やっと会えた
写真展は、六月下旬に金曜日から三日間の予定で開かれている。
その間、写真部の部員は交代で受付をすることになっていた。
梅雨の雨が降り続くなか、金曜日の朝の九時に開場した。
最初はほぼいなかった来場者は、昼休み辺りから一気に増え始めた。そこからは人の流れがとぎれることはなかった。夕方には帰宅前に立ち寄る人が写真展にやってきた。
また大学の外からも、多くの人がやってきていた。
混雑するほどの盛況のまま初日は終わり、去年の三日間の来場者数を一日で超える人の入りだった。
その盛況は、いくつかの要因が重なったものだった。
まず写真部に所属している楽しむことに重点を置いているグループは、社交的なタイプが多く、友人や同じ学部内の知り合いを中心に幅広く声掛けをしていた。
「今年の写真展は、まじでやばいから!」
「すごい写真が展示されてるから、見に来てよ」
誘う言葉には、こういう言葉が付け加えられていた。
普通ならば、誘い文句の中にある身内の絶賛というのは、相手の興味を引くために大げさに言っているものを思われてしまう。
しかし、今回に限ってはその言葉が過剰なものではないことは、写真展に実際に足を運んだ人には理解できることだった。
他の要因としては、行哉の存在が大きかった。
行哉はそのイケメンぶりから常に注目を浴びているような存在だ。それは大学内に留まらない。
美容師をしている行哉の姉のSNSには、カットモデルとしての行哉の姿が全世界に公開されており、行哉に関する投稿につくインプレッションの数は桁がひとつ以上違うほどに人気があった。
そんな人気も知名度もある行哉が、自身のSNSで写真展の告知をした。
行哉は面倒事やトラブルを避けるために、大学でのことをほぼ発信しないようにしていた。それが今回は多くの人に見てもらうべきだと判断して告知をし、その珍しい投稿を行哉の姉や行哉がバイトで知り合ったモデル、行哉のSNSのフォロワーが大きく拡散し、大学の外部から行哉本人と行哉の撮った写真を目当てに人が集まることになった。
そして一番大きな要因は、写真展に来場した人による口コミとSNSでの拡散だった。
写真展の『梅雨』のエリア、とりわけ『君は梅雨に咲く』という写真が、大きな話題になっていた。
そのせいで『梅雨』のエリアの前にだけ、人だかりができてしまうほどだった。
すでに想定をはるかに超えた集客をし、加熱していた反響が大きく爆発することになったのは、二日目の土曜日の昼過ぎのことだった。
突如、写真展の会場のギャラリースペースに衝撃が走った。
それは、今話題になっている『君は梅雨に咲く』という写真に写る女性に似た人が、入ってきたからだった。
写真とは違い、今日はシルエットが綺麗な黒のロングスカートと白無地の長袖シャツ、細身ゆえにゆったりと着こなしているように見えるベージュのカーディガンという、大人っぽく落ち着いた印象の服装だった。
それなのに、かぶっているライトベージュの大きめのキャスケット帽がかわいらしさを感じさせ、全体で見れば、綺麗さとかわいさが同居していた。
そして、手に持っているライトブルーの傘や足元のレインブーツは写真に写るものと全く同じで、この写真展の場においては、必然的に注目を集めることになった。
そんな彼女は、母と思しき顔の雰囲気が似た中年の女性と肩を並べて、展示されている写真をただ見て回っていた。
周囲にいる来場者たちは、写真に写る人物とそっくりすぎる人が目の前に現れて、本人なのかを確かめたいという好奇心と、純粋に魅力的な彼女に話しかけてみたいと思っていた。
しかし、彼女を前にするとその纏う不思議な空気感から、誰も声を掛けるということはできなかった。その驚きと今すぐに声にしたい思いを、来場者たちはSNSや知り合いに向けたメッセージで発散させるしかなかった。
『梅雨』のエリアまでやってくると彼女は足を止め、『君は梅雨に咲く』という題名が付けられた写真を、真剣な表情で目の奥を輝かせながらじっと見ていた。
写真を見つめる彼女の姿は、それ自体がひとつの作品のようだった。
それはいまこの瞬間でしか見ることができない特別な時間で、ついさっきまでスマホの中に思いを吐き出していた人たちもその手を止め、魅入られたように見つめることしかできないでいた。
どれほどの時間、彼女は写真を見つめ、周囲はそんな彼女を息をのんで見惚れていただろうか。
