『to blue』
京都府立植物園での短いデートを終えた颯太は、蒼依を家まで送ったあとに上賀茂神社からシャトルバスに乗り、写真部のミーティングに出るために大学に戻ってきていた。
ミーティングが行われている教室には、すでに部員が集まっていて、話し声が廊下まで漏れていた。
颯太が目立たないように教室に入ると、
「颯太、こっち!」
めざとく気付いた行哉が呼びかけた。
行哉の後ろ席には、久しぶりにミーティングに顔を出した小和が座っていて、颯太に向けて手を挙げて合図を送っていた。
二人の表情はにやけていて、颯太は嫌な気配を感じたがそれでも二人のもとに行かない理由はなかった。
小和が颯太のために自身の隣の席の椅子を引いて、そこに座るように善意で強制し、颯太はそれに従い、背負っていた鞄を机にそっと下ろしてから椅子に座った。
颯太がひとつ息を吐いていると、痛いほどの視線を二人から感じた。それだけではなく、ただでさえ目立つ行哉が目立つ行動をしたために教室内の視線と注意も集めたが、行哉が颯太に絡むのが日常になっている写真部ではいつものこととして処理され、平穏な喧騒に戻っていった。
「それで小和さんは、今日はなんでミーティングに?」
「中原くんに頼まれてた『梅雨』がテーマの写真のデータを渡しにきたのよ」
「早くないですか? 行哉が頼んだの、一昨日ですよね?」
「昨日、蒼依と“デート”したときにいいのが撮れたのよ」
小和は“デート”の部分を強調していて、次は颯太が話す番だと無言の圧を掛けながら隣から見てきた。
それを言葉にしたのは、蒼依に会ってくると颯太から聞いていた行哉だった。
「颯太は綾崎さんと昼からデートだったんだろ? いい写真は撮れた?」
「撮れたよ。モデルがいいから、自然といい写真になるよね。ただ写真展に出すかはまだ決めてない」
そう答えながら、蒼依といた時間を思い出して、自然と笑みがこぼれた。
今回撮った写真の中には、颯太の中でかなりいいと思える写真がいくつかあったが、去年の蒼依と紫陽花の写真を撮ったときの感覚や手ごたえと比べると納得できていない部分もあった。
「それで、蒼依とどこ行ってきたの?」
「北山にある植物園だよ」
「颯太、よかったら写真見せてくれよ」
「私も見てみたい」
シャトルバスの中でカメラからデータを移していたタブレットを取りだし、それを二人に見えるように机に置いた。それを小和と行哉の二人が覗き込んだ。
タブレットに映し出されたのは、今日撮った写真の数々。
蒼依の家で撮った蒼依と母の景子が楽しそうに話している写真からはじまり、植物園に行くまでの道で撮った傘を差して歩く蒼依を横や後ろからなど角度を変えて撮った写真が続く。
植物園に入ってからは、写真の枚数が多くなった。
平日で雨が降っているせいか、人影がほとんどない噴水のある広大な広場。
街中であることを忘れてしまいそうなほどに緑に囲まれた遊歩道や、手入れが行き届いている花壇。
林道を思わせる道を抜けた先にあった植物園のほぼ中心に位置する青々とした葉を茂らせる大枝垂桜と、それを取り囲むように水辺に咲く紫や白など色とりどりの花菖蒲。
花菖蒲の咲く水辺には木道があったが今は立ち入り禁止だったので、周囲を回遊しながら写真を撮った。
雨の中だからこそ花菖蒲がより瑞々しく見え、水面を叩く雨の波紋やそこにぼんやりと映る花の影。
花菖蒲の近くに屈んで花を見つめる蒼依からは、目が離せなくなり構図を変えながら何度も写真を撮った。
花菖蒲も紫陽花と同様に梅雨の時期しか見られない花のせいか、傘の下で花を見つめる蒼依の表情は憂いを感じさせられた。
「やっぱり蒼依は紫陽花がよく似合うね」
小和はタブレットに映る写真を見ながらしみじみと呟いた。
「本当にね。颯太が撮ってるからってのもあるかもね」
「それ、なんか分かる。蒼依、色んな表情してる」
はなしょうぶ園で花菖蒲を堪能した後、近くにあるあじさい園に立ち寄った。
たくさんの種類の紫陽花が白や紫、赤など色鮮やかな花をつけていた。
そこでもたくさんの写真を撮っていた。
白とピンクのグラデーションが綺麗なロジータを興味深そうに見つめる蒼依の横顔。
差している傘に似た淡い空色のヤマアジサイの前で、おそろいだと笑っている蒼依。
ライムグリーンのアナベルを見て、「真っ白になるころにまた見に来たいね」と未来の約束をして照れ笑いを浮かべている蒼依。
青みがかった紫色のヒメアジサイを見て、「もう少し青みが強かったら子供のころに出会ったときに一緒に見た紫陽花みたいだったのにね」とカメラのレンズの向こうにいる颯太を見つめて、颯太にしか見せない表情で微笑む蒼依。
「なあ、颯太。このどれかを写真展に出してもいいんじゃないか?」
