過去から現在へ
颯太は母に電話をかけた。
仕方がないこととはいえ、スピーカーにして蒼依たちの目の前で会話を全て聞かれながら、親と話さなければいけない。
聞かれて困るようなことは言われないだろうと楽観しつつ、何かあれば即座にスピーカーをやめるか通話を切ればいいだけと考えていた。
「颯くん? どうしたの?」
「母さん? 急にごめん。ちょっと聞きたいことあってさ」
「なに?」
颯太は、どう尋ねたらいいか迷っていた。
手掛かりと言えるのは、自身の曖昧な記憶だけ。それがいつだったのかと聞かれても、聞かれた方も困ってしまうのは目に見えていた。
「颯くん?」
考えすぎてしまったせいか、何も言わない颯太を心配するような声が聞こえてきて、とにかく思いつくところから聞いていこうと決めた。
「ごめん。えっと……俺が小さかったころに京都に行ったことってあった?」
「そんなのあるに決まってるじゃない。父さんの実家があるのは大阪なんだから、帰省したついでに観光がてら何度も行ったじゃない」
「それは覚えてるんだけどさ……そうじゃなくて、梅雨に京都に行ったことってあった?」
「梅雨に? ないと思うわ。帰省するのは、お盆か年末年始だし」
颯太の母はそう答えながら、颯太の意図の読めない質問に「本当になに? 雨に濡れて風邪でも引いた?」と心配した。
「大丈夫、俺は元気だから。もう一回聞くけど、本当に梅雨の時期に、京都に行ったことはない?」
「ないでしょ。だって、ちょっと考えれば分かるでしょ? 颯くんは夏休み前で普通に学校だし、父さんも仕事があるし――そもそも京都は、週末に小旅行だとで気軽に行ける場所でもないでしょ?」
颯太の母は呆れたように話していて、颯太も「やっぱそうだよね」と頷くことしかできなかった。
颯太の実家があるのは、広島県の海沿いの小さな町だった。
京都に行くにしても、車で高速を休まず運転したとしても四時間はかかる。電車と新幹線を乗り継いでも同じくらいの時間が掛かってしまう。
「母さん、京都がどうかした? あっ、電話中か、ごめん」
「いいよ、颯くんだし」
「颯太と話してるのか。それで京都がどうかってのは?」
「颯くんが変なこと聞いてきたのよ。颯くんが小さかったころの梅雨に京都に行ったことがなかったかって」
「梅雨にねえ――」
颯太の父が思い当たることがないか思い出そうとしているのか、「うーん……」という悩ましい間延びした声が聞こえてくる。
それからしばらくして、「あのときじゃないか?」と何か思い出したようだった。
「ほら、まだお義母さんが生きてたころに、京都にお義母さんのお姉さんのお葬式に行ったことがあっただろ?」
「ああ、あったかも。母さんが足を悪くしてたから、車で行くことにしたんだっけ」
「そうそう。あれ、梅雨だったはずだよ。雨が降る夜の高速が怖かったんだよなあ。それに向こうの家の庭に紫陽花が咲いてたの覚えてるよ」
「ああ、そうだった。だから、紫陽花を祭壇に飾ることにしたって話してたのよね」
颯太の両親二人だけで、話がどんどんと進んでいく。それを颯太は聞いていることしかできなかった。
「そういえば、向こうで準備とかしてるときに、途中で颯くんがふらっといなくなったんだよね」
「ああ、そうだった。それで疲れて休ませてもらってた自分が、探しに行ったんだっけ」
「で、帰ってきた颯くんは、ヒマだったから探検してた、って言ってたよね」
「言ってた、言ってた。探検って颯太は言ってたけど、見つけたときは同い年くらいの女の子といて驚いたなあ」
颯太の幼いころのエピソードで盛り上がり始めると、それを聞きながら行哉は声を殺して笑っていて、小和も颯太のことをニヤニヤとした笑みを浮かべながら見つめていた。
