緊張のち笑顔
颯太が写真を撮った赤い紫陽花が咲いている家に辿り着いた。
昨日同様、たまたま会えるという偶然には巡り合えなかった。
「これはすごいね」
小和が紫陽花をジッと見つめながら声を漏らしていた。手にはデジカメを持っているが、写真を撮ることを忘れているようだった。
それほどまでに存在感のある真っ赤な紫陽花。
「実物は写真以上に迫力あるな。普通に紫陽花を撮っても映えそうなのに、あの写真になるのは颯太らしいな」
小和の隣で行哉も紫陽花を見つめながら、そんな感想を漏らしていた。
そのとき後ろから玄関の開く音が聞こえた。その音に颯太たちはいっせいに目を向けると、向かいの家から高齢の女性が家から出てくるところだった。
「あの、すいません。ちょっといいですか?」
行哉が駆け寄って、当たり前のように声を掛けていた。その女性は、最初こそ警戒しているような目を向けていたけれど、行哉の整った顔でのスマイルと、しっかりした雰囲気の小和が丁寧に後ろで頭を下げているのが目に入ったのか、すぐ柔らかな笑みに変わった。
「えっと、若い人が何かしら?」
「ちょっとお聞きしたいことがあるのですが、いいですか?」
行哉はそう切り出しながら、「颯太、写真」と小声で颯太を呼びつける。颯太は鞄からタブレットを取りだし、ここで撮った紫陽花と女性の写真を画面に表示させ、行哉に手渡した。
「この写真に写っている人なんですが、ご存じないですか?」
女性は目が悪いのか、タブレットに顔を近づけて写真を見つめた。行哉が気を利かせて、顔の辺りをズームさせると、女性は「ああ!」と何か分かったようだった。
「横顔だから絶対とは言い切れないけれど、お向かいの蒼依ちゃんだと思うわ」
許可を取るべき相手が分かり、ホッと安堵した颯太と小和は顔を見合わせて頷き合った。
「ただ三年くらい前だったかな? 今ぐらいの時期に、すぐそこ――家の前で事故に遭ってからは、なかなか外出も難しくなったみたいでね。噂では高校にも通えなくなったとかで、痛ましいよね」
女性は、イケメンで人当たりのよさそうな行哉を前にしたせいか、つい口を滑らせてしまったようで、言い終えた後に慌てて口を押さえ「さっきのは聞かなかったことにしてね」と、気まずそうに足早に歩き去っていった。
ふいに不穏な話を聞かされ、颯太たちは衝撃のあまり驚きを隠せないでいた。
そのなかで、いち早く冷静さを取り戻したのは行哉だった。
「さっきの人が言ってた事故って、これのことかな」
行哉は、スマホで事故のことが記事になっていないか調べていた。
行哉は持ったままになっていたタブレットを颯太に返し、颯太と小和の二人にもその記事を見せた。
それは三年前の六月の、地方紙のデジタル版の記事だった。
京都市北区上賀茂の住宅街でオートバイ運転する二十一歳の男性が、十六歳の女子高生と衝突する事故があった。
女子高生は救急搬送され、重傷。男性は近くの大学に通う学生で、雨でスリップしたものとみられる。
それだけの短い記事。
事故は毎日のようにどこかで起こっていて、その全てが詳細に写真付きで報道されているわけでもない。それが痛ましい事故だったとしても、幸運にも死亡者がでていないのなら扱いは小さく、続報すらないのも当然だった。
「これ、事故起こしたのがうちの学生だったら、許可は期待できないかもしれないね」
小和が険しい表情を浮かべながら口にする。
「ですね。でも、聞いてみたら、普通にオッケーもらえることもあると思うんだよね」
行哉が前向きな言葉を口にする。
対称的なことを言った二人の視線は、すっと颯太に集まった。
もし颯太が許可を諦めようと言えば、そこで終わる話。
ただ先ほどの高齢の女性が、見る人が見れば特定できると証明してしまったため、許可なしでは写真は使えない。
「聞くだけきいてみよう」
写真を諦めきれない颯太は、そう決断した。
それを受けて、小和と行哉も覚悟を決めたように頷き合った。
「颯太くん、プリントした写真出して?」
小和に言われるがまま颯太は鞄からコンビニでプリントした写真を取り出して、小和に渡した。小和はそれを受け取り、自分の鞄から一枚の紙と名刺入れを取り出した。
「颯太はこういうとき、あんまり使えないですし、俺と楠見さんでやりますか?」
「そうね。お願いしようかな、中原くん」
颯太が口を挟む間もなく話が進んでいき、頼りになり過ぎる二人の後ろで立ちすくんでいることしかできなかった。
そして昨日、颯太が緊張しながら押したインターホンを、小和は何の躊躇もなく鳴らした。
「どちらさまですか?」
インターホンから、女性の声が聞こえてきた。
「突然すいません。私、京都上山大学の写真部の楠見と申します。お話したいことがございまして、少しでいいのでお時間よろしいでしょうか?」
小和がそう丁寧に伝えると、少しの間のあとに「わかりました」と返事が帰ってきた。
それからすぐに玄関の扉が開かれ、中から色白でスラリとした若く見える中年の女性がでてきた。
そして、まず目につく行哉に視線が行き、次に小和、最後に颯太をチラリと見て、小和に視線が戻ってくる。
