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女子生徒が友達とペラペラしゃべりながら歩いてくる階段を爆速で降り、新体育館近くまでやってきた。
香奈さんと男性教師が話し合っている姿を見て、不意に隠れる。
こっそり覗くと、彼女が話している男性は僕が彼女に告白した時、背後から声をかけていた人だった。おそらく、あの人が蒼真先生だろう。イケメンで、クールでガタイがいい。
「最近、調子はどうだ」
「調子はいいですよ。まぁ、でも、悪いっちゃ悪いのかな?」
香奈さんは髪を弄り、脚をクロスさせる。
「この前の件はどうなった?」
「そう、焦らせないでくださいよ。慎重なお年頃なんですから……」
いつも相手の目を見て話す香奈さんが視線を反らせ、男子と極力話さないようにしている彼女が蒼真先生に対して、今まで見た覚えもないくらい愛くるしい顔で会話していた。
――この距離、この空気、あの声色。
香奈さんが本当に心を許しているのは、もしかして。胸が、ズキッと痛む。
どうしようもなく、その場に立ち尽くした。彼女と話そうと思っていたのに、足が動かない。声をかけるどころか、呼吸することさえ、たらった。
僕はただ、隠れながら二人の会話を聞いた。
「にしても、学校で話しかけてこないでくださいよ。変に噂されちゃうかもしれませんし」
「噂? 何を噂するって言うんだ」
「女子高生は、変に想像力豊かなんですよ。それに、寄ってたかって恋愛の話ばかりするんです。女子に私とどういう関係ですかって聞かれても、言わないでくださいね」
香奈さんは蒼真先生の唇に人差し指を当て、口を閉ざさせる。
もう、雰囲気が完全に出来上がった男女に見えてしまい、無性に泣きたくなってきた。
昼休みの時間も短い。あまり、長居していると弁当が食べられず、午後の授業中にお腹が鳴き続ける可能性があった。
香奈さんと蒼真先生の間に入り込む余地はなく、敵前逃亡をはかる。男としての魅力があまりに違い過ぎて、勝てる気がしない。
あんな男の人を知っている女性が、僕を見たら子供としか思えないだろう。香奈さんは男を誑かす悪女だったのだろうか。いや、そうは見えなかった。
中学の時から知り合いみたいだったし、関係は僕よりずっと長そうだ。幼馴染というやつだろうか。あの、香奈さんのうろたえようは、僕が星野さんと話していた時と同じ。
――もしかして、彼女の初恋の人が蒼真先生だったりするのか……。
妄想が広がるのは、女子だけじゃない。男子だってするもんだ。直接聞けたらいいけれど、そんな勇気があれば苦労はしない。
質問したあと、そんなこと聞いてどうするのなんて、聞き返されたら、また頭の中が真っ白になってしまう予感がする。
僕は教室に戻る間、蒼真先生と香奈さんの関係について悶々としながら歩いた。
香奈さんはもう、大人の階段を上っていて「キスなんて、挨拶と同じでしょ」って感覚で僕にしてきたのか。いやいや、それにしては、初初しい顔に見えた。慣れていたならあの場で帰らなくても済んだはずだ。
香奈さんは男が苦手と言っていた。それにもかかわらず嫌な顔せず会話していたから蒼真先生に対する感情はマイナスじゃない。信頼できる人なのかな。そりゃあ、いろんな人に噛みつきそうな香奈さんがあんなにおとなしくなっちゃうんだから、いい人なのは間違いなさそう。
顔が良くて、頭が良くて、男らしい、あまりにも男としての格が違い過ぎる。
このままでは、やっぱり蒼真先生の方がいい男だって思われて、あの時のキスは雰囲気にのまれて気の迷いだったと言われかねない。
教室に戻り、椅子に座る。目の前に置かれた弁当箱に手を付け、無言で口の中に料理を詰め込む。冷えており、暖かみがない。もちろん、母親手作りという温もりはあるが、それだけだ。
『美しい恋にするから、約束するよ、チャンカパーナ……』
「キャぁああ~っ、てごにゃんに抱かれたイっ~」
隣から、奇声が聞こえてきた。嵐山さんが携帯電話で動画を見ており、ひとりで盛り上がっている。
「あの歌詞、簡単に言っちゃ、ワンナイトラブだろ。けっ、これだから顔だけの男は」
楽間さんがバナナジュースを飲みながら、辛辣に言う。
「恋や愛よりも先に体の関係を持ってしまったっていうのも、どこか大人って感じがしてロマンチックじゃない? でもでも、そこから恋や愛が芽生えちゃって、その日よりもずっと熱々にチャンカパーナしちゃうのよ」
「オタクよりたちの悪い、夢女子の典型じゃねえか。手越に脳焼かれ過ぎだろ……」
「私、愛理ちゃんのそういう正直なところ、嫌いじゃないよ。でも、訂正させて。私は確かにてごにゃんのファンだけど、愛しているわけじゃないし、ワンナイトラブがしたいわけじゃないから。私、尻軽女じゃなくて、すっごく一途な女の子なんだからね」
「誰もそんなこと聞いてねえよ。バナナ」
バナナに意味はないと思うが、手に持っていたバナナジュースは全て飲み切っていた。嵐山さんの言う通り、楽間さんの取り繕っていない言葉は妙に清々しく、聞いていて嫌にならない。おそらく、男子寄りの性格なのだろう。なのに女子力の高い嵐山さんと一緒にいるのが不思議だ。
嵐山さんは部活で色々とストレスが溜まっている。だからこそ、日常生活で面倒な話合いは避け、男子同士のような会話の方が気が楽なのかも。
僕は相変わらず、男子と仲良くなれないまま近くの二人と昼食を得ていた。
今はまだ善意で一緒にいさせてもらえるが、時間が経てばたつほど男子と女子の差が表れて話がかみ合わなくなり、距離ができていくだろう。そうなったらボッチになるのか……。生憎、クラスの中に人を虐めるような性格の者は一人もいない。むしろ、みんな優しい。僕がボッチになっても誰か誘ってくれるかも。そんな風に、他力本願でいる自分が情けなくて、箸を持つ手に力が入る。
何でもっと自分から話しかけたり、行動にうつしたりできないんだろうか。また、中学校最後の日みたいに、やり残したことの多さに自己嫌悪に陥る羽目になるんだ。
危機的状況になってから動いたって、いい結果は生まれない。わかっているけど、猶予があるとやっぱり、逃げ道を作ってしまう。嫌になるほど弱々しい。
「女子はやっぱり、弱い男なんて嫌だよね……」
「んー、そりゃあ、男らしくて頼りがいのある男の方が安心できるよね」
「でも、嫌かどうかといわれるとまた違うよな。女ってのは、弱い男を見ると母性が湧いちまうもんなんだぜー」
「うんうん。まだ、母親の気持ちなんて、全然わかんないのにねー」
「だが、弟にはどうにもこうにも、母性が一切出てこねえんだよな。子分として扱ってる」
「わかる気がするー。父親以上に身近にいる男で年下だし、まだ弱いのに小生意気に見えるんだよ。最近なんて、高校生の癖にツインテールしてんじゃねえブスって、言ってきて、コテンパンのぎったんぎったんにしてやった」
嵐山さんは拳を握りしめ、当時の感覚がよみがえるのか、口元を引きつらせた。お姉さんって、もっと優しい存在だと思っていたが、あれは女きょうだいのいない男子の妄想なんだろうな。本来は母親よりも恐ろしい存在なのかもしれない。




