二人の原点
「やっと会えた! あなたがあの紫陽花と写真を撮った人なのね。あなたには聞きたいことがあるの!」
蒼依は満面の笑みで颯太の前に立っていた。
「聞きたいこと?」
颯太は反応に困っていた。
「うん。ねえ、お母さん。あの写真持って来てるよね?」
「もちろん。アオが持っていくってうるさいから」
まるで小さい子供が、お気に入りのおもちゃを持ってきたようなやり取りを颯太たちは見せられる。
景子は手に下げていたバックから、颯太たちが許可を取りに行った日に渡した写真を取りだし、蒼依に手渡した。
「この紫陽花の写真を撮ったのもあなたなのよね?」
蒼依は、夕焼けと紫陽花の写真を颯太に向けながら尋ねた。颯太は展示している写真のことを言われるものを思い込んでいたので、予想外のことに面食らってしまう。
「……うん。たしかにそれも自分が撮ったものですが……何か気になるところが?」
「ううん。この写真、すごいいいなって思ってて、この写真を撮った人なら、私が写っていた写真も使われてもいいなって思ったの。だから、もし別の人が撮った写真だったら嫌だなって」
蒼依はとても大事そうに紫陽花の写真を見つめていたが、その目が颯太を向いた。
目は輝いていて、興味や関心といったものを隠す気がない表情をしていた。
「ねえ、どうしてこういう角度で写真を撮ったの?」
「それは自分が空が好きで、空の写真を撮るのが好きなんです。だから、夕焼けをバックにこの紫陽花を撮ったら映えるだろうなって」
蒼依は、うんうんと頷きながら話を聞いていた。
「ねえ、空が好きになったきっかけってあるの?」
「きっかけ――なんだろう……あんまり深く考えたことなかったけど、ずっと身近なものだったからかな。瀬戸内海沿いの街で生まれ育って、海も山も近くにあってさ、それに都会でもないから空も広くって――気付いたら、当たり前のようにそういうのが好きになってた感じかな」
颯太は話しながら記憶を辿っていた。
少し高い位置に家があったので、窓から瀬戸内海を一望できた。
まだ幼かったころは、海沿いの道をよく親と散歩していた。
手を繋ぐ親を見上げると空が見え、堤防の向こう側には多くの島が浮かぶ海が広がっていた。
海とは反対側に目をやれば、緑に満ちた山が広がっていた。どこからかトンビの鳴き声が聞こえてきて、空を見上げて探したこともあった。
思い返してみれば、最初は海の方が好きだった。
颯太が初めて撮った写真は、親の携帯電話を借りて撮った海だった。
それがいつからか空の方が好きになった。
「そうなんだ。私も空が好きなんです。えっと、なんでしたっけ――そう、“天使のはしご”! あれが特に好きなんです」
「俺も好きです、天使のはしご。なかなか見れないですけど、本当に綺麗なんですよね。光の筋が海に落ちると、そこだけ明るく照らし出されたみたいになって、波がキラキラと輝いて」
「話に聞くだけでも、すごい綺麗そう」
蒼依は表情を明るくし、颯太も予想以上の反応に驚きながらも口元の笑みは隠せないでいた。
蒼依はまた愛おしそうに写真に目を落とした。
「この紫陽花の写真を見たとき、昔のことを思い出したんです。まだ小さかったころ……たぶん小学校一、二年生くらいかな。いまくらいの時期に、空に浮かぶように見える紫陽花を見せてくれた男の子がいたんです。その男の子と一緒にいるときに、天使のはしごが空に現れて一緒に見上げて……。たぶんあれが、私にとって紫陽花が特別になった日だったのかな」
蒼依はそうしっとりと思い出話をした。
颯太はその話を聞きながら、不思議な感覚に陥っていた。
梅雨になると、まだ幼かったときのことをたまに夢に見た。
その夢の内容と蒼依の語る思い出話に重なるところが多いのだ。
「俺も子供のころに同じような経験をしたことがあったような……」
颯太がそう呟くと、蒼依の目は大きく見開かれ、颯太のことを真っ直ぐに見つめた。
「ねえ、それって、どんな? 詳しく教えて」
「えっと……覚えてるのは、青い紫陽花に話しかけてる女の子と出会ったことと、天使のはしごを一緒に見たこと。ああ、そうだ! 思い出した! 天使のはしごを見た後、雲の間に青空が見えて、青い紫陽花と一緒に見たら綺麗だろうなって、その子の家の玄関の門の柱の上に紫陽花の鉢を置いたんだ」
颯太は話しながら当時の記憶が少しずつ蘇ってくる。
そのときに見た空と紫陽花が、颯太にとってのきっかけだった。
空をより好きになり、色んな空を見たいと思うようになった――いわば、原点といえる体験。
「颯太……お前は子供のころから、空に変なこだわり持ってたんだな」
「うん。さすがに私も少し引いた」
黙って話を聞いていた行哉と小和がつい言葉を挟んでしまう。颯太は「いいだろ、べつに」と不満げに漏らした。
「ねえ、それってどこで?」
蒼依は引くことはなく、むしろ颯太に詰め寄った。
「どこ……だろう。小さいころの話だし、親に連れられて行った場所だから、はっきりとは――」
「ねえ、よかったら今から確認してみない? もしかしたら、私たち昔に会ってるかもしれないんだよ? もしそうだったら、なんかすごくない?」
蒼依はキラキラとした表情で、そんな提案をしてきた。
話をしながら、颯太もかなり気になり始めていた。
曖昧な部分はあれど、同じような記憶がある人と出会った。
もし蒼依が言うように過去に出会っているとしたら、こうして再会したのは“運命”と呼ぶべき特別なものに思えたのだ。
そして二人を引き合わせたのは、どちらも紫陽花で――。
「颯太、親に電話して確かめてみろよ」
気になっているのは颯太と蒼依だけではないようで、行哉がもどかしさを隠すことなくそう言ってくる。
小和と景子も、それぞれ行哉と蒼依を制止することなく黙っていることから、言葉にしないだけで興味があるということを態度で示していた。
颯太はスマホを取りだし、少し離れた場所に電話をしに行こうとした。
それを行哉が肩を押さえ、蒼依は正面から腕を掴んで止めた。
ここで話をしろ、というはっきりとした圧をかけられていた。
人前で親に電話をするだけでも気恥ずかしさがあるのに、衆人に聞かせながら昔の話をするなんて、どんな嫌がらせか拷問かと、颯太は頭を抱えたくなった。
しかし、そうする以外の選択肢は颯太にはなかった。
ため息をひとつ吐いて、観念してここで電話をすることにした。
「颯太。できるならスピーカーにして通話しろよ。蒼依さんのためにな」
行哉は肩から手を離しながら、小声でそう耳打ちをした。
颯太はあらためて蒼依に目をやる。この場にいる誰よりも真剣な表情で颯太のことを見つめていた。
颯太はその目を前にして、覚悟を決めた。
「母さん? 急にごめん。ちょっと聞きたいことあってさ――」




