雨と写真
「――――颯太! おい、颯太。起きろって!」
宮岡颯太が目を覚ますと目の前には、お世辞にも綺麗とは言えない雑然としている写真部の部室が広がっていた。
寝ぼけ眼のまま、部室の窓に目を向けると、梅雨の雲に覆われた薄暗い空から雨が降り続いていて、窓を叩いていた。
「目、覚めたか? 颯太」
身体を起こし、あくび混じりの伸びをしながら声の主へと目を向けると、派手な明るいアッシュブロンドの髪と切れ長の涼しげな目が特徴的な整った顔をしている中原行哉が嫌でも目に入った。
「なんだ、行哉か」
「なんだ、じゃねーよ。ミーティングの前にわざわざ起こしに来てやったんだろうが」
颯太は、先ほどまで突っ伏していた机に置いていた自分のスマホを手に取り時間を確認すると、四時間目の講義の真っただ中でちょうど折り返した頃合だった。
写真部のミーティングは週に二回、講義で使われていない教室で四時間目の講義が終わった後に開かれていた。
ミーティングが終われば、部室に移動したり、そのまま写真を撮りに行ったりと各々が好きに時間を過ごしていた。
ミーティング終わり以外では部員があまり寄り付くことがない部室は、部の空気にあまり馴染めていない颯太にとっては、空きコマなどの暇な時間に入り浸るには、都合がよく居心地のいい場所だった。
そこで颯太は、部室に保管されている写真を見たり、自分の撮った写真の編集をしたり、先ほどのようにうたた寝をすることもあった。
「それはわざわざありがと。でもさ、ミーティングなんて、出ても出なくてもそんなに変わらないし、どうせここに集まってくるんだし、それまでもう少しのんびりするよ」
颯太はそう言いながら、自分の鞄の中に入っているタブレットに手を伸ばした。
「お前な……普段はクソ真面目なのに、こういうときだけなんで不真面目なんだよ。そうなると、俺が楠見さんに怒られそうで困るんだよなあ」
行哉は深いため息をつきながらぼそりと呟くように言うと、颯太はピタリと動きを止めた。
「なんでそこで、小和さんの名前が出てくるんだよ?」
颯太は驚きのあまり顔を上げ、行哉の顔をジッと見つめた。
「お前さ、今度の写真展用の写真、まだ提出してないだろ?」
「えっと……まあ」
「やっぱりな。今日たまたま学内で楠見さんに会ったときに、今日のミーティングにお前を連れてくるようにわざわざ頼まれたんだよ。それも俺が話の途中でどっか行かないように肩を掴みながらな」
それを聞いた颯太は言いようのない緊張感と悪寒を感じていた。
「だからさ、俺もミーティングに出るつもりなかったし、なんなら今日の講義は昼までで大学の外にいたけど、こうしてわざわざお前のことを探しに来てやったんだからな」
「それはまじで助かった。ありがとな、行哉。でもな、そうは言っても納得いく写真が撮れてないのも事実なんだよな」
颯太はタブレットを取りだし、最近撮った写真を確認しはじめた。
写真展は、大学内にあるギャラリースペースで三日間ほど開かれる。それは新入生の興味を引くという意味合いも含まれた、写真部の数少ない活動を見せる場でもあった。
写真展には入部したばかりの新入生も参加することができ、フリーテーマで自分で撮った好きな写真を展示することができるが、二年生以上にはテーマが課せられていた。
そのテーマは、毎年『春~梅雨』というものだった。
事前に『春』『初夏』『梅雨』でグループを分け、どのテーマで写真を撮るか部内で決める。その際、毎年人気があまりないのが締め切りまでの時間的な猶予が短く、画面や雰囲気が暗くなりがちな『梅雨』だった。
颯太は、なかば押し付けられる形で『梅雨』のテーマを割り振られていた。
「やっぱり、これだって写真ないわ。まあ、小和さんも鬼じゃないし、事情は察してくれると思うんだよ。それにいざとなったら、それなりの写真を撮って許してもらうしか――」
颯太が諦めたようにぼやきながらタブレットから顔をあげると、机を挟んだ向かいの席に座りスマホをいじっていた行哉の顔が強張っていることに気付いた。
行哉の視線の先に颯太も目を向けると同時に、思わず椅子から滑り落ちそうになった。
換気のために開けたままにしていた部室の扉の隙間から、楠見小和がジッと室内を覗き込んでいたのだ。
小和は颯太が気付いたことに気付くと、分かりやすい作り笑顔を顔に貼り付けて部室に入ってきて、後ろ手に扉を閉めた。
