第3話 痩せすぎだ、と公爵様は言った
目を覚ました時、私は柔らかなベッドの中にいた。
「……え?」
白い天井。
見知らぬ部屋。
ふかふかの布団。
しかも、広い。
フォルネーゼ家の自室の三倍はある。
私は飛び起きかけて、くらりと視界を揺らした。
「お嬢様!」
慌てた声と共に、女性が駆け寄ってくる。
茶色の髪をきっちりまとめた、優しそうな侍女だった。
「まだ起き上がってはいけません。熱があるのですよ」
「え……あの、ここは」
「ヴァンフォード公爵家でございます」
やはり夢ではなかった。
私は昨夜、氷の公爵様に拾われたのだ。
思い出した瞬間、羞恥と混乱で顔が熱くなる。
横抱き。
外套。
“ここがお前の家になる”。
思い返すだけで心臓に悪い。
「お食事をお持ちしますね」
「あ、いえ! ご迷惑をおかけするわけには――」
「旦那様の命令です」
即答だった。
私は黙るしかなかった。
しばらくして運ばれてきたのは、湯気の立つスープだった。
いい香りがする。
思わず、お腹が鳴った。
侍女がふっと笑う。
「可愛らしいですわね」
「っ……」
恥ずかしい。
でも、香りだけでわかる。
高級な食材だ。
「全部食べてくださいね」
スプーンを手に取る。
一口飲んだ瞬間、思わず目を見開いた。
「おいしい……」
濃厚なのに優しい味だった。
体に染み込む。
気づけば夢中で食べていた。
侍女が安心したように笑う。
「よかった。旦那様が料理長にかなり細かく指示を出しておりましたので」
「……公爵様が?」
「はい。“胃に負担をかけるな”“温かいものを”“栄養を優先しろ”と」
胸がざわつく。
どうしてそこまで。
私はただの厄介者のはずなのに。
「失礼する」
低い声がして、部屋の空気が変わった。
公爵様だった。
長い銀髪。
整いすぎた顔。
相変わらず近寄りがたいほど美しい。
侍女が慌てて頭を下げる。
「旦那様」
「下がれ」
「はい」
二人きりになる。
緊張した。
公爵様はベッド脇まで来ると、じっと私を見る。
「食べたか」
「……はい」
「全部か」
「え?」
「残していないな」
子供みたいな確認だった。
私は思わず小さく笑ってしまう。
「全部いただきました」
「そうか」
ほんの少しだけ、彼の表情が和らいだ。
それだけで空気が柔らかくなる。
ずるい。
顔が良すぎる。
「立て」
「え?」
「診る」
そう言われるが早いか、顎を軽く持ち上げられた。
近い。
近すぎる。
「こ、公爵様……!」
「アレクシスだ」
「え?」
「二人の時はそう呼べ」
心臓が跳ねた。
「い、いえ、そんな恐れ多いこと――」
「命令だ」
またそれ。
この人、すぐ命令する。
でも不思議と嫌ではなかった。
アレクシス様は私の頬に触れる。
ひんやりした指。
「熱は少し下がったな」
そのまま視線が首筋へ移る。
私はびくっと肩を震わせた。
「痩せすぎだ」
低い声。
「まともに食事を与えられていなかったのか」
「そんなことは……」
「ある」
断定される。
アレクシス様の指が、私の手首を包んだ。
簡単に掴めてしまうほど細い。
自分では見慣れていたはずなのに。
「軽すぎる」
その声に、怒りが混ざっていた。
どうして。
どうしてこの人は、こんな顔をするんだろう。
「少しずつ戻せ」
「え?」
「お前の体だ。丁寧に扱え」
胸が熱くなる。
そんなことを言われたのは初めてだった。
私はずっと、
家のために働くのが当然で、
我慢するのが当然で、
後回しが当然だったから。
アレクシス様は私の手を離さない。
「エリシア」
「……はい」
「もう無理はするな」
低くて静かな声。
でもその言葉は、不思議なくらい胸の奥へ染み込んだ。
泣きそうになる。
どうして。
どうしてこの人は、
私なんかにこんなに優しいんだろう。




