20 出会い
眩しい――何がそう感じさせたのかは分からない。一度目を閉じ、もう一度開けたとき、視界がぱっと開けた。
磨き上げられた床に光が柔らかく反射していた。シャンデリアの光だ。人々のざわめき――来賓たちの談笑。華やかなレセプション。石黒建設主催のレセプションだろうか。
手の中にはシャンパングラス。指先は自然な位置でそれを支えている。重さも冷たさも、違和感がない。
一通り挨拶を終えたところだった。
そう“分かる”。
完璧に整えられた髪、控えめながら上質なドレス。大きなウインドウに映るその立ち姿には、幼い頃から自然と身についた“石黒家の娘”としての品格が滲んでいた。
――少し、新鮮な空気を吸いたい。
そう思って人の波から離れた瞬間、背後から軽い声がした。
「すみません、グラスが……!」
振り返ると、黒髪を無造作に整えた青年が、給仕のトレイにぶつかりそうになって慌てて身を引いていた。その動きは不器用なのに、どこか憎めない愛嬌があった。
青年は知佳に気づくと、さっと表情を引き締めた。
「失礼しました。お怪我はありませんか?」
「……ええ、大丈夫ですわ」
知佳はわずかに眉を上げた。この場に似つかわしくない、少しラフな雰囲気。だが、礼儀はきちんとしている。
青年は胸元の名札を指で押さえ、軽く頭を下げた。
「林裕磨といいます。石黒建設の子会社、イシグロ設計の者です。今日は応援で来てたんですが……こういう場はまだ慣れなくて」
はにかんだ笑顔と、その率直な言い方に、知佳は思わず口元を緩めた。
「場違い、というほどではないと思いますけれど。……まだお若いのね」
「あ、はは。二十三になったばかりでして。石黒さんは……」
「石黒知佳。秘書室のチーフをしています」
裕磨の目が一瞬だけ驚きに見開かれた。その反応の速さに、わずかな引っかかりが残る。
「なるほど。どうりで、立ち居振る舞いが綺麗だと思いました」
唐突な褒め言葉に、知佳は胸の奥がわずかにざわついた。
だが、媚びるわけでも計算でもなく、ただ思ったことをそのまま言っただけ――そんな素直さが見えた。
「……なんだか、軽いのね」
「実は、よく言われます。でも嘘は言ってませんよ」
即答だった。その無邪気な無防備さに、思わず意識を持っていかれる。パーティー会場の喧騒が、少しだけ遠のいていった。
――真っすぐ。そう思ったことに、理由はなかった。どこかで、これを見ている気がした。
「もしよければ、少しお話ししませんか? こういう場に知り合いが少なくて……助けていただけると嬉しいです」
裕磨の言葉に、知佳はほんの一瞬だけ迷い、そして頷いた。
「……少しだけなら。」
意志が決まると同時に、距離が縮まった。会話は短かったが、途切れずに続いた。
林とのささやかな会話のあと、知佳は次々に声を掛けられた。
その都度、知佳は相手の立場や関係性に応じて、言葉の温度を微妙に変えていった。
――仕事は、整理だ。
その感覚が、当たり前のようにそこにある。感情も関係も、すべては適切な位置に置けばいい。そうすれば乱れることなく、物事は進んで行く。
だが向けられる視線の多くは、知佳個人ではなく「石黒」の名に対するものだ。
期待、打算、遠慮、警戒。
そのすべてを受け止め、波風立てずに処理するのが自分の役割。幼い頃からそう教えられてきたし、それ以外の生き方を知佳は知らないのだろう。
――それをこなせれば、楽でもある。
だが時々、そのどれもが虚しさを感じさせることがある。
この場にいる誰とも、同じ高さで言葉を交わしていない。崩れないように、バランスを取っているだけだ。
――対等な相手はいない。
そう思うことに寂しさや、違和感はなかった。知佳の周囲は大抵がそうだったから。
そのとき、控えめな足音がすぐ後ろで止まった。なんとなく誰だか分かるような気がした。
「先ほどはありがとうございました。助かりました」
先ほどの青年――林裕磨がすぐ近くに立っていた。
「……いえ、大したことではないわ」
知佳がそう返すと、裕磨はわずかに肩の力を抜いたように笑った。
――タイミングの計らいがうまい。知佳の前に立つ、その距離も。
でも偶然じゃなく、そう装っているのだとしたら――
ふと可笑しさがこみ上げた。
どれも「たまたま」にしては出来過ぎている。そんな“偶然”は、これまでいくらでも見てきた。
だが。
「こういう場ってやっぱり苦手で。みなさん、すごい方ばかりですし」
その言い方に、卑屈さはない。媚びもない。
自分を大きく見せようとする虚勢の匂いも、利を求める打算の湿り気もない。
計算して近付いているくせに、肝心なところだけ妙に不器用で、隠しきれていない。その純粋さがかえって厄介で、背を向ける理由が見当たらない。
(……あなた、ほんとに面倒ね)
心の内でそう呟く。口元にはわずかな緩みが宿っていた。
イシグロ設計。子会社に勤めているなら、いつか顔を合わせることもあるだろう。
なぜかは、分からない。でもそんな気がした。




