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復讐の願いが叶うとき  作者: 山口三


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30/57

30 予感


 年が明け、まだ正月気分が抜けきらないうちに、秘書課は「新年会」と称したランチの集まりを催した。


 いつもより少しだけ長いランチタイム。人気のレストランを借り切っての気軽な立食会ということもあって、秘書課は十八人全員が参加していた。


「ここは石黒チーフのコネで貸し切りにできたんですって」


「さすがよね~きっとご主人とよく来てるんでしょうね」


 この、比較的入社して間もない新人が多い輪の中で、晴美は少し先輩としての立ち位置にいた。


「米沢先輩はずっとチーフの下で働いているんですか?」


「そうね、新入社員のころからね」


「じゃあプライベートでも交流があったりするんですか? チーフのご自宅へ行ったりとかもあります?」


 ――とんでもない。ふたりが暮らす空間に自分がいるなんて、想像しただけで背筋がゾッとする。そう思いながら、晴美は否定した。


「まさか。チーフは公私混同しない人よ」


 やっぱりね~、と若い秘書たちは残念がった。自分たちとは別の世界に住んでいる人。そんな知佳のプライベートに興味を持つのは仕方ない。憧れの気持ちからそうなるのは自然なことだし、自分も同じだったからよく分かる。


 でも知佳は、他人に踏み込ませない一線を引くタイプだ。晴美も例外なくその外側に含まれていた。


 だが今日の知佳は少し様子が違った。


 部下の「休日の趣味は何か?」という質問に「絵を描くことだ」と答えていた。そればかりではなく、それを耳にしてダメ元で尋ねた晴美に、こう言ったのだ。


「じゃあ、私が通っている絵画教室を紹介しましょうか?」


 そう言って晴美を誘ったときも、知佳はどこか上の空で集中力に欠けていた。


 今日は少し体がだるい。熱っぽさもある。朝起きたときから、どこか調子がおかしいと感じていた。風邪かもしれない――そう思う一方で、別の可能性が頭をよぎる。


(……もしかして)


 確信はない。けれど、その考えが浮かんだ瞬間、胸が高鳴り熱を帯びた。喜びに似ているのに、どこか落ち着かない。それが体調のせいなのか、そうでないのかは自分でも分からなかった。





 晴美はその週末、百貨店に来ていた。


 知佳が通っている絵画教室の展示会に招待されたのだ。展示会は百貨店の広々とした催事場で開かれていた。


 主催者である庄司に紹介され、入会の希望を出す。それから知佳と一緒に展示されている絵を見て回った。


「石黒さん、いらしてたんですね。絵を拝見しました、とても素敵でしたわ。二科展は今年も応募されるんですよね。三年連続で入賞かしら!」


「ええ、時間が取れたらもう一枚仕上げて、それと一緒に出そうと思ってます」


 同じ教室の生徒らしきご婦人が知佳に話しかけてきた。それから数歩も歩かないうちに、一人、そしてまた一組。


「ごめんなさいね、米沢さん。展示会を案内しようと思って招待したのに、少しも進まなくて」


「いえ、私なら全然平気です。時間もありますし……知佳さんって絵もお上手なんですね。それに皆さんからとても慕われてて」


 自分とはまるで違う。恵まれた家庭に生まれて、賢くて、容姿だって文句なしで……。秘書課のチーフという地位も、この人が社長の娘だからじゃない。チーフを務めるだけの実力がしっかり備わっているのだ。こんな人の夫と、私は何をしているのだろう……。


 一通り展示を見たあとで、晴美は知佳と別れた。どうしようもなく惨めな気持ちで、真っすぐ自宅に帰る気持ちにはなれない。百貨店をぶらつきながら見て回っていると、有名ブランドの食器が並ぶ展示販売会に思わず足を止めた。


 一番最初に目に飛び込んで来たのはティーカップ。ペアのカップアンドソーサーで、片方には黄色いアイリスの花、もう片方には紫色のアイリスの花が描かれている。


 すぐに思い浮かべたのは裕磨の顔だった。最近、裕磨は晴美の部屋に泊っていくことも増えていた。朝、このカップで二人でお茶を飲んだらどんなに素敵だろう。だがプライスカードを見て、晴美の手は止まった。


 ――一客十二万以上する……ペアで買ったらボーナスがほとんどなくなってしまうわ。


 諦めようと体の向きを変えたとき、エスカレーターを下りて行く知佳の姿が目に入った。誰かと談笑しているのか、笑顔が見えた。


 ――知佳さんと彼は、こんなカップでお茶を飲んでいるのかしら。


 迷いは消えなかった。値段の現実は変わらないし、分不相応だとも思う。それでも、もう一度だけカップを見る。


 朝の光の中で、テーブルに向かい合う裕磨と自分。何気ない会話と、湯気の立つティーカップ。


(……これくらい、いいよね)


 誰に許しを得るでもなく、心の中で呟く。


 店員を呼び、ペアで購入。自宅用だと告げる。その間、ずっと同じ光景が頭から離れなかった。



 *



 ニュータウン開発区域。新しい駅ができるのを機に、大型ショッピングモールやマンションなど、一連の都市計画に基づく再開発が段階的に進行している地域だ。


 駅はまだ完成していない。故にこの辺りは何もないただの広大な空き地だった。


「タクシー、走ってないですね」


 知佳は秘書課の部下二人を連れて、役員会議用の資料作成のため、下見にここを訪れていた。どこに車を停めるか、危険個所はないかなど、一通りのチェックは無事終わった。


 だが、またしても悪心が知佳を襲った。吐き気以外に軽いめまいも覚え、立っていられず、雑草の生えた地面にしゃがみ込んだ。


「加藤さんは、この写真データを先に社で整理しておいて。タクシーが来たら最寄りの駅で降ろすから」


 晴美はそう言って、知佳の隣に立った。――何もない造成地で、この人を一人にはできない。


 声は平静を装っていたが、采配を振るう晴美の胸の奥には、わずかな緊張が潜んでいた。


「ごめんなさいね、米沢さん」


「気にしないでください。チーフ、電車に乗るのはきついですよね。私の自宅がここから割と近いんです。タクシーなら二十分かからないと思います。少し休んでから社に戻った方が……」


「そうね、お言葉に甘えるわ……」


 その言葉を口にしたとき、知佳はそれがどこへ向かう選択なのか、まだ分かっていなかった。


 

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