梅雨が明ける
梅雨の雨に混じる蒸し暑さに、夏の気配を感じ始める七月上旬。
「蒼依、そろそろ大学に戻るよ」
颯太はスマホの時間を見て、帰り支度を始めた。
「今日は早いね。まだ来たばっかりなのに」
その日も颯太は、蒼依に会いに来ていた。
三時間目の講義が終わったその足で蒼依の家に来て、まだ一時間くらいしか経っていなかった。
「本当はもっといたいけど、今日は写真部のミーティングがある日だから」
「ああ、だから今日はカメラ違ったんだ」
颯太が、一眼レフカメラをリュックのカメラ収納スペースに入れているところを蒼依は興味深そうに見つめていた。
「うん。それに今日はミーティング終わったら、撮影に行こうって話になってるんだよ」
少し前から一緒に写真を撮りに行きたいと、写真部の後輩数人から颯太は言われていた。
その後輩たちは、写真部の中では楽しみたいグループにいて、以前の颯太なら断っていたかもしれない。しかし、今は断る理由もなく、颯太の写真を通じて写真や撮影により興味を持ってくれたことが単純に嬉しかった。
また自分以外の人がどういうものに興味を持って、どういう写真を撮るのかもっと知りたいと思った。
それが回りまわって、蒼依を楽しませるための写真のヒントになると思ったからだった。
「どこに撮りに行くの?」
「ここの近くだよ。上賀茂神社から社家地区を抜けて、太田神社まで行くつもり。水辺で特徴的な建物があって、神社まで行けば自然もあるし、撮影する人の好みや個性がでそうだなって思ってさ」
「そっか。今日撮った写真も見せてね?」
「それはもちろん」
颯太は話しながらも手は動かしていて、片付け終わると鞄を肩にかけて立ち上がった。
「ねえ、颯太。次はいつ来てくれる? 明日は土曜日だし、来れそう?」
「明日は午前中からバイトなんだ。ごめんね、蒼依」
「そっか。じゃあ、明後日は?」
「明後日もバイト。もしかしたら、しばらくは来るの難しいかも。そろそろ試験始まるし、レポート課題もけっこう出てるんだよ」
颯太はこれからのことを考えて、ため息が出そうになる。
再来週には試験が始まり、そのために勉強をしないといけない。試験がない講義は課題やレポートが出されている。空いた時間にレポートの資料を集めたり、課題を消化しているが、そろそろ本腰を入れ始めないといけないと思っていた。
さらにバイトや撮影もしてとなると、やらなければならないことが山積みで自由な時間がほとんどない。
「試験終わったら夏休みだし、そうなったら今までよりも時間に余裕出来るから、いっぱい来るよ」
「――そっか。わかった」
「うん。じゃあ、また」
「またね、颯太」
二人は手を振って別れた。
颯太はいつものように庭から出て、家の前の道路を上賀茂神社の方に歩いていく。
フェンス越しに見える颯太が差す傘の上部が見えなくなっていく様を、蒼依は縁側からただ見つめていた。
颯太がいなくなると、蒼依の表情から笑みが消え、ゆっくりと空を見上げた。
空には雨雲が広がっているが、雲の層が薄いのか明るさが感じられる。
雨は降っているけれど小降りになっていて、もうすぐ止みそうな気配だった。
「ごめんね、颯太――」
蒼依の呟きは、誰にも届かずに静かな雨音に消えていった。
*
蒼依と別れ、颯太は上賀茂神社からシャトルバスに乗り、大学へと戻ってきた。
時間をスマホで確認すれば、まだ四時間目の講義中でミーティングに向かうにはまだ少し早かった。
そこでキャンパス内にあるコンビニで、飲み物とこれから行く撮影でみんなで軽く食べられるものをとキャンディを買った。
コンビニを出て、傘を広げたところで雨がほとんど降っていないことに気付いた。
いそいそと傘を畳んでいると、「颯太!」とよく知っている声に名前を呼ばれた。声がした方に目を向けると、隣接する建物の脇にある喫煙所にいる行哉が颯太に向けて手を挙げていた。
まだ講義中ということもあり、喫煙所には行哉以外には誰もいなかった。
「よっす、颯太。部室にいたの?」
「いや、ちょっと外に出てて、さっき戻ってきたところ」
颯太がそう答えると、行哉はニヤッと笑みを浮かべた。
「綾崎さんのところだろ?」
「そうだよ」
「やけにあっさり認めるんだな」
「行哉に隠す意味ないしな。で、行哉は?」
颯太から向けられる信頼を嬉しいと思いつつ、からかいがいのないやつだと行哉はひとつ息を吐いた。
「俺はさっきまで、図書館でレポート書いてた」
「なんの?」
「颯太が取ってない般教のやつ。颯太と同じ講義のやつは、颯太に協力してもらうつもりだし、そうじゃないのは自分でがんばらないとなって」
「いや、同じ講義のやつも自分でがんばれよ」
颯太が正論で返すと、二人同時に噴き出した。
「あっ、颯太。写真部のチャットで見たけど、今日、後輩と撮影行くんだろ? あれって、俺も行っていい?」
「もちろん。でもさ、行哉が行くって知ったら、絶対人数増えるよな?」
「じゃあ、何も言わずにしれっと付いていくわ」
「それならいっか。てか行哉がいるだけで心強いわ。俺ひとりだと、ちょっと不安だったんだよ」
颯太は心底ほっとしたように、笑みと息をこぼした。
「颯太はいつも通りで大丈夫だって。ここで話してるノリのままいけばいいよ」
「そうか? でも、何かあったら助けてくれよ?」
行哉はそれに対しては無反応で、颯太はつい隣から「そこは頷くなりしろよ」とジトっとした視線を向ける。
そして、また一緒になって笑い合った。
そうしていると、講義が終わったのか近くの建物から、ぞろぞろと人が出てきた。
その流れが大きくなって混みあう前に、颯太たちは写真部のミーティングが行われる教室へと向かうことにした。
「そういえば、週明けくらいに梅雨明けらしいよ」
「まじで? そろそろすっきりとした青空を撮りたいと思ってたんだ」
颯太は歩きながら、曇り空に向けて腕を伸ばしながら大きく伸びをした。
そんな颯太の隣で行哉は小さく肩を揺らしていた。
「颯太ならそう言うと思ってた。なあ、夏休みになったら、どっか山とかに撮りに行きたくね?」
「それいいな。遠出したりして、色んなところに写真撮りに行きたいな。それでできれば、小和さんと蒼依も誘いたいよな」
「ほんと写真のことになるとフットワーク軽いよな、颯太は」
「そういう行哉も、こういうときに付き合いいいよな」
「まあ、颯太たちといると飽きないからな」
行哉が切れ長の目を細めながら笑みを浮かべると、すれ違う人だけでなく周りにいた人の目も引いていた。
颯太にとっては見慣れた笑顔で、周囲の反応がおかしいとばかりに無反応で、ミーティング後に行く撮影の話題へと変わっていた。
颯太は、梅雨が終わることが待ち遠しく思っていた。
綺麗な『空』を写真に撮ることが好きな颯太が、その本領を思う存分発揮することができる。
目の前に迫る試験は憂鬱でも、その後の夏休みは楽しいことがたくさんあると無邪気に信じていられた。
夏休みになればイベントも増え、それだけバイト先が忙しくなり、写真に触れる時間も長くなる。
それに去年よりも颯太たちは仲良くなっており、今年はそこに蒼依も加わる。
忙しくも楽しい未来しか、想像できなかった。
*
週が明けると、関西地方の梅雨明けが発表された。
そして、颯太たちの前から蒼依が姿を消した――――。




