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香奈さんと蒼真先生は付き合っているの? と聞きたい気持ちがあったけれど、聞けなかった。はっきりと言われたら、心が潰れてしまいかねない。
ただ、僕が蒼真先生に勝てる想像が一切できなかった。彼を差し置いて僕が勝つなどあり得ない。
蒼真先生はイケメンで、背も高くて、ガタイもよくて男らしい。
僕は顔がイケメンなわけじゃないし、背も平均ないし、ガタイもよくなくて女の子みたい。男としてカッコいい要素が一つもない。そんな僕がいくら頑張ったところで、勝てるわけがない。
香奈さんの隣に立ってしっくりくるのは蒼真先生の方。きっと彼女を幸せに出来るのも彼の方。それなら、僕が潔く手を引いてしまったほうが二人のためか。
――今の僕が奇跡的に勝ってしまったとしても、その後、香奈さんを悲しませてしまうかもしれない。なら初めから勝たない方がいい……。
放課後、どうにか香奈さんを嫌いになれないか考えた。でも、どうしても嫌いになれなかった。
僕は家に帰ってから、自分の部屋で一時間近く筋トレした。腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワット、バーピー、プランク、スパイダープランク、ニーインプランク、レッグレイズ……。
僕のアウターマッスル(表層筋)はへなちょこだ。体質なのか、鍛えても大きくなりにくい。
なら、インナーマッスル(深層筋)を鍛えればいい。鍛えたからって、試合で勝てるようになるわけじゃない。でも何かやっていないと落ち着かなかった。
蒼真先生に何もかも負けている。それじゃあ、勝てるわけがない。じゃあ、何か勝てる部分があれば勝てるのか。もう、負けを認めたはずなのに、僕はなにをやけになっているんだろう。
全身汗まみれになりながら、リビングに入る。いつも食べていた量の一.五倍近く料理を食べる。もう、一種のやけ食いだった。
さっさとお風呂に入って、部屋に戻り勉強。一日でもさぼれば、授業に置いて行かれる。
香奈さんから電話がかかってくる前に「今日はもう寝る。お休み」とメッセージを送った。電話したくなかったわけじゃない。ただ、彼女から電話がかかってくると変に期待してしまうから、したくなかった。もう、僕をからかっても面白い要素はないとわかってくれれば、距離を置いてくるはずだ。それまで、ちょっと我慢すればいい……。
朝、五時に起きて外を走り回る。一時間近く筋トレして、朝ごはんもひたすら食べた。
自分でも、どうして頑張っているのかわからない。いったい、何のためにこんなキツイ目に合わないといけないのか。勉強さえしていれば、部活はせずにもっとたくさん寝て、自堕落な生活したって誰も文句を言わない。
汗か涙かわからないくらい体を痛み付けて、吐き戻しそうになるまで食べて、どうしようというのだ。
今、どれだけ頑張っても蒼真先生に勝てない。でも、今、勝てないだけで、未来はどうかわからない。身長が伸びて、筋肉も付きだして、男らしさが増せば、もしかしたら……。そんな淡い期待を持っているのかも。あまりにも無意味だ。
女の子はそんな単純じゃない。男らしくなったところで、好きな男子以外眼中にない。僕もそうだったからよくわかる。
星野さんが好きだった時、凄く可愛らしい香奈さんを見ても可愛いと思うだけで眼中になかった。好きになれなかった。
でも、彼女がいないと高校生活が味気ない。彼女がいたから毎日が楽しかった。友達として一緒にいるだけで十分じゃないかと思う時もある。ただ、あのキスに特に意味はないと言った時の彼女の顔は見ていられなかった。いや、そんなこと言わせてしまった自分が情けなかった。どういった理由であれ、僕の問いに何かしら返答してくれたのに、くみ取れなかった。
「告白しなければ、こんな気持ちにならずに済んだのかな。でも、あの時に告白していなかったら、香奈さんとここまで仲良くなれなかったはずだ。仲良くなれてよかったじゃないか……。僕は星野さんが好きだったわけで、初めから香奈さんが好きだったわけじゃない。好きな人がコロコロ変わる男なんて、信用なさすぎる……」
一度好きになった人を愛し続けろとか、男らしくあれとか、子どものころから吹きこまれ続けた父親の言葉が縛りのように体の自由を拘束する。
父を尊敬している。だからこそ、その言葉にも重みがあって、そうありたいと思っている。曲げてもいいじゃないかと、気持ちに負けてしまうのが嫌だと、真逆の気持ちが反発しあい、心は荒れていた。
――これが、思春期ってやつなのかな……。僕も、一応大人になりつつあるんだろうか。
いつも見ている景色が乱れて、ただ歩いている人がいるだけで変にイライラして、ただ走っているだけの自分が、他の人と比べてしまうと何の努力もしていないように思えてくる。
どこにも吐き出しようのない膿が体の中に溜まっていくようで、気分が悪い。
走り過ぎて体が重い。体重が軽い癖に、なんでこんなに重いのか。もう、止まってしまおうか。僕がどれだけ走ったところで、筋トレしたところで、蒼真先生に勝てる可能性はほぼないんだ。
頑張る理由が一切ない。それなのに、止めない自分がいる。
「はっ……、はは……、なにしているんだろう、僕は」
目的もないのに、止めようとしない自分がおかしくて、吹き出して小さく笑った。
あの電柱を超えたら、もう走らない。歩いて楽しよう。脚が重いし、体中痛いし、無駄なことするなど時間の無駄だ。
現代っ子っぽくいうなら、意味もないのに走るってタイパが悪くないですか? 部活ってコスパもタイパも悪くないですか? そんなことするくらいなら、タイパコスパ最強の勉強でもしていた方がマシですよ。
自分の頭の中で呟いてみると、大分嫌な奴だ。でも、周りの皆がそんなこと言っている気がする。部活で時間を取られるのがだるいとか、ゴールデンウィークが部活の合宿で潰れた、ほんと部活糞とか。意外にみんな同じことを考えているのかもしれない。
「部活をやる意味を考えること自体、間違っているのかな……」
電信柱を超え、脚を緩めようとすると蒼真先生の言葉が思い起こされる。
『あぁ、香奈。言っておくがこの男は駄目だ。俺は認めない。もっとましな奴にしろ』
教師がそんなこと言っていいのか……、もっとマイルドにオブラートに包んで、優しく言ってよ。そう思う中、遅くなっていた脚がまた速度を上げだす。
手を強く握りしめ、肩が抜けそうになるくらい腕を振る。何かしら腹の底から湧き上がってくる。ガス欠寸前だった体にエネルギーが注ぎ込まれたようだった。
ほんと、諦めの悪い性格だな。