その目や表情には、警戒の色が濃かった。
「それで何の用でしょうか?」
「私たちは、先ほども言いましたが京都上山大学の写真部の者です。今度、大学内のギャラリースペースで写真展を開くのですが、それに展示をしたいと思っている写真の件で許可をいただきたいと思って、今日こちらに伺わせていただきました。写真展については、こちらを見てください。ネットに公開されているもののコピーで申し訳ありませんが」
写真部のホームページやSNSで公開している写真展の日時や場所が書かれた告知画像を、小和は待ち合わせに来る前にコピーして持ってきていた。
それを手渡すと、女性はざっと目を通していた。
小和がしっかりと大人の対応を心掛けているからか、表情が幾分か柔らかいものになっていった。
「それで許可というのは、どういうことでしょう?」
その問いかけを受けて、コンビニでプリントした写真を手渡しながら、
「この写真なんですけど……こちらのお宅の前でうちの部員が撮ったものなのですが、見ての通り顔ははっきりと写っていないので、そのまま展示してもよかったのですが、ちゃんと許可をいただいてからの方がいいと判断して、今日伺わせていただきました」
そう小和が説明をする。紫陽花と女性の写真を見て、中年の女性は少し驚いたように口を開け、すぐに穏やかな笑みへと変わる。
「たしかに、うちの娘が写っているようですね。にしても、律儀ね。これくらいなら、許可なんて気にしなくてもよかったのでは?」
そう答える表情には、もう警戒しているような気配は一切なく、子どもに向けるような少しだけ呆れたような優しい笑みが浮かんでいた。
「そうですね。ですが、その写真が撮った側にしても大事なものだから、こうして義理を通さなければと思ったんです」
行哉が颯太の想いを代弁する。そして、そこに言葉を付け加える。
「それに庭の紫陽花もとても綺麗で……あっ、実はもう一枚写真がありまして――」
行哉がそう言うと、中年の女性は「あら、ほんとね」と紫陽花と夕焼けの写真を見つめ、「これもいい写真ね」と笑みを浮かべる。
「ですよね? そちらの紫陽花の写真も許可をいただいてもいいですかね?」
行哉が砕けた笑みを浮かべながら口にすると、中年の女性はくすりと笑った。
「紫陽花の方は……もちろん好きに使ってかまいません。しかし、もう一枚の方は、私の一存では決めかねますので、娘の許可次第ということでもよろしいですか?」
いつの間にか、穏やかな雰囲気に包まれていた。
「もちろん、それでかまいません。お渡しした写真は、よろしければそのままお受け取りください。それでは、許可をする、しないに関わらず、こちらに連絡をいただけますか?」
そう言って小和は話を締めながら、名刺入れから、一枚の名刺を取り出して渡した。
「私の連絡先になっていますので、よろしくお願いします」
「分かったわ。できるだけ早く返事をさせてもらうわ」
「ありがとうございます。では、失礼します」
小和が頭を下げたのに合わせて、行哉と颯太も同じように頭を下げた。
そして、ゆっくりと家の扉は閉められた。
家の敷地から出て、三人の足は自然と上賀茂神社の方へと向かっていた。
そして、少しずつ緊張から解放されたという実感が湧いてくる。
「なんかいい人そうでよかった。一時は本当にどうなるかと……」
一番前を歩く小和が大きく息を吐きながら、胸を撫でおろしていた。
「ですね。にしても、颯太はまじで何もしなかったな?」
行哉が一番後ろからすぐ前を歩く颯太に嫌味を言う。
「そうは言っても二人がしっかりし過ぎて、入る余地なかったじゃん」
颯太が焦ったように反論して、小和と行哉が笑った。
「それにしても、楠見さん。名刺なんて持ってるんですね。颯太は知ってた?」
「いや、知らなかった。なんで名刺を持ち歩いてるんですか? 小和さん」
小和は足を止め、二人に振り返る。
「私がよく写真を撮るのは、子どもとか親子連れだからね。撮った写真をあげると喜ばれることが多いのよ。だから写真を撮ったときに、すぐに声を掛けて、デジカメのモニターで写真を見せて、よろしければプリントしたものをあげますって感じでやってるのよ。近くにコンビニがあったりすればいいけど、そうじゃないときや相手に時間ないときは、連絡先として名刺を渡すようにしてるのよ」
小和のやり過ぎとも言える行動に、颯太と行哉は信じられないという顔をしていた。
「なあ、どう思う? 颯太」
「しっかりし過ぎてて、この人何歳だろって、本気で考えた」
行哉がそれを聞いて噴き出した。
「あなたたちと一つしか変わらないじゃない!」
「俺とは一ヶ月も差がないですけどね」
行哉が余計なことを言ったせいで、小和は拗ねたような表情をして、その場で勢いよくくるりと反転した。
そのとき傘に付いた雨の雫を飛ばし、颯太と行哉は顔にかかり、嫌そうな声を上げた。
その声を聴いて、傘の陰から小和が二人に向け、目の下を指で引き下げて舌をだし、大人びている顔で子どものように悪戯っぽく笑った――。




