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復讐の願いが叶うとき  作者: 山口三


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12 心療内科


 受付で名前を呼ばれた瞬間、胸の奥がぎゅっと縮んだ。


 待合室の空気は静かで、壁に掛けられた絵がやけに鮮やかに見える。詩歩は深呼吸をして立ち上がった。


 診察室の扉を開けると、柔らかい光が室内に差し込んでいた。

 机の向こうに座る女性医師は、穏やかな笑みを浮かべている。白衣の清潔な匂いが、少しだけ緊張を和らげた。


「石黒さんですね。今日は来てくれてありがとうございます」


 その言葉に、詩歩は意表を突かれた。“来てくれてありがとう”――そんなふうに言われるとは思ってもいなかった。


 女性医師は高田ゆかりだと自己紹介し、問診票をちらりと見てから言った。


「最近、眠りが浅いとか、夢のことで気になることがあるんですね?」


 詩歩は小さく頷いた。言葉にするのは怖い。でも、ここまで来たのだ。


「……変な夢を見るんです。すごくリアルで……起きているときにも、その続きみたいな映像が浮かぶことがあって」


 医師は驚いた様子も、否定する様子も見せない。ただ、静かに頷きながらメモを取っている。


「その夢の中で、どんな気持ちになりますか?」


 詩歩は少し考え、胸の奥を探るように言葉を選んだ。


「……怒りとか、悲しみとか……。私の気持ちじゃないのに、私の中にあるみたいで」


「なるほど。そう考えるのは自然なことです」


 その一言で、詩歩の喉がきゅっと詰まった。


 ――また否定されなかった。


 そう思うと、すべてを話してしまいたくなる。


「夢の内容を、覚えている範囲で教えてもらえますか? 繋がらなくても大丈夫ですよ」


 詩歩は迷った。

 あの辻に流れる冷たい空気、女の涙、黄色い服、男の影――どれも言葉にすると、現実になってしまいそうで怖い。


「……うまく説明できないんです。映像が途切れ途切れで……。人の影と、ティーカップが出てきます。黄色い、蝶か……いえ、花だったかもしれない。そんなカップ……」


 高田のメモを取る手が一瞬だけ止まった。


「人も出てきますか?」


「はい、女性が。初めは少女の夢だったんです。裕福な家庭で幸せそうに見えました。そのうち大人になって……でも女の人は泣いていて、傷ついてました……」


 医師は優しく頷いた。


「言葉にしにくい夢って多いんです。無理に説明しなくても大丈夫ですよ。その女性の顔ははっきり見えますか?」


「少女のころの顔ははっきり覚えています。夢の中ではその少女が自分だと思っているのに、顔が違うんです。大人になってからは、部分的に見えたり、見えなかったり……」


「そうですか――ではその夢を“絵に描いてみる”というのはどうでしょう。夢の中で気になった物や人の顔を」


「……絵、ですか?」


「はい。石黒さんの描きたいもので構いません。描くことで、思わぬ発見があることもあります」


 詩歩のためらいを見て、医師は軽い調子で付け足した。


「ある患者さんのケースでは、本人には理由の分からない恐怖が、幼いころの記憶と結びついていたんです」


「記憶……」


「そうです。絵を描くことで、そのきっかけが見えてきました」


 自分も似たようなことなのかもしれない。絵を描くだけで、解決の糸口に繋がるのなら試す価値はある。


「……私、絵は得意じゃなくて」


「上手に描く必要はありませんよ。ただ、心の中にあるものを“外に出す”ための作業です」


 医師の声は静かで、押しつけがましくなかった。


 ふと母の顔が浮かんだ。母と一緒に絵画教室に行くのもいいかもしれない。

 詩歩は少しだけ肩の力を抜いた。


「……やってみます」


「ええ、ゆっくりで大丈夫です。もし描けたら、次回見せてくださいね。描けなかったら、それでも構いません」


 詩歩は頷いた。心のもやに、ほんの少しだけ光が差した気がした。


 診察室を出ると、待合室の椅子に田中が座っていた。詩歩の顔を見るなり、立ち上がる。


「どうだった?」


 詩歩は少し迷ってから、言った。


「……夢のこと、絵に描いてみたらいいって」


「絵?」


「うん……。母が絵画教室に通ってるから、一緒に行ってみようかと思う」


 田中は驚いたように目を瞬き、それから優しく笑った。


「うん、それがいい。……少し安心したよ」


「え?」


「ずっと一人で抱えてたんだろ。来て良かったな」


 田中の言う通りだ。

 行動を起こして良かったと詩歩も感じていた。


 勢いづいたまま、詩歩は帰宅してすぐ母に話をした。


「お母さん、私も絵画教室に行きたいんだけど」


 母も買い物から帰宅したばかりらしく、冷蔵庫に食材を入れていた手を止めて顔をあげた。


「あら、どういう風の吹き回し?」


「ちょっと……描いてみたいものがあるんだけど、絵にはあんまり自信がないから」


 本当のことは言えない。詩歩は心にブレーキをかけていた。


 母は娘のただの気まぐれだと考えた。


「いいんじゃない。スケッチからやってる人もいれば、水彩をしてる人もいるし。好きなのをしたらいいわよ」


 そうして詩歩は、次の教室のときに母に同行することになった。

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