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復讐の願いが叶うとき  作者: 山口三


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19/57

19 名前


「私の声が聞こえますか? 石黒さん」


 詩歩の返事は遅い。高田はストップウォッチで間隔を測る。


 ――深い催眠状態に入ったみたいね。少し予想はしていたけど……危険そうならすぐ中止だわ。


 高田は詩歩の呼吸や筋緊張を細かく観察しながら、質問を続ける。


「気分はどうですか?」


「……はい、気分はいい、です」


「今、何が見えますか?」


「……どこか、部屋……」


 詩歩の声はかすかに揺れながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「机が、あります……広い……人が、何人も……」


 その光景が、少しずつ輪郭を持ちはじめる。


「そこにいるのは誰ですか?」


 わずかな間が空いた。呼吸は深く規則的だが、反応はさらに遅くなっている。


「……わからない……でも……話してる」


 言葉を探すように、詩歩は小さく息を漏らした。


「石黒さんは誰かと話をしているんですね?」


 高田はペンを持つ手を止めた。


「……そう……私が」


 その一言は、先ほどよりもはっきりしていた。


「……違う……でも私」


 ――おかしい。


 高田は詩歩の表情を観察する。まぶたは閉じられているが、その奥で視線が何かを追っているように微かに動いている。


「何をしていますか?」


「……書類を……見てる……」


 キーを打つ音がリズミカルに響いている。


 視界が、ゆっくりと定まっていく。


 ……白い壁。整然と並んだデスク。密かな話し声と、手元には分厚い資料。指先でページをめくると、紙の感触がやけにリアルに伝わってくる。


 ――仕事中だ。


 その認識が、自然に浮かんだ。


「この件は明日の会議に回して。先方には私から連絡を入れるわ」


 言葉が出た。考えていないのに正しい順序で――落ち着いていて、よく通る声。迷いがなく、相手に考える余地を与えない響き。


 視線を上げると、向かいに立つ女性が小さく頷いた。


「承知しました」


 ――誰? 


 一瞬だけ疑問がよぎる。だがすぐに、それは意味を持たなくなる。目の前の状況が、あまりにも“当たり前”だった。


 スケジュール、案件、数字、会議。すべてが頭の中に整理されている。


 ――次は、社長室。


 ”私”は立ち上がる。ヒールが冷たく硬い音を床にたてる。その音さえ、違和感がない。ガラスに映った自分の姿が、一瞬だけ視界に入った。


 知らない女だ。でも違和感はない。――これが、私だ。そう思った。


「……名前は、分かりますか?」


 遠くから声がする。どこか別の場所から、呼ばれているような感覚。


「……いしぐろ……」


 唇が、勝手に動く。


「……ちか……」


 その名前を口にした瞬間、胸の奥で何かが静かに噛み合った。


 詩歩の指先が、わずかに動いた。


 ――いしぐろ ちか。


 心の中でもう一度繰り返す。


 その瞬間、白い診察室の光景がゆっくりと霞んでいった。高田の声も遠ざかり、代わりに眩しい光が視界いっぱいに広がった。

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