行哉の言うことはもっともだった。
颯太が自分が撮った写真を客観的に見れば、同じような判断をしていた。それこそ去年と同じように、いい写真だからと許可をすぐにでも貰おうとしただろう。
そうしないのは、今は蒼依が颯太の恋人だからだ。
特に紫陽花と一緒に写る蒼依は、他の人にあまり見せたくないと独占欲が邪魔をしていた。
「まだ締め切りには余裕あっただろ? もう少し粘らせてくれないかな?」
ごまかすように口にしながら、タブレットに表示されている蒼依の写真に目をやる。
ヒメアジサイの前で微笑む蒼依の写真が表示されていて、それが今日のデートで撮った最後の一枚だった。
帰り道では写真を撮らなかったからだ。
それはカメラの電池が切れて撮れなかったわけでも、行きにたくさん撮ったから帰りは撮らなかったわけでもない。
蒼依が帰りは相合傘で歩きたいと言ってきたので、そのお願いを聞いて颯太の傘の下で腕を組んで帰ったので撮ることができなかったからだ。
傘の下、至近距離で話ながら歩いた。
植物園で見た花のこと。颯太が今日撮った写真のこと。
そして、颯太が蒼依のために送り続けた写真のこと。
「そういえば、二人にちょっと相談があるんだけど――」
小和と行哉は、颯太に目を向ける。
「二人はさ、写真用のアカウントって持ってる?」
颯太が言い出したことが意外で、小和と行哉は思わず顔を見合わせた。それからあらためて颯太に向き直り、
「私は持ってるよ。ほら、前に写真撮った相手に名刺渡してることあるって言ったでしょ? あれの連絡先はSNSのアカウントだから。そのアカウントで撮った写真も公開してるよ。載せてもいいって許可貰った写真だとか、そういう許可が必要じゃない写真とかね。そういう写真がないとアカウント見て連絡しづらかったりするしね」
「俺は写真用は持ってないな。写真載せたりしてるのは、日常アカだしな。まあ、日常アカと言っても、プライベートな話ほぼゼロの交流用のアカになってるけどな」
それぞれが颯太の質問に答え、「で、それを聞いて何を相談したいんだ、颯太?」と行哉が核心をつく。
「蒼依に言われたんだ。眠っている間に送ってくれた写真をひとり占めするのはもったいない、俺の写真をもっとたくさんの人に見てもらいたい、って」
「それで写真用アカウントってことね。颯太って、そもそもSNSのアカ持ってるの?」
「見る専で持ってるくらいかな。だから、去年の夏の合同の写真展やったときに、他大学の人や見に来てくれた人に、SNSのアカウント教えてくれって言われて困ったんだよね」
そのときの申し訳ない気持ちが思い出される。
それでも写真用のアカウントを作らなかったのは、蒼依に写真を送り続ける日々のなかでアカウントを運用していく余裕がなく、写真を仕事にするつもりがなかったので自身の写真を広く誰かに見せるということに必要性を感じていなかったからだった。
「颯太くんなら、普通に写真を投稿し続けるだけでもいいと思うけどね」
「俺もそう思う。それに、無理にコメントに返信する必要も交流しようともしなくていいと思うんだよな。いっそのこと、正体不明のフォトグラファーとして、淡々と写真だけをあげるのが颯太には合ってるんじゃね?」
行哉の案に、小和も「ああ、分かる。それいいじゃん」と同調して頷いていた。
「じゃあ、SNSやってますかって、聞かれたらどうしたらいいんだよ?」
「そりゃあ、やってるけど本名ではやってないので教えられません、って素直に謝っとけ。もしくは意味深に、探してみてください、ってめんどくさい返事でもしてろよ」
行哉の投げやりな返しに、小和は隣でケラケラと笑い声をあげる。
「なあ、颯太。俺らに聞くよりもっと適任がいるんじゃね?」
「誰?」
「颯太のバイト先だよ。写真扱ってるプロだし、広報としてSNSの運用もしてるだろ? その担当の人に相談してみるのが一番確実だと思うぞ。そのうえで、できる協力があるならする」
行哉は真面目な表情で颯太の肩に手を置いて口にした。
さっきまで笑っていた小和も、表情を引き締め直して頷いていた。
「ありがとう。また何かあったら相談する」
颯太は心の底から、頼れる友人たちに感謝した。
*
数日後――。
颯太は写真用のアカウントを開設した。
性別も年齢も個人に繋がる情報は一切書かず、ただ京都を中心に活動しているフォトグラファーとして、自己紹介代わりに京都の四季の写真を数枚と、庭に咲く紫陽花の見える縁側で雨の降る空を見上げているように見える蒼依の後姿を撮った写真を投稿した。
アカウントの名前は、『to blue』。
“蒼依に”見せるために撮った写真を、世界に発信する場所――。




