42 二十年
私の、いや、あの女性の人生を見た――そう言いかけてやめた。このことを女医に話したところで、信じてもらえるとは思えなかった。だからとりとめのない夢だったとだけ言って、あとは口を閉じた。
一時間。あれがたったの一時間の出来事だったのも信じられない。これはあまりにも非現実的で信じがたく、事実は受け入れ難かった。
――私が、あの二人の子ども?
私は二人の未来を奪いたかった。それなのに、わたし自身が二人の未来になってしまっている。
フラフラと無意識のうちに電車に乗り、足は自宅へ向かっていた。でも、あそこを自宅と呼べるのだろうか。
駅を出て顔を上げてみる。あの角のドラッグストアは、以前は小さな薬局とクリーニング屋だったところだ。向かいの本屋もなくなっている。
茫然としながら、一旦はマンションへと向かったが、すぐ引き返してあの辻へ足を速めた。気づけば体は嘘のように軽い。頭痛もいつの間にか消えていた――この体は壊れていない。
もう夕刻を過ぎ、黄昏が辻を覆っていた。相変わらず人気はない。
「これはどういうことなの! 出てきてよ、説明して!」
辻の周囲を見渡しながら、叫んだ。
「いるんでしょ、どうしてこんなことをしたのよ!」
詩歩の背後を自転車が通り過ぎ、ちらりと彼女に視線を送った。
辻の祠の前まで行ってみたが、二十年前よりさらに古びて、崩れ落ちそうな祠がまだそこにあっただけだった。
マンションのエレベーターの中でスマートフォンを確認した。庄司先生からLINEが来ていた。
『あなたのスケッチの女性、たぶん石黒知佳さんでしょう。以前にこの教室に通っていた方です』
それを読んでも、当然としか感じなかった。
――あの絵画教室は”私”が晴美に紹介したのだから。
玄関のドアの前で、はたと足が止まった。この向こうに、彼女がいる……。先ほど目にしたLINEの日付が頭をよぎった。今朝ここを出てから、もう何年も経過したような感覚に陥った。
ノブを掴もうと伸ばした手が僅かに震えていた。
「……ただいま」
反射的に言葉が口をついて出た。奥から水音が聞こえる。キッチンにいるのだろうか。
彼女は背中を向けて洗い物をしていた。私が知っている彼女と、後ろ姿は変わらない。声をかけられないまま立ち尽くしていると、彼女が振り向いた。
「あら、いつ帰ってきたの。びっくりしたわ」
私に憧憬のまなざしを向けていたこの人は、一体誰なのだろう。母と呼ぶべきなのだろうか。
「もうすぐご飯よ。お父さんはまた遅くなるんですって、先に食べてましょうよ」
父の、裕磨のことを話すとき、口元が少し歪んでいた。それを見なかったように顔を背けて、詩歩は言った。
「着替えてくるわ」
足は自然と”詩歩”の部屋へ向かった。上着を脱いでクローゼットを開く。ふと姿見の中の自分と目が合った。気づけば姿見の前に立っていた。睨みつけるようにその容姿を眺める。
この口元は晴美に似ている。目元は裕磨そっくりだ。
鏡を――割ってしまいそうになった。拳は赤くなり、そのまま知佳はうずくまった。
――嘘よ、まだ夢を見ているんだわ。こんなの悪夢でしかない……。




