表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君は梅雨に咲く  作者: たれねこ
第3章 君と過ごす二度目の梅雨

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/43

目覚め

 蕾が花開くように、綾崎あやさき蒼依あおいはゆっくりと目を開けた。

 窓から入る日の光で明るい無機質な白い天井が目に入り、視線を横にずらすとスタンドに吊るされた点滴があった。

 こうして目覚めるのは、今回で四度目。

 ナースコールを押すと、すぐに数人の看護師と医師が個室の病室に入ってきた。

 血圧を測ったり、目に光を当てて対光反射を見たり、その他にもいくつかの検査を受けた。


「うん。今年も無事、ちゃんと目覚めることができたみたいだね。身体にこちらが把握している以外の異常は出ていないみたいだね」


 検査結果を確認しながら、蒼依を担当している男性医師がそう所見を告げた。


「そうですか。それでいつ退院できますか?」

「最低でも一週間くらいは、様子を見てからでないと難しいかな。綾崎さんの症例は他にないから、小さな変化も見逃せないからね」


 そう言われるだろうことは、聞く前から分かっていた。

 今までも目覚めてから脳波の検査をはじめ、身体の隅々まで検査を受け、経過を確認してからでないと退院の許可は下りなかった。


「そうですよね」

「できるだけ早く退院できるようにはするから。目が覚めたばかりだから安静にね。大変だと思うけど、明日から検査をするからよろしくね」


 医師は蒼依を安心させるように笑みを浮かべ、看護師に「あとをお願いします」と言い残して病室を出ていった。

 残された女性看護師は、ナースカートに載せたノートパソコンで作業をする手を止めないまま、


「綾崎さん、お母さんに連絡したらすぐにいらっしゃったから、今ロビーで待ってもらってるんだけど、病室に来てもらう? それとも綾崎さんがロビーに行く?」


 そう蒼依に尋ねてきた。蒼依は少しだけ考え、「私がロビーに行きます」と答えると、看護師はベッドから下りようとする蒼依のために、ベッドの下に置かれていた蒼依のクロックスを履きやすい場所に出してくれ、そのまま蒼依に何かあったときのために補助できるように身構えた。

