傘の花
小和の前で蒼依と颯太は、同じ傘の下で話していた。
しばらくすると二人は小和に近づいてきた。
「それじゃあ、蒼依。小和さんとのデートの続き、楽しんでね」
「ありがとう、颯太。てか、私が他の人とデートしてて気にならないの?」
「気にはなるけど、相手が小和さんだからね」
颯太は苦笑いを浮かべ、その様子を蒼依は楽しんでいるようで肩を揺らして笑っていた。
小和は、二人はどこか似ていると感じていた。
それは、纏っている空気感か、感性か、芯の強さか。
とにかく、二人はお似合いなのだ。
「そろそろ俺は講義に行くわ。行哉に席取ってもらってるから、あんまり遅いと文句言われそうだし。小和さんも楽しんでね」
颯太は小和に視線を向けて、微笑みかける。
それに小和は、「うん、ありがと」と頷きながら笑みを返した。
蒼依と小和に見送られながら、颯太は来た道を小走りで戻っていった。颯太が見えなくなるまで蒼依はずっと颯太の姿を目で追いかけていた。
それは小和も同じだった。
颯太が見えなくなると、蒼依は小和の隣に座った。
蒼依の口角は上がったままで表情が緩みきっていて、わかりやすく上機嫌で浮かれているようだった。
「颯太くんと傘の中で、なに話してたの?」
「特別なことは話してないよ。大学で何してたのって聞かれたから答えたり、私が今日の服どうかなとか、大学生っぽく見えるかなって聞いてみたり。あとは――」
「あとは、なに?」
「俺ともデートして、って。それで明日は講義が昼までで、夕方まで時間あるからどこか行こうって」
自分で尋ねておきながら、小和はまるで自傷行為をしているようだと心の中で自嘲した。
そういう感情を顔にも態度にも出さないように、「よかったね、蒼依」と友人としての満点の言葉を本心から口にした。
「ありがとう、小和ちゃん。で、私たちはこれからどうする?」
小和は空を見上げ、雨が止みそうにない黒い雲を見つめる。
「どうしようか? 元々はお昼を一緒に食べて、どこかでゆっくり話ができたらって予定だったもんね」
「だね。で、昨日小和ちゃんがケーキ買ってきたお店が、イートインもできるから行くのもいいかもね、って感じだったよね」
「そうそう。でも、まだスイーツを食べに行くには早いよね」
二人は顔を見合わせて、笑みをこぼしあう。
「それじゃあ、お腹空かせるために散歩でもする?」
「いいよ。そのついでに写真撮ってもいい?」
「私を撮るの?」
「蒼依のことも撮るかもね。でも、メインは私がいつも撮っているような写真かな。写真部の定例の写真展になにか出してくれないかって、中原くんに頼まれてるのよね」
「そうなんだ。それなら、小和ちゃんが写真撮ってるところ見てみたいな」
「いいけどさ、よかったら蒼依も一緒に写真撮りながら散歩しようよ」
「うん。写真撮ってる小和ちゃんばかり撮りそうだけど」
「それでもいいよ。少し恥ずかしいけど」
小和は照れ笑いを浮かべながら、ベンチから立ち上がり、鞄の中から折り畳み傘を取り出した。
「蒼依は傘持ってきてる?」
「もちろん。私も折り畳み持ってきてる」
蒼依も鞄の中から折り畳み傘を取り出して、小和に見せる。
「じゃあ、とりあえず上賀茂神社に戻ろうか。そのあとは私がよく写真撮り歩いてる西賀茂を歩くでいいかな? 目的の洋菓子店もあるしさ」
小和の提案に蒼依は深く頷いてみせる。
それから折り畳み傘を差して、二人は並んで歩き始めた。
話題はこれから向かう洋菓子店で何を食べたいか、どんなスイーツが好きかという甘い話だった。
*
「それでこれが昨日、私が撮った写真」
蒼依は昨日のことを家の縁側に颯太と並んで座り、撮った写真を見せながら話した。
大学の学食から見えた遠くの山まで見える景色とそこで食べた料理。
小和と散歩をしながら撮った、小和が写真を撮っている姿や、雨の中で鮮やかな黄色の花をつけているキンシバイ、真っ直ぐに伸びた背の高い茎に白やピンクの花をつけるタチアオイ。
二人分のケーキと紅茶がテーブルに並んでいる写真。
「どれも蒼依って感じがして、いい写真だね」
写真に写る蒼依の“好き”を見て、颯太は楽しそうに笑みを浮かべていた。
「特にさ、花の写真なんて、蒼依が普段こういうところを見てるんだって知れて面白いね」
「私も颯太の写真見ながら、いつも同じこと思ってるよ」
颯太は照れたように笑い、ふいに顔をそむけて、昨日から雨が降り続けている空を見上げた。
丸見えになった颯太の耳には赤みが差していて、蒼依は愛おしさを感じた。
「ねえ、颯太。今日のデートはどこ行くの?」
「予定までは考えてなかった。蒼依といたかったのと、小和さんが羨ましくて、とっさに誘ったからね」
