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第9話 婚約者だった彼が後悔し始めました

「レオン様! 本当なのですか!?」


 フォルネーゼ家では、朝から怒声が飛び交っていた。


「ヴァンフォード公爵家に、エリシアがいるって!」


「うるさいな」


 レオンは苛立たしげに眉を寄せた。

 昨夜から何度も同じ話を聞かされている。


「そんなわけないだろう。あの冷酷公爵が女を拾うなんて」


「ですが、使者が実際に追い返されたそうです!」


「……は?」


 父親まで青ざめている。


「しかも“エリシアは保護下にある”と」


 レオンの顔色が変わった。


 ヴァンフォード公爵。

 王国でも最上位の権力者。


 国軍にも強い発言権を持つ危険人物だ。

 下手をすれば、伯爵家など簡単に潰せる。


「な、なぜエリシアなんかを……」


 リリアが震えた声を出す。

 だがその胸の内は別だった。

 嫉妬。

 それだけだ。


 どうして姉ばかり。

 ずっと地味で、冴えなくて、働いているだけの女だったくせに。


「……ありえない」


 リリアは唇を噛む。


 自分の方が可愛い。

 愛されるべきなのは自分だ。

 なのに。


 社交界でも人気の高い“氷の公爵”が選んだのはエリシアだった。

 許せない。


「お父様、やっぱりお姉様を戻した方が……」


「そうだな……」


 父親も焦っていた。


 エリシアを追い出してから、屋敷が回らない。

 帳簿管理が滞る。

 使用人の配置が混乱する。

 領地からの報告書も山積みだ。


 初めて気づいた。

 エリシアが全部やっていたのだと。


「……あいつは、そんなに仕事をしていたのか?」


 レオンが呟く。

 父親が苦々しく顔を歪めた。


「最近になってわかった。領地収支も、商会交渉も、税整理も……かなりエリシアが処理していたらしい」


「え?」


 レオンは目を見開く。


 知らなかった。


 エリシアはいつも静かだった。

 目立たなかった。


 だから。

 何もしていないのだと思っていた。


「リリアは帳簿も読めんし……」


「お、お父様っ!」


 リリアが悲鳴を上げる。


「わ、私は病弱ですもの!」


「夜会には元気に行っていただろう」


「っ……」


 空気が悪い。

 レオンは無意識に拳を握った。


 エリシアは、いつもレオンを支えていた。


 夜会前の準備。

 贈答品の管理。

 スケジュール調整。

 全部。


 それが当然だと思っていた。

 だが。

 今は誰もできない。


 使用人たちは混乱し、父親は怒鳴り散らしている。

 屋敷の空気は最悪だった。


「……まさか」


 レオンの脳裏に、昨夜のエリシアが浮かぶ。

 雨の中。

 静かに頭を下げた姿。


『承知いたしました』


 泣きもしなかった。

 責めもしなかった。

 ただ、去っていった。


 そこで初めて。

 胸の奥がざわついた。


「……俺は」


 何かを間違えたのではないか。

 その時だった。

 執事が慌てて駆け込んでくる。


「旦那様!」


「なんだ!」


「ヴァンフォード公爵家より使者が!」


 一同が凍りつく。

 レオンの喉が鳴った。


 まさか。

 本当に。

 あの公爵が動くのか。


 扉が開く。

 黒い制服を着た男が、静かに一礼した。


「ヴァンフォード公爵閣下よりお言葉です」


 冷たい声だった。


「“今後、エリシア嬢への接触は控えろ”」


 沈黙。

 男はさらに続ける。


「“次は警告では済まさん”」


 空気が凍った。

 レオンの背中に冷たい汗が流れる。


 公爵は本気だ。

 本気でエリシアを囲っている。


 その事実に。


 レオンは初めて、はっきりと後悔を覚えた。

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