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午後四時三〇分頃。昼間よりもずっと日が傾き、少しオレンジ色が強くなって来た頃、星野さんはぴたりと黙り込んだ。
「次はどこに行きましょうか。ちょっと早いかもしれませんけど、夕食にでもします? あぁ、それとも、もうちょっと歩いてみたり……」
どこか、解散の雰囲気が漂い始めた。その頃、僕はやっと自分が何のために彼女に会いたかったのか思い出す。
「えっと、星野さん、今日が楽しくて今の今まで忘れていたんですけど、一つ言わせてもらってもいいですか」
僕は膝に手を置き、ギュッと握りしめながら彼女の方に視線を向ける。
「いいよ……」
目は見てくれなかったが、話は聞いてくれるようだった。
「僕、中学の卒業式で星野さんに告白したのは思い出作りなんかじゃありません。あれは、本気の本気で言った告白です。あの時、はっきり言えなくてすみませんでした」
体の芯から熱くなる感覚に見舞われながらも、周りに誰もいないことを良いことに、思いを全て吐き出した。
「できれば、告白の返事をください。覚悟はできています」
「えっと、じゃあ、こっちの話も一つ、聞いてくれるかな」
星野さんは頬と耳をほんのりと赤らめたまま、かぼそい声で呟いた。
大きく頷くと、彼女は肩にかけていたトートバッグの中から氣比神宮の縁結びのお守りを取り出した。袋口を開け、ひっくり返すと真鍮色のボタンが現れた。粟野中学校の校旗が浮き出ている。
「これ、なんだかわかる?」
「粟野中学校の男子制服のボタンだよね。えっと、僕のかな? まだ、持っていてくれたんだ」
「私に初めて告白してきたのは、優くんだったって言ったでしょ。あの時の私、滅茶苦茶根暗で男子と会話した経験とかほとんどなかった。そもそも全員バカに見えて苦手だった」
小さな輪っか部分を摘まみ、まるでダイヤモンドの宝石がついた指輪でも眺めるかのような視線を向けた。ごくごくありふれた制服のボタンなのは間違いない。でも、彼女が持つと高級な品に見えてくる。
「高校生になってね。二日目で同じ学校だった男子に告白されたの。胸を見ながらね」
自分の胸の下に手を当て、わざわざ大きさを主張するような仕草を見せる。僕はそっと視線を反らし、砂利を見つめた。
「優くんって、意外にムッツリさんだけど、ちゃんと目を見て話してくれるんだよねー」
星野さんはわざわざ胸を主張するようにぽにぽにさせる手の動きを続け、弄るように呟く。直視できないから、あくまでしているように感じるだけだ。
「んで、高校生活一ヶ月で、一〇人近い男子が告白してきたの。ほんと、見た目を変えたら目の色を変えて寄ってくるんだもん、ほんとびっくり。単純すぎてバカばっか」
「見た目を変えた? 対して変わっているように見えないけど……」
背がすっと伸び、前髪を整え、明るい雰囲気になったらそりゃあ、元がいい彼女の可愛さに気づくものもいるだろう。
「にしても、一ヶ月で一〇人以上に告白されるなんてすごいね……」
「まあ、可愛くて胸が大きくて明るくて、性格がいい女の子がいたら、好きかどうか関係なくとりあえず付き合おうみたいな男子もいたよ。別に凄くもなんともない。甘いお菓子にアリが寄ってくるくらい自然なことだと思う」
星野さんは胸から手を放し、内股に挟んだ。軽く俯き、息を整えているように見える。喉に餅が詰まったような表情。一分以上経っても、言葉が出てこない。挟んでいた手を頭に持って行く。そのまま、黒髪を掴み、引っ張った。
すると、黒髪が全て取れてしまった。加えて、頭についていたネットを外すと、茶色の短髪が現れる。
「あ、あはは……、参ったな、告白ってこんなに難しいんだ。優くんは凄いね」
「へ?」
「えっと実は星野香奈って、私なんだよね」
僕は開いた口が塞がらないという状況に初めて出くわした。このまま、亀の池に頭から突っ込んで全身を隠したい気分だ。
「私の親、今年の三月に離婚したの。それで、母親の旧姓になったんだよ。別に行きたくもなかった藤島高校に落ちちゃったし、敦賀高校の二次募集で受かってさ。勉強しろ勉強しろってうるさかった浮気性の父親がいなくなったから、勉強なんかより青春を謳歌するぞー! なんて息巻いて、高校デビューしたら、優くんがいて……」
香奈さんは指先をモジモジとさせ、オタク気質な早口でもごもごと何かを言っている。
ちょっと、衝撃的過ぎて僕の頭の中は、真っ白に飛びかけた。いつも、自分が思っていた状況と違うと脳の処理速度が著しく下がってしまう。
「優くん、全然気づかないからさ、おも知れーって思って、いつ気づくか試してたんだけど、その……、思っていたよりも優しくて、男らしくて、カッコよくて、一緒にいて凄い楽しい……。そんな男子は生まれて初めてで。だから、その……」
視線が右往左往している香奈さん。制服姿ではなく、清楚なワンピース姿だと、また雰囲気が違って見える。
ただ、僕の頭の中は星野さんと香奈さんが全くの別人だと思い込んでいた影響で、まったくかみ合わない。
一目惚れに近い感覚で好きになってしまった星野さんと、もう親友みたいに仲がいい香奈さんが同じ人だと言われても、僕のひっくいスペックの脳みそでは感情の整理が追い付かなかった。
かろうじて開いていた口を閉じると、香奈さんは僕の目をしっかりと見てくる。唇を結び、前のめりになるようにしてパーソナルスペースに難なく入り込んでくる。
両頬に小さく暖かい手の平が触れると、目の前が香奈さんで一杯になった。
松原海岸で鼻と鼻がぶつかりそうなくらい近い距離になった覚えがあれど、それ以上に近い。いや、もう、距離などなかった。
唇と唇が音もなく重なり、亀の池から吹き出すスプリンクラーの音が妙に大きく聞こえる。
ほんのり珈琲が香ると彼女の顔が離れ、目と目が合った。
僕の間抜けなツラが香奈さんの大きな黒い瞳に映っている。
下からじりじりとあぶられているのかと思うほど首や顔が真っ赤になった香奈さんは、兎のように僕からパッと離れた。
「え、えっと、その……、こ、これが今の気持ちと言うか、何と言うか……。じゃ、じゃあ、また、学校で」
香奈さんはトートバッグを掴み、逃げるように駆けて行った。衝撃に次ぐ衝撃、もう、気絶してもおかしくない状況の中、僕の頭は完全に白飛びし、気絶とさして変わらない状況に至った。
意識が周り始めたのは、およそ一〇分後。唇に触れ、彼女のリップクリームの湿り気を指先に感じる。どうやら、さっきのキスは幻覚ではなかったらしい。
これが今の気持ちって、どういうことなの。ちゃんと言葉で言ってくれないとわからないよ。
好きってこと? いやいや、いつもからかって楽しんでる? でも、好きでもない人にキスなんてする? 僕ならやらないけど、僕を弄って楽しんでいる香奈さんなら、やりかねないか?
いや、さすがにそこまではやらないか。




