37 邂逅
朝になっていた。
いつ目を閉じて、いつ開いたのか曖昧だ。ただ、カーテンの隙間から差し込む光の角度が、早朝ではないことを教えていた。
体は重いままだった。けれど、頭はすっきりしていた。
知佳はゆっくりと起き上がり、しばらくそのままベッドの端に座っていた。
――考えないといけない。
そう思った瞬間、思考は驚くほど滑らかに動き出した。
裕磨は、もう戻らない。
知佳の人生に制限時間ができたことを、裕磨はまだ知らない。だが知ったところで、今の状況が変わるとは思えなかった。
昨日、裕磨はすでに選択したのだ。あの帰宅時間がそれを語っている。そして晴美の話をしたときの、あの表情。それが言葉よりも雄弁に示していた。
晴美と裕磨の子ども。
そこまで考えて、知佳は一度目を閉じ大きく深呼吸した。ふたりの未来は、明確な道を進もうとしている。自分のいない世界で。きっと、そうなるだろう。その予見がはずれはしないと分かっている。
――では、私は?
自分が整えた庭に土足で踏み込まれ、描いた未来を横取りされたまま、三十年も生きずに私は灰になる。
――どうして私だけがこんな目にあうの?
許す、という選択は最初からなかった。離れることも考えた。あの二人から離れて、心穏やかになれる場所へ行く。でも、それで本当に心から納得して最後を迎えられるのだろうか? 否だ。ただ黙って終わることだけは、絶対にできない。
私が得られるはずだったもの、奪われたものを、現実的に取り戻すことはできない。そのためにかける時間すらない。
知佳は自分の手のひらを見つめた。残された時間は一体どれくらいなのだろう。その限られた時間の中で、私にできることは何だろう?
父に打ち明けようか。いえ、だめよ。私を失くす両親に幾つもの苦悩を背負わせたくない。
静かな部屋の中で、時計の音がやけに大きく響いている。その音に合わせるように、知佳の思考は一つずつ、余分なものを削ぎ落としていった。
最後に残った望みは、あの二人の未来を、このまま幸せで終わらせないことだった。
時間が惜しい。そう思うと足は自然と外へ向かっていた。バッグも持たず、フラフラと歩いていたことに気づいたのは、駅の裏通りに差し掛かったときだった。
頭の中はひとつのことで一杯で、辻を通り過ぎたときに、後ろから声をかけられたのにも気づかなかった。
「え……なんでしょう?」
振り返ると若い男性が立っていた。ラフな服装でサングラスをかけている。華奢な体つき。身長も知佳と変わらない。
「あれ、用があるのはそっちじゃないの?」
「私が?」
――こんな人は知らない。見ず知らずの他人にいきなり声をかけてきて……ナンパのつもりかしら。
思考を妨げられた上におかしなことを言われて、不快な気持ちが湧き上がる。
「いえ、私はあなたに用なんかないわ」
背中を向けた知佳に、男はしつこく話しかけた。
「いやあ、あるでしょう」
知佳は無視を決めて歩き出す。
「裕磨と晴美をどうにかしたいんでしょ?」
知佳の足がピタリと止まった。素早く振り向くと男はすぐ後ろに立っていて、知佳は思わず声が出そうになった。
「……っ」
「ほらね」
強い薬草のような匂いがした。サングラスの奥の目は分からないが、口元は笑っていた。
一歩下がり、知佳は声が上ずっているのを感じながら詰問した。
「あなた、誰なの?」