 そんな気遣いや心配をもろともせずに、蒼依はベッドから足を下ろし、クロックスに足を入れ、すくっと立ち上がった。

 そのまま看護師と並んで病室を出て、母の景子けいこが待つロビーへと歩いた。


「本当に不思議よね。長く寝たきりだと普通は筋力が落ちて、歩くことも立つことも難しいはずなのに」

「身体のだるさは少しありますよ。あと、伸びた前髪が少し邪魔かも」

「髪は退院してから切りに行ってったっけ?」

「去年は院内の美容室で少しだけ切ってもらって、退院してからあらためて美容院に行ったんだったかな。あっ、このあと切りにいってもいいですか?」

「先生に聞いておくわ。分かったらすぐに伝えたほうがいい?」

「はい。できるだけ早くお願いします」

「分かった」


 そのままナースステーションまで一緒に歩いて看護師と別れた蒼依は、ロビーで待つ景子の元へと向かった。

 ロビーに入ると、窓際の椅子に腰かけ窓の外をぼんやりと眺めている景子の姿があった。

 心配と迷惑をかけている自覚から、蒼依の足は途端に重たくなった。

 そんな蒼依に気付いて、景子は立ち上がり、最初はゆっくりとした足取りで、次第に早足になり蒼依の元へと寄って行き、何も言わずに抱きしめた。

 力強い抱擁に蒼依は照れくさくなりながらも腕を回して、景子の想いを受け止めた。


「お母さん、少し恥ずかしい」


 しばらくは抱きしめられていたが、蒼依が耐えかねて景子の背中をぽんぽんと叩きながら言うと、景子はゆっくりと身体を離して、蒼依の顔をまじまじと見つめる。

 そのまま優しく頬に触れ、肩に手を置いた。


「おはよう、アオ。そろそろ起きるころかなって思ってたのよ」

「そうなの? どうして分かるの?」

「庭の紫陽花が、花をつけだしていたのよ」


 蒼依はなるほど、と納得した。

 それから窓際の椅子に並んで座り、蒼依は窓の外を見つめた。晴れてはいるけれど、遠くの方には黒く厚い雲が見えた。

 もう少ししたら雨が降るのだろうと、蒼依は感覚的に分かった。

 そんなことを考えていないと、胸の内にある不安に飲み込まれそうになっていた。


 どうしても考えてしまう、去年の梅雨に出会った人のこと。

 いまどうしているだろうかとか、自分のことを覚えているだろうかとか――。

 約十ヶ月もの間、連絡もなにもできなかったのだから、繋がりというものが失われているかもしれない。

 そうなっていても原因は自分にあるので、相手を責めることはできない。

 蒼依にできるのは、受け入れて諦めることだけ。

 だけど、失いたくない、諦めたくないと強く思っているからこそ、知ることが怖かった。

 答えを知らなければ、もしかしてという自分に都合のいい期待を抱いて夢を見ていられるから。

 しかし、いつまでも現実から目を逸らし続けるということはできず、いつかは向き合わないといけないことだった。


「お母さん……私のスマホ持ってきてる?」


 蒼依の声は少しだけ震えていた。そのことに景子は気付かないふりをして、


「ええ。持ってきてるわ」


 そう返事をしながら、鞄の中から蒼依のスマホを取りだして手渡した。


「ありがとう、お母さん」


 蒼依はひとつ大きく息を吐いて覚悟を決め、電源ボタンを押し込んだ。

 スマホの電源が入り、起動画面からロック画面へと移行した瞬間に通知が表示された。通知件数は上限に達していた。

 混乱した頭のままロック画面を解除して、通知が溜まっているメッセージアプリを開いてみると、去年の梅雨に仲良くなった三人からメッセージが大量に届いていた。

 特に多いのが宮岡みやおか颯太そうたからのもので、おそるおそる送られてきた内容を確認することにした。

 颯太からは毎日、写真とメッセージが送られていた。

 未読の一番古いものから見てみると、すぐに理由が分かった。

 蒼依の目が覚めるまで待っていると、そのことを伝えるためだけに写真を送ってくれていた。

 最初の一枚は、最後に会った日に私が見せてと言った写真部の人たちと撮ったであろう太田神社おおたじんじゃの参道の入り口の鳥居とモミジの写真。

 それともう一枚。家の縁側で撮った蒼依と景子の写真。

 颯太に撮ってもらったときの空気感を、今でもありありと思い出せる。

 湿度の高い空気も遠くの空に見えた雲の切れ間も、景子が写真に映らまいと立ち上がろうとしたところを引き止めて一緒に写ったことも。

 颯太が送ってくれた写真は、颯太が過ごしてきた時間と見ていた世界そのものだった。

 もう見れないと思っていた夏の高い青空や紅葉に染まる北山通きたやまどおり、雪が降る夜、賀茂川かもがわ沿いの満開の桜並木――。

 送られてきた写真を見ながら、スマホの画面にはぽつぽつと涙が落ちた。

 楠見くすみ小和こより中原なかはら行哉ゆきやからも、颯太ほどの数ではないけれど、けっこうな数の写真とメッセージが送られていた。

 小和からは、蒼依が好きだと言った撮られた人も見る人も笑顔になれる温かい写真を中心に送られてきていた。

 蒼依はこぼれる涙を止められないのに、口元には自然と笑みが浮かんでいた。

 行哉からもセンスあふれるかっこいい写真が送られてきていたが、多かったのは颯太や小和を撮った写真だった。

 写真展の準備に真剣な表情で取り組む颯太の横顔や、学祭で小和や颯太が見に来た人に説明をしている姿。それ以外にも日常を切り取ったような写真や、三人で何かをしたりどこかに行ったときに撮ったであろう写真。

 いつも一緒の三人が羨ましくて、同じ時間を共有できないことが寂しかった。

 同時に行哉がそういう写真を送ってくれたのは、蒼依含めてのグループだということ伝えるためで、少しでも日常の姿を見せようとしてくれていたからだと、メッセージにはっきりと書かれていた。

 蒼依にとって三人の中で一番距離を感じていた行哉の優しさに触れ、身内として大事にされているのだと思うと嬉しかった。

 蒼依の涙はいつの間にか止まっていた。


「お母さん……私、颯太に――みんなに会いたい」

「分かった。すぐ来てもらうように連絡しようか?」


 景子の表情はとても穏やかだった。


「今すぐにでも会いたいけど、会えないよ」

「どうして?」

「髪整えたりしたいし、颯太にすっぴんみられるのは嫌だもん」


 景子はつい噴き出し、声を押し殺して笑い始めた。


「笑わないでよ」

「だって、アオがかわいいから」


 笑いの波が収まると、景子は蒼依に向き直る。


「じゃあ、明日アオのメイク道具と、あとは着替え持ってくるわ」

「ありがとう、お母さん」

「いいのよ、アオ。それで他になにかしてほしいことある?」


 蒼依は聞きたいことがあった。それを景子に聞くことはためらわれけれど、他に聞けるような人もいない。


「私が眠っている間にあったことをできるだけ教えて。できれば、颯太やみんなに関わることで」


 蒼依は無茶を言っていることは承知だった。

 景子にとって颯太たちは、蒼依を通じて関わる相手でしかないはずだからだ。


「知ってる範囲でいいなら。アオが知りたいのは、颯太くんのことでしょ? 彼、すごかったのよ。夏にいくつかの大学の写真部が共同でした写真展では中心にいて、ニュースや記事に取り上げられたのよ。それに学祭では、小和さんたちと三人で凝った展示しててね――」

「ちょっとお母さん、ストップ! なんでお母さんがそんなに颯太たちのことに詳しいの?」

「アオの代わりにできるだけ見に行ったからよ。写真展で颯太くんの写真がポストカードになってたから買っておいたけど、アオはいらなかった?」

「いる! 絶対にほしい!」


 景子がまたクスクスと笑い始め、蒼依は不満げに頬を膨らませるけれど、すぐに一緒になって笑い始めた。


「お母さん。もう一回最初から、ゆっくり聞かせて」

「ええ、もちろん」


 それから時間をかけて、景子が見てきた颯太たちの姿を蒼依に話して聞かせた。

 蒼依はそれを聞きながら、大切な人たちへの想いを強くしていた。

 そして、蒼依は隠していたことを打ち明けようと心に決めた――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