表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
復讐の願いが叶うとき  作者: 山口三


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/57

38 静かな確信


「誰、かぁ」


 男は腕組みして、真剣な顔で首を傾げた。


「……その質問、難しいな」


 痺れを切らした様子で、知佳はぐっと詰め寄った。


「どうして裕磨と晴美のことを知ってるの?」


「どうしてって、う~ん、顔に出てるから?」


 男はつまらなそうに肩をすくめた。


「で? どうするつもり?」


「……そんな話、信じるわけないでしょう」


 そう言いながら知佳は視線を外した。声の端が震えているのを、自分でも意識していたからかもしれない。


「ふーん。じゃあいいや」


 あっさりと引いたかと思うと、男はふと笑った。


「三日あげるよ」


「……は?」


「考える時間、いるでしょ?」


 押し黙ってしまった知佳を見て、男はため息を吐いた。


「仕方ないなあ。ちょっとした手品を見せてあげるから」


 男はサングラスに手を掛け、少し下にずらした。


 ——目ではなかった。


 真っ黒な闇がこちらを覗いているのが分かった。目はないのに、何もかも見られていると本能で感じた。


「はい、終わり。じゃあまた三日後ね」


「え……」


 知佳は茫然と立ち尽くしていた。


 ずっとあの男を見ていたはずなのに、その姿はいつの間にか消えていた。目を逸らした覚えはなかった。それなのに、もうそこにはいなかった。



 *



 駅からの帰り道、裕磨は同じ信号に二度も足止めを食らった。


 スマートフォンを取り出しかけて、やめる。誰に連絡するつもりだったのか、自分でも分からなかった。


 ――どうする。


 頭の中で同じ言葉が堂々巡りする。


 晴美が子供の話をしたときの声と、顔が浮かんだ。それがすぐに、知佳の顔と重なる。


 打ち消すように、歩く速度を上げた。どちらも上手くいく、そういう選択肢はないのか。――考えかけてすぐに首を振った。そんなものがあるはずがない。


 じゃあ俺はどうなる? 


 スマートフォンを握る手に力がこもり、思わず舌打ちしていた。


 マンションを見上げると、部屋には明かりが灯っていた。何をどうしたらいいか、まるで考えがまとまらないまま玄関に着いてしまった。


「……帰ったよ」


 少し間があって、


「おかえりなさい」


 返事があった。


 その声の位置を確かめるように、裕磨は廊下を進んだ。知佳はダイニングの椅子に座っていた。背筋をピンと伸ばし、手は膝の上に綺麗に重ねられていた。


 今日も知佳は仕事を休んでいた。


「その……まだ調子は良くないのか?」


「そうね」


 その後が続かない。知佳の視線は何もないテーブルに注がれている。裕磨はネクタイに指をかけたまま、外すタイミングを失っていた。視線をどこに置くべきか決めかねて、壁の時計に一度だけ目をやった。


「昨日のこと……話したい。けど……どう言えばいいか……」


 裕磨は“謝罪”という言葉を避ける。謝った瞬間に全てが確定してしまう気がして怖かったのだ。


 知佳は、ゆっくりと息を吐いた。怒りでも、悲しみでもない。もっと乾いた温度のない呼吸だった。


「あなたが“わからない”なら、私が言うわ」


 声は静かで淡々としているのに、逃げ道を塞ぐような響きがあった。


「昨日の時点で、私の中ではもう終わっているの。あなたがどうしたいかなんて、もう関係ない」


 裕磨の肩がわずかに揺れる。


「謝る言葉を探すくらいなら、晴美さんのところへ行けばいい。子どもができたのよ。そっちを選ぶのが筋だわ」


 淡々と告げつつも、一瞬だけ声が震えた。それが本音なのか、自分でも口にしながら迷っていた。


「……私は、あなたの“迷い”に付き合うつもりはないわ」


 裕磨は、逃げるように背を向けた知佳の肩に、伸ばしかけた手を途中で止めた。触れていいのか分からない。触れたところで、何が変わるのかも分からない。ただ、このまま行かせたら二度と戻ってこない気がした。


「……待ってくれ」


 声が震えた。自分でも驚くほど弱い声だった。


 知佳の足は止まったが、振り返りはしなかった。


「話したい。いや……話させてほしい」


 言葉が空回りしているのは分かっていた。謝罪なのか、懇願なのか、自分でも整理できていない。言葉を探しながら、裕磨は無意識に視線を泳がせた。今、知佳の背中が遠ざかる未来だけはまずい。


「その、ここまで……やってきただろ。俺たち」


 それは思い出をなぞるようでいて、どこか確かめるような響きだった。


「知佳……俺は、まだ……」


 “好きだ”と言おうとして喉が詰まった。そんな感情で、この知佳を引き留められるとは思えない。それでも、何か言わなければ。


「俺は……どうすればいい? 何をすれば、もう一度向き合ってくれるんだ?」


 問いというより、叫びに近かった。だが問いかけながら、その実、何かを選び取る覚悟はどこにもなかった。


 知佳はゆっくりと息を吸い、吐いた。その呼吸の音だけが、二人の間に落ちた。


 そのとき、短い通知音が鳴った。


 裕磨の視線が、反射的にテーブルの上のスマートフォンへ落ちる。


 ほんの一瞬だった。だが、その動きには迷いはなかった。

 

 会話の途中であることも、知佳が目の前にいることも、すべてを飛び越えて身体が先に反応していた。画面に表示された名前までは見えない。けれど、分かる。


 ――ああ。


 揺るぎようのない事実がそこにあった。


 ――この人は、もう私を見ていない。


 言葉を探していたはずの男は、視線を戻すのにわずかな遅れを見せた。取り繕うように息を整え、何かを言おうとする。


 けれど、その前に知佳は口を開いていた。


「いいのよ、出ても」


 裕磨の動きが止まる。


「大事な連絡なんでしょう?」


 その一言で、すべてが終わった。言い訳も説明も、もうすべてが遅すぎたことを、裕磨自身が理解してしまった。


 知佳の胸の奥にあった重苦しさは、いつの間にか形を失っていた。代わりに残っているのは、妙に澄んだ感覚だった。


 裕磨と晴美はこれから先を生きていく。私には持てなかった家族を作って。


 知佳は、無意識に食器棚を見つめていた。私にはもう妻という居場所も、母になる未来も残っていなかった。奪われた、という言葉すらもう正確ではなかった。

 

 ただ、このまま終わることだけはできない。私のいない未来を、そのまま進ませることだけは許さない。


 最後に残った考え。いま、それが確かな形を成していた。私にできる、唯一のこと。


 知佳は目を伏せ、小さく息を吐いた。


 ――壊そう。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