今度は蒼依が照れてしまい、颯太の横顔を直視できなかった。
だから座り直して、颯太と同じように雨が落ちてくる空を見上げた。
「私は颯太と一緒ならなんでもいいよ。このまま家でのんびりでも」
「うん、俺も。でも、どこか出かけたいよね。だけど、蒼依は昨日小和さんといっぱい歩いてるし、俺は小和さんみたいに蒼依が喜びそうなお店を知らないし、夕方には大学に戻らないといけないから時間も限られてるしで、どうしよっかなって」
「颯太と散歩するだけでもいいけど……」
二人して、どうしよっかと悩みながら、雨の音を聞いた。
そうやって何もしてない時間も、一緒にいられる喜びを感じていた。
蒼依が何も言わずに、颯太の手に自分の手を重ねた。颯太が蒼依の手を握ると、蒼依は颯太の指の間に自身の指を滑り込ませる。
颯太が少し驚いた表情で蒼依を見つめると蒼依がニコッと笑みを浮かべ、颯太も笑みを返して優しく蒼依の手を握った。
それだけで幸せを共有できた。
「そうだ。颯太と行きたいところ思いついた」
「どこ?」
「植物園。子供のころからよく行ってたんだよね」
「植物園って、北山の? そういえば、行ったことがなかったな」
「そうなの? 季節の植物や珍しい植物もあって、写真撮るにはいい感じだと思うけど」
「そうなんだけど、行くきっかけなかったんだよね。季節の花を撮ろうと思ったら、色々と歩いてたらけっこう見つかるんだよ。蒼依の家の紫陽花だったり、さっき蒼依が見せてくれた写真の花みたいにさ。それに花を撮ろうと思ったら、太田神社のカキツバタみたいな有名な場所を下調べして撮りに行ってたし、そもそも俺は花をメインに撮ってたわけじゃないから、植物園は完全に見落としてた」
颯太の言い訳を聞きながら、颯太が元々空が好きで空の写真をよく撮っていた人だということを蒼依は思い出していた。
「だから、よかったら蒼依が案内してよ」
「もちろん。今の時期だとベタにいくなら紫陽花だよね。でも、紫陽花以外の方がいいのかな」
楽しそうな表情で、蒼依は悩ましげな声をあげる。
その横顔を颯太は見つめながら写真を撮ろうと、鞄の中からカメラを取り出していると、
「ねえ、お母さん。植物園って、いま何が見ごろかな?」
蒼依が家の中に振り返り、ソファーに座ってスマホを見ながらぼんやりしていた景子に声を掛けた。
急に声を掛けられて景子は驚きつつも、スマホを手にしたまま蒼依のそばに寄ってきて隣に腰を下ろした。
「植物園に行くの? アオ、年パス持ってたくらい好きだったもんね」
「いまはその話はいいの。で、紫陽花以外で見ごろの花、何かなって。お母さんもよく一緒に行ってたし、私より詳しいじゃん」
景子は小さくため息をついて、持っていたスマホに京都府立植物園のホームページを表示させ、花ごよみを蒼依と一緒に確認する。
「紫陽花以外だと、バラかハナショウブみたいね。温室に月下美人もあるけど、咲いてるかは行ってみないと分からないし。見ごろを気にせずに、見て回るだけでも楽しいと思うけど」
「そうだけど、せっかくなら綺麗に咲いてる花を見たいじゃん」
それから、バラ園は晴れた日のほうがいいんじゃないかとか、ハナショウブは一緒にハスの花も見れるかも、と蒼依と景子は颯太を置いてけぼりで盛り上がりはじめた。
そんな親子の姿を、颯太はそっと写真に収めた。
シャッター音に反応して、蒼依が顔を上げた。
「悩んでる時間がもったいないね。とにかく行ってみよ、颯太」
「そうだね。それに今日見れなかったところは、また別の日に一緒に行けばいいだけだしね」
また次があるというのが、今の蒼依にはとても嬉しいことだった。
「それもそうだね。じゃあ、お母さん。私たち出掛けてくるね。夕方には帰ってくるから」
「分かったわ。行ってらっしゃい。颯太くん、アオのことよろしくね」
颯太が頷いて見せると、景子は優しい笑みを二人に向けた。
庭を回って先に玄関の外で待っていた颯太のもとに、玄関を開けて蒼依が出てきた。
「写真撮るなら、一緒の傘に入らない方がいいよね?」
「その方が助かるかな。じゃないと、蒼依を撮るたびに傘から出ることになって、雨に濡れちゃうからね」
「そう言って、傘を差してる私を撮りたいだけじゃないの?」
「それもある」
颯太が素直に頷くと、蒼依は楽しそうにケラケラと笑い声をあげた。
そして、玄関の傘たてからライトブルーの傘を手に取った。
それは紫陽花と蒼依の写真を撮ったときに差していた、二人にとっては思い出深い傘だった。
ライトブルーと大きめの黒の傘の花が並んで咲き、その下では会話と笑顔の花が咲いた。
それは装飾花に隠れるように真花が咲いている、紫陽花のようだった。




