繋がるリスクを避けるためで、あたかも最初の盛り上がりで知ったというタイミングでアカウントをフォローし、様々なところに拡散していった。
例えば、フォロワーの多い美容師をやっている行哉の姉、行哉がバイト先で知り合った藤田亜矢をはじめとするモデルやスタッフたちに、いいと思ったら拡散して欲しいとお願いしていた。
だいたいの人は、二つ返事で行哉のお願いを聞いてくれる。
それに『to blue』というアカウントは、フォローしてもいいと思える写真を毎日投稿していて、それ以外の余計な投稿や主張をしていないので気軽にフォローしやすく、人に勧めやすくもあった。
そこまでいけば、写真に興味がある人ならば、すぐに『to blue』を自然に目にすることになる。
その証拠に颯太と行哉のもとに、去年の夏に合同写真展を開催した他大学の写真部の知り合いから、
『まだできたばかりのアカウントなんだけど、『to blue』っていう京都拠点のフォトグラファー、おススメだよ』
『宮岡の写真の雰囲気に似ている気がするんだけど、まさか本人じゃないよな?』
といったメッセージが、グループにも個人にも送られてきていた。
颯太はそれには、当初の予定通り知らぬ存ぜぬを貫き通していた。
そういう経緯もあり、どこまで素直に喜んでいいのか分からずにいた。
「でもさ、颯太の写真がよくなかったら、どんなに宣伝されたり、勧められてもフォローしないし、スルーするでしょ。それにさ颯太は周りの力だって思ってるけど、颯太の写真にひたむきで真面目なところを知っている人からしたら、みんな颯太の力になりたいんだよ。私もできることがあるなら協力したいもん」
「アオはすでに協力してるじゃない、モデルとして。もう何枚か蒼依の写る写真投稿されてたし」
「あっ、そっか。颯太に写真撮られてるだけでも、私は力になれてるんだ」
蒼依は嬉しそうに口角を上げながら、颯太を見つめる。
颯太もつられるように、自然と口元に笑みが浮かぶ。
「うん。蒼依には本当に助けられてる。蒼依を撮ってるときがいま一番楽しいし、いい写真が撮れてると思うんだよね。それにそもそも蒼依が言わなかったら、アカウント自体なかったわけだしね」
「そっか。でも、私はきっかけだけだよ。全部、颯太と颯太の写真に魅力があって、成し遂げられたことなんだから、もっと胸を張っていいんじゃないかな」
颯太は、胸の奥に引っかかっていたものが取れて、心が軽くなった気がした。
蒼依の言葉があるから、自分を信じられる。
自分が進んでいる路が間違ってないと思うことができる。
「ありがとう、蒼依。何かお礼したいな」
「お礼なんていいよ。でも、そうだな……またデートしよ?」
「もちろん。で、今度はどこに行く?」
蒼依が悩む姿を颯太は愛しさを感じながら見つめ、そんな若く青いカップルを景子は優しい笑みを浮かべながら見つめていた。
「ねえ、アオ。ホタル観賞はどう? そろそろ上賀茂神社で見れる頃じゃない?」
「それ、すごいいい! ありがとう、お母さん!」
「いいえ。じゃあ、ホタル見に行く日は浴衣着る? 颯太くんもアオの浴衣姿見たいと思うんだけど」
「どうかな、颯太?」
蒼依と景子の期待のこもった視線を向けられる。
颯太の答えは決まっていた。
「うん。蒼依の浴衣姿見たい。あと写真にも撮りたい」
「颯太は相変わらずだなあ。じゃあ、とにかく決まりだね」
蒼依は目を細めて、くしゃっと幸せそうに笑った。
その瞬間をカメラに収めることができなかったことを颯太は少し悔やんだが、写真に残さずとも忘れることはないと思えた。