逃げ道を塞がれた、颯太と行哉はそう感じた。
「やっぱりここにいた。こんなところで何をしていたのかな?」
笑顔のまま小和は颯太に詰め寄った。颯太は金縛りにあったかのように固まり、言い訳の言葉を発することはおろか、眉ひとつ動かすことができなかった。
「ねえ、颯太くん。写真展用の写真の締め切りって、いつまでだったかな?」
「今週……ですよね?」
颯太は、小和と目を合わすのを避けつつ、行哉に助けを求める視線を送る。
しかし、ここに颯太に救いの手を差し伸ばす人はおらず、いるのは颯太の罪を秤に掛けようとする正義の女神と、それを見守る聴衆だけだった。
「ちゃんと覚えてたんだ。で、今日は何曜日だっけ?」
「き、金曜日です」
「うん、そうだね。ところでさ、颯太くんは写真展用の写真の用意はもちろんできてるよね? 今年入ったばかりの新入生のみんなは出してくれたし、就活の合間を縫って四年生の先輩方も有志で写真だしてくれたんだよね。それでね、時間に余裕がある二年生の颯太くんはどうだったかな?」
小和は答えを聞かずとも知っている問いを、颯太に投げつける。
高い湿度のせいか、それとも焦りや緊張のせいか、颯太は汗が止まらない。
そんな極限状態の中で、颯太は活路を開くかもしれないアイデアをひらめいた。そのひらめきを形にするために、颯太は即座に行動に移し始めた。
鞄の中から高校時代にバイトをして買った愛用の一眼レフカメラを取り出し、レインカバーをつけた。部室の壁にかけてあったレインコートを羽織り、部室から飛び出した。
そのまま写真部の部室などが入っている課外活動棟の外に出て、道の端にできていた水たまりの近くに自身が濡れることを気にすることもなく颯太は横になり、カメラを覗き込んだ。
そこから上賀茂本山の山肌に建ち並ぶ颯太たちの通っている京都上山大学に向けて、シャッターを数度切った。
その一部始終を、課外活動棟の出入り口の屋根の下から行哉と小和は見つめていた。
行哉は笑うのを必死にこらえながら、小和は腕を組んで不機嫌そうな表情を浮かべながら。
そんな二人の元へ、やり遂げたと顔に書いている颯太が戻ってきた。
二人の間を抜け、部室に戻ると脱いだレインコートを雑に壁に掛け直し、自分のタブレットで撮ったばかりの写真の確認をして、そのうちの一枚を小和に見せた。
「小和さん、これなんてどうですか?」
「どうって……これは何?」
「見ての通り、梅雨の雨の中の大学ですよ。水たまりの波紋だとか、水面にわずかに映る道路脇の草花とかいい感じに撮れたと思うんですよ。シャッタースピードも調節したから、雨の筋もイメージ通りに写ってるし、それに――」
颯太の説明を聞きながら、小和は深いため息を吐いていて、行哉は堪えきれなくなりくつくつと笑っていた。
「却下!!」
颯太が全てを言い終える前に、小和によって無慈悲なボツが宣告された。
「ですよね」
「ええ。そういうことで颯太くん。ミーティングには出なくていいから、その代わりに今から写真を撮りに行ってきなさい。ちゃんとした写真を撮ってこれなかったら、私が部長権限で渡してる部室の合鍵は没収だから」
「そんなあんまりだ! 権力の横暴だ!」
「この場で合鍵を渡すように言わないだけ優しいと思わない? ほら、早く行く!」
小和は急かすように、颯太を部室から追い出した。
そして、颯太のスニーカーの音鳴りはゆっくりと部室から離れていった。
「楠見さん、こうなること分かってましたよね? 綺麗な空をメインに写真を撮るのが好きな颯太が『梅雨』を題材にいい写真が撮れないだろうことも、やる気がでないだろうことも」
「そうだね。それに颯太くんは、撮っているときの気分やテンションでクオリティにかなり差が出るから、難しいとは思ってた。だけどね、そんな颯太くんが納得して持ってくる『梅雨』の写真がどんなものか見てみたくない?」
小和はつい数分前から想像もできない、柔らかな笑みを浮かべていた。
「そうっすね。それは俺も見てみたいです」
「だよね。じゃあ、中原くん。私たちは、あの気分屋の写真バカのことはいったん忘れて、少し早いけれどミーティングに行きましょうか」
小和は部室の戸締りをして鍵をかけ、行哉と一緒に梅雨の雨の中、話しながら目的地の教室へと向かって歩き出した。
話題は当たり前のように、颯太のことだった。