彼女が写真の前から移動したことで、世界はまた正常に動きはじめた。
彼女は母と一緒に受付でアンケートを記入し、
「あの、すいません。『梅雨』のエリアのあの大きな写真を撮った人と話をしたいのですが――」
そう少しだけ緊張したような声で彼女は、受付をしていた写真部の部員に話しかけた。
「えっ……はい。確認するので少し待ってもらっていいですか?」
話しかけられた部員は雰囲気に圧倒され、受け答えも表情も固くなっていた。
その部員はすぐにスマホを手に会場の外に出て、電話をかけた。
「すいません、楠見先輩。今、いいですか?」
「どうしたの? 坂井くん」
「いま受付に、宮岡と話をしたいって人が来ているのですが」
「そう。それでどんな人?」
小和は小さくため息をしながら尋ねた。
昨日から小和のもとには、受付から多くの報告と相談が届いていた。
その大半は行哉に会いたい、会わせろと言う人がいるというもの。
そこに混じって、写真を見て颯太と話をしたいという人もいた。それが写真部のOBやOG、近隣の大学の付き合いがある写真部の関係者だと会わせた方がいいこともあり、どこまで対応するべきか線引きが難しいことだった。
「そうですね……宮岡の写真に写っている人によく似た女の人……ですかね」
小和はすぐにピンときた。
「分かった。すぐに私が行って、応対するわ。それでその人は、一人で来てた?」
「いえ、母親っぽい人と一緒でした」
「ありがとう。じゃあ、そのお連れの人に、私が――この前、お話させていただいた楠見が行くのでお待ちください、と伝えておいて」
「分かりました」
通話を終え、受付に戻った坂井は、小和からの伝言をそのまま伝えた。
それを聞いた彼女たちは受付の近くに立って待ちながら、そこから見える範囲の写真を見つめていた。
通話から五分もしないうちに小和が、ギャラリースペースにやってきた。
「今日はお越しいただきありがとうございます。こういうことなら、私の方に直接連絡していただいてもよかったのですが」
そう会釈をしながら、二週間ぶりの再会に笑みを浮かべながら話しかける。
「ああ……連絡先教えてもらってことをすっかり忘れてたわ」
「ちゃんとは交換していませんでしたからね」
小和と彼女の母は、小さく笑い合った。それから小和は彼女に真っ直ぐに向き直る。
「あなたとは初めましてでしたね。写真部の部長の楠見小和といいます」
小和はそう自己紹介をしながら、彼女のことを見つめた。
「綾崎蒼依です。それであなたが、あの“紫陽花の写真”を撮った人?」
“紫陽花の写真”という表現に、小和は引っかかりを覚えた。
「私ではありません。あの、よろしければ場所を変えませんか? ここでは周りの目もありますし、ゆっくり話もできないでしょうから」
小和の言葉に蒼依たちは頷き、小和の後に続いて、写真店の会場を出ていった。
小和が先導するように歩き、ギャラリースペースとは別の棟の二階にあるロビーへと案内した。
ロビーにはいくつかテーブルがあり、その一つに地味な男子といった颯太と髪色が派手な顔の整った行哉という、知らない人が見れば不思議な組み合わせの二人組が座っていた。
二人は小和たちの姿を見つけると立ち上がり、歩き寄ってきた。
「あら、あなたたちは確か……」
蒼依の母がそう二人の顔をを順に見ながらぼそりと呟く。
「そういえば、二人は紹介がまだでしたね。二人とも写真部で、髪が明るい方が中原行哉。こっちの黒髪の方が、宮岡颯太です」
二人は小和の言葉に合わせて会釈していく。
「それで、こちらが写真に写っていた綾崎蒼依さんと、そのお母様です」
「私も名乗っていませんでしたね。私は蒼依の母の景子です」
蒼依と恵子も颯太たちに会釈した。
お互いの紹介が終わったところで、小和が話の本題に入っていく。
「中原くんは、梅雨』のエリアでモノクロの中で傘だけが色が付いた写真を、そして、宮岡くんが蒼依さんと紫陽花の写真を撮影した当人になります」
そう説明すると、蒼依は一歩二歩と颯太に歩み寄り、すぐ近くから颯太の顔を真っ直ぐに見つめる。
「やっと会えた! あなたがあの紫陽花と写真を撮った人なのね。あなたには聞きたいことがあるの!」
そう颯太に満面の笑みを向けた。
颯太は反応に困りつつも、自分を見つめる大きな瞳が綺麗だと思っていた――。




