24 結婚
「あまり大げさなのは嫌だって、はっきり言ったのに」
「知佳さんが嫌なのは分かってます。でも一人娘の晴れ舞台だから、張り切りすぎたのも悪気があってじゃないんだと思いますよ」
林裕磨のなだめにも、知佳はため息で返事した。
「分かってるけど……で、あなたはどうしたい?」
「知佳さんを紹介したとき、俺の両親、驚いてましたよね? あの石黒グループのお嬢さんだって知って。だからもう一回驚いてもらおうかな、って」
知佳の両親が進めている結婚式は、有名芸能人並みの規模だ。裕磨の親類もさぞ、驚嘆するだろう。
「ところで、裕磨さん。いい加減、敬語はやめてくれる?」
「あっ、そうだね。つい、ね」
二歳年下で子会社に勤める若手社員――そう紹介したとき、父の視線が一瞬だけ裕磨の上で止まった。
値踏みするような、静かな間。
母はすぐに笑顔を作ったが、その空気を打ち消すには足りなかった。
――試されている。
そう感じるには、十分だった。
父は将来、自分の後を継ぐ人間を必要としている。そのため裕磨を見る目は、婚約者というより後継候補を見る目だった。
裕磨にその資質はあるのか? その保の心配に、知佳は自分がサポートすると答えた。婿養子になることについても、異存はないと裕磨も納得している。
感情で選んだわけじゃない。判断として誤りはない――知佳はそう結論づけていた。
会社では知佳の婚約の話があちこちで囁かれるようになっていた。
「秘書課の美人チーフが結婚するって……」というのもあれば、「社長のお嬢さんが結婚されるそうだ」というのもあった。
圧倒的に多かったのは後者だ。
だがそれが仕事に影響するわけではない。決裁待ちの書類、調整の必要なスケジュール、関係各所からの連絡。どれも変わらない。変わらないが、結婚だけは”確定していること”だった。
――結婚。
式の準備は滞りなく進んだ。日取りも会場も、参列者の顔ぶれも、すべてが完璧に整えられていく。
式の準備と並行して、社内の業務も通常通りこなしていた。
「知佳さん、この資料、こちらで修正かけておきました」
声をかけてきたのは米沢晴美だった。
控えめな笑顔。だが視線には以前と変わらない、わずかな熱がある。差し出された資料に目を通し、知佳は淡々と口を開く。
「ここ、数字がずれてるわ。再確認して」
「あっ……すみません」
「とにかく直して。締め切りは今日中よ」
「はい」
あっさりと引き下がる晴美のその態度に、特別な感情は湧かない。部下としては扱いやすい方だ。それ以上でも、それ以下でもない。
――こういう子は、変な方向には進まない。
以前と同じ考えが、ふっと頭をよぎった。
そのとき、廊下の向こうから裕磨が戻ってきた。
「お疲れさまです」
軽く声をかける。
「お疲れさま」
知佳は短く返した。晴美も小さく頭を下げる。裕磨が去ると、後ろでコピーを取っていた秘書課の社員と目が合った。
「どうしたの?」
「チーフ、仕事モードだと本当に隙がないですね」
一瞬、知佳は戸惑った。だが他の社員の視線が、婚約者である裕磨の去ったあとに残っている。――ああ、そういうことね。
「ご期待に添えなくて申し訳ないわ」
「いえ、それでこそチーフって感じです」
そうこうしている間に、時間はあっという間に過ぎて行った。
式も、想像していた通りのものになった。
祝福の言葉、整った進行、完璧に配置された人間関係。どこにも齟齬はなく、すべてが滑らかに流れていく。
隣に立つ裕磨も、その場に馴染んでいた。場違いなぎこちなさはもうない。
――順応が早い。
そう思った。
父の裕磨に向ける笑顔は、私に向けるそれとほぼ変わらない。母も「良かったわね」と胸をなで下ろした。
結婚してからの生活は、拍子抜けするほど穏やかだった。
朝は裕磨の方が少し早く出る。
ネクタイを締めながら「行ってくる」とだけ言い、知佳はキッチンから「いってらっしゃい」と返す。
それだけのやり取りが、毎日繰り返される。
帰宅時間は揃わないことも多い。
「今日、遅くなる」
連絡のメッセージはそれだけだ。
『分かったわ』
自分も短く返す。理由を聞く必要もなければ、説明を求められることもない。食事は別々になる日もあるが、それを不満に思うことはなかった。
同じ空間にいても、それぞれが別のことをしている。
裕磨はソファでスマートフォンを触り、知佳はタブレットで資料に目を通す。
「そうだわ、帰りにケーキを買ってきたんだったわ」
「じゃあ、俺がコーヒーでも淹れようか」
食べ終わったあとは、またお互いに別のことを始める。
違和感はない。何も欠けていないはずだが、それ以上に自分が何で満たされているのかは分からなかった。
――楽だ。
ふと、そう思った。
無理に歩調を合わせる必要はない。相手の領域に踏み込んで干渉することもない。最初から、ちょうどいい距離が保たれているように感じられた。
ただ――ときどき、裕磨の行動が読めない瞬間がある。次に何をするのか、どこへ向かうのか、ふいに見当がつかなくなる。
だが、その違和感は長くは続かない。会話は途切れずに続き、戸惑いはいつの間にか流れて消えていく。
――気にするほどのことではない。
そう整理してしまう方が、合理的だった。