女の子といたという話がでたときは、颯太の目の前にいる蒼依の表情がぱあっと明るくなっていた。その顔を見れただけで、颯太は恥辱に耐えてスピーカーのままにしておいてよかったと思えた。
その蒼依の目が颯太の方に向いて、指先でスマホを何度も指差して、その話について深掘りしてと無言の催促をしてくる。
颯太にとっては地雷原に飛び込むようなものだったが、そこが本題なのだから、進ましかなかった。
「父さん、聞こえる?」
「ああ、聞こえるよ」
颯太の母も片手間に話していたのかスピーカーになっているようだった。
颯太は呼びかけたはいいものの、どう聞こうかと考えを巡らせる。
そして、すぐにいい聞き方を思いついた。
葬式というイレギュラーで梅雨に京都に行き、そこで天使のはしごという偶然の気象現象が起こったのなら、覚えているのではないかと思った。
颯太に、“天使のはしご”というものを教えたのは父なのだから。
「そのときに行ったのって、京都のどこらへん?」
「たしか北山のほうだったかな。そうそう、颯太を探して歩いてるときに、小学校と公園が路地を挟んで向かい合ってて、面白いって思ったな。小さい公園だったから、すぐに颯太がいない、ってなったけどね」
その話を聞いて、蒼依は母の景子と顔を見合わせ、頷き合っていた。
その小学校と公園に思い当たることがあるのだろう。
「じゃあさ、その俺を探してるときに、天使のはしごが見えなかった?」
「ああ! そういえば、見えたな。見上げながら、颯太も見てるといいなって思ったの覚えてる。颯太、天使のはしご好きだっただろ? 小学校に上がる前くらいだったかな、あれが天使のはしごだよって教えてからは、毎日のように家の窓から海と空を見ながら、今度はいつ見れる、ってよく聞かれたなあ」
颯太の母も「あった、あった」と笑っていた。
またしても颯太は、幼いころのこととはいえ、恥ずかしい過去を自然な流れで暴露されてしまう。
しかし、ここまで颯太と蒼依の曖昧な記憶と合致すれば、ほぼ確定といってもよかった。
あとはそれを確信に変えるだけ。
「あともう一つだけ。俺を見つけた場所で、青い紫陽花の花を見なかった?」
「紫陽花? ああ、色は覚えてないけれど、門の上にひとつだけ紫陽花の鉢植えを載せてて、変わった飾り方をする家もあるもんだと思ったな」
それで決まりだった。
颯太と蒼依は、お互いの顔を見つめ合い、笑みを浮かべた。
「ありがとう、父さん。母さんも」
「よく分からないけど、どういたしまして」
「颯くん、またいつでも連絡して来てね」
「うん。また連絡する」
「颯太、母さんにはいっぱいしてやれ。いつもちゃんとご飯食べてるかとか心配してるんだから」
「分かった。ありがとう。じゃあ、また」
通話を終えると、あらためて蒼依と正面から向かい合った。
「ようやく再会できたね。久しぶり――覚えてるかな? 蒼依だよ」
「うん、また会えた。はっきりとは覚えてなくとも、ずっと心の中に君はいたよ。だから、すぐに思い出せた。そっちは俺のこと覚えてた? 俺は颯太って、いうんだけど――」
「私もぼんやりとしか覚えてないけど、あの日男の子に出会ったのは覚えてる。だって、あの日からだもの。庭いっぱいに紫陽花を咲かせるために、私が本気でがんばりはじめたの。それで、どうだった? あのときは鉢植えひとつだけだったけど、紫陽花で庭いっぱいにしたんだよ」
「すごく綺麗だった。思わず写真に撮りたくなるくらい。もしかしたら、子供のころのことを無意識に覚えてたから、あの構図で撮ったのかもしれない」
自然と笑みがこぼれてくる。
二人は当時のことを思い出し、当時の面影を重ねていた。
颯太は、隣で同じようにしゃがんで空と紫陽花を見つめる女の子の横顔を。
蒼依は、別れ際に笑顔で手を振っていた男の子の姿を。
こうして、過去と現在が繋がった――。




