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君は梅雨に咲く  作者: たれねこ
第1章 君と出会った最初の梅雨

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赤い紫陽花の前に立つ女性

 写真部の部室を追い出された颯太は、小和に言われた通りに写真を撮りに行くことにした。


 颯太に課せられている写真展のテーマは『梅雨』。

 そう決まったときに、部長である小和になんとか別のテーマに変えてくれるよう頼みこんだが、首を縦には振ってもらえなかった。

 颯太は風景写真を主に撮っており、そのモチーフのなかで一番多いのは『空』だった。なかでも晴れた空が圧倒的に多かった。

 それは颯太が、空が単純に好きだということが大きな要因だった。

 そのうえで颯太にとって写真とは、その瞬間の美しい景色をそのときの心の動きや衝動と共に切り取る行為だった。

 だからこそ、『空』というモチーフは颯太には最高のものだった。

 空は季節や時間によって、その色合いは違っている。雲は形を常に変えていて、同じ空模様は二度と現れない。

 さらに一緒に写るもので、写真の印象や空気感といったものさえも変わっていく。

 そういう写真を、颯太は好んで撮ってきた。

 颯太にとって『空』は、衝動の原点といえるものだった。

 そんな颯太にとって、梅雨時の空は変わり映えがないので、自然と撮影に対するモチベーションが低くなる時期だった。

 それでも無理に写真を撮れば、先ほど部室の外で撮った写真のように、構図などのおかげで見栄えだけはよく見えるけれど、ただそれだけの中身が一切ない写真ができあがってしまう。

 だから、颯太自身もいい写真だとは欠片も感じていなかったし、小和が写真を却下したのも当然だと思っていた。


 大学からシャトルバスに乗り、上賀茂神社かみがもじんじゃで降りて、カメラ片手に散策した。

 雨で緑の匂いが濃くなっている木々。

 雨に濡れた参道と桜門、そこを傘を差して歩く人。

 境内に流れる小川。


「悪くはないんだよなあ……」


 颯太は撮ったばかりの写真を、カメラのモニターで確認しながら呟いた。

 どれも颯太がいいなと感じ、構図をそれなりに考えて撮っただけあって、雰囲気があってよく見える。

 だけど、雰囲気のよさの大部分は、上賀茂神社というモチーフがいいからだった。

 颯太が撮った写真は、颯太じゃなくても撮ることができると思うほどにありふれていた。

 だから、写真を見返していても心が躍らない。

 撮影しているときに、半ば手癖のように空も画角に収めようとして、梅雨のジメジメとした暗さも画面に写ってしまいそうで、颯太はシャッターを押すことができなかった。同時に、これが晴れた日だったら、もっといい写真になるのに、とここに来た理由を根本から否定することまで考えていた。

 颯太は上賀茂神社の境内を出て、どうしようかと頭を悩ませる。

 賀茂川沿いの道や遊歩道を歩いてみようかと考えるが、そもそも颯太はこの近辺に一人暮らしをしていて、ただでさえ何度も写真撮影を念頭にした散策をしている道なうえに、いま頭を悩ませている『梅雨』の写真を撮るためにもすでに散策した場所だった。

 なので気分を変えて、撮影のための散策でもそれ以外でもほとんど通ることがない住宅街を抜けて北山きたやまの方に向かう道を歩いてみることにした。


 車がすれ違うのがやっとの狭い道幅を、抜け道に使っているであろうタクシーや乗用車、バイクが颯太のすぐ脇を通り抜けていく。

 颯太はそのたびに雨水をねられないように、気を付けなければならなかった。

 そうやって歩きながら、颯太の目にまず留まったのは、築何年か分からない古い建物や長い時間が経過したであろうものだった。

 茶色く変色したトタンの外壁。

 昭和の時代からそこにありそうな長屋。

 経年で黒に近い飴色になっている木製の窓格子のある古い家。

 目に映るものはそういった古いものばかりではなく、現代的で綺麗なものも多くあった。

 電動シャッターの車庫があるタイル調の外壁の家。

 宅配ボックスなども一体化された機能性の高いシャープな門柱もんちゅう

 シンプルなデザインのメゾネットタイプの賃貸アパート。

 どこにでもありそうな住宅街に見えるのに、歴史と現在が混じり合い不思議と調和している場所に感じてしまうのは、ここが京都という場所だからかもしれない。


 そんなどこか不思議な懐かしさすら感じてしまう住宅街を、颯太は辺りを見渡しながら歩いた。

 しかし、梅雨らしさを感じさせるものはなかなか見つからず、写真に収めようにもあまりにも人の生活の色が濃すぎるし、古民家を撮るにしても田舎で育った颯太にとって目新しさというものはそこまで感じなかった。

 結局、ほとんど写真を撮ることなくただ歩き続け、これなら上賀茂神社の方がいい写真が撮れたかもしれないと、わずかな後悔が生まれ始めていた。

 そろそろ引き返そうかなと思った、そのときだった。


 とある家のフェンス沿いに道路に少しはみ出すように咲いた驚くほど真っ赤な紫陽花を、ライトブルーの傘を差した女性が愛でるように触れていた。

 傘からわずかにのぞく切なそうな横顔と、胸元まで伸びたつややかな黒髪。

 伸ばした手は細く色白で、全体的に細身のシルエットも相まってどこかはかなげで。

 降っている雨さえも、その女性と紫陽花を引き立てる舞台装置のようだった。

 ただただ、美しい――。

 それ以外に形容する言葉が思いつかなかった。


 颯太は目と心を奪われ、無意識にシャッターを切っていた。

 カメラ越しに見ているのがもったいないと思うほどに見惚れてしまい、カメラを下ろすと同時に、周囲が突然明るくなった。

 雨で濡れた路面が輝きだし、颯太の目には女性が天からの祝福を受けているように映った。

 女性は急に明るくなった空を見上げるので、颯太もつられるように空を見上げた。

 雨は今にも止みそうなほど弱まっていて、薄くなった雨雲とその雲間の向こう側には夕焼けのオレンジが混じっていた。

 空が夕焼けに染まっていく様子を、颯太は写真に収めた。

 それからふと視線を戻すと、先ほどまでいたはずの女性の姿はなくなっていた。

 本当に実在していたのか不安に駆られ、颯太はカメラのモニターに、女性を撮った写真を表示させた。


「よかった……ちゃんと撮れてる」


 ホッと安堵すると同時に、そのまま自分で撮った写真をまじまじと見つめる。

 構図にこだわる間もなく撮った一枚だったけれど、自分の中で最高の写真が撮れたという実感と手ごたえを感じていた。

 そんな高揚感をいまは胸の奥にしまい込み、女性が立っていた場所に颯太も同じように立ってみた。

 ここに咲いている紫陽花は、どことなく大きく感じた。それが道路沿いに咲き乱れているのだから通行人の目に楽しいに決まっている。

 女性と同じように一番近くにある紫陽花に手を伸ばして、そっと触れる。


「この紫陽花も綺麗だよな――」


 そうこぼすように呟いて、颯太は雨が上がった道路にしゃがみ、カメラを構えた。

 梅雨の雨雲が残る夕焼け空を背景に、雨水がしたたる真っ赤な紫陽花を撮影した。


「これもいいな」


 立て続けに自分でも納得がいく写真が撮れた充実感を感じながら、颯太はもう一度周囲を見回した。

 やはりどこにも女性の姿も、気配もなかった。

 どこか後ろ髪を引かれるような思いのまま、颯太は大学に戻ることにした――。

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