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港町で

港の喧騒は、想像していた以上に荒々しかった。


「道を開けろ!荷が通るぞ!」

「その値じゃ話にならねぇな!」


怒号と笑い声が入り混じる中、私は一歩、また一歩と足を進める。

ドレスの裾が汚れることなど、もう気にならなかった。


けれど――


「……ずいぶんと場違いなお嬢さんだな」


低い声が、すぐ背後から落ちてきた。


振り返ると、無精髭を生やした男がこちらを見下ろしている。

いかにも“ここを仕切っている側”の人間。


値踏みするような視線。

軽く見られているのは、明らかだった。


(当然ね)


私は一度、ゆっくりと瞬きをする。


そして、にこりと微笑んだ。


「失礼。ここで一番、話の通じる商人の方はどなたかしら?」


男の眉がぴくりと動く。


「……面白いことを言うな。嬢ちゃん」


「冗談ではありませんわ」


声は穏やかに、けれど一切揺らさない。


「“儲け話”を持ってきたのですもの。相手は選びたいの」


ほんの一瞬、周囲の空気が変わった。


ざわめきの中に、わずかな静寂が混じる。


男はじっと私を見つめ――やがて、くくっと喉の奥で笑った。


「いい度胸だ。……ついて来い」


---


案内されたのは、港の奥にある簡素な倉庫だった。


外の喧騒とは打って変わって、内部は静かだ。

だがその静けさの中には、油断のならない緊張がある。


「で?お嬢さんの“儲け話”ってのは何だ」


男が木箱に腰を下ろし、腕を組む。


私は少しだけ周囲を見渡してから、口を開いた。


「南方からの染料――最近、入荷が滞っているでしょう?」


男の目が細くなる。


「……誰から聞いた」


「聞いたのではなく、見たのです」


社交界のドレス。

貴婦人たちの不満。

仕立て屋たちの焦り。


すべて、繋がっている。


「供給が不安定。でも需要は落ちていない。むしろ高まっている」


私は一歩、男に近づく。


「つまり、“確実に手に入る経路”を押さえれば――価格は、こちらで決められる」


沈黙。


外から微かに波の音が聞こえる。


「……続けろ」


低い声。


今度は、試すようなものではなかった。


私は小さく頷く。


「私は、その経路を知っています」


もちろん、正確には“知っている可能性が高い”だ。

だがここで曖昧さを見せる必要はない。


「ただし、一人では動けない。資金も、人も足りない」


だから、と言葉を切り――


「あなたに協力していただきたいのです」


男はしばらく無言だった。


やがて、ゆっくりと立ち上がる。


足音が近づき、目の前で止まる。


「……嬢ちゃん」


見下ろすその目には、さっきまでの軽さはなかった。


「もしそれが嘘だった場合――どうなるか、わかってるな?」


「ええ」


即答する。


「すべてを失いますわね」


「違うな」


男は低く言った。


「最初から何も持ってねぇ奴は、“失う”ことすらできねぇ」


――正しい。


だからこそ。


「でしたら問題ありませんわ」


私は、微笑む。


「私は今、“何も持っていない”のですもの」


一瞬。


ほんの一瞬だけ、男の表情が止まった。


そして――


「……ははっ」


今度ははっきりと、笑った。


「気に入った。いいだろう」


手が差し出される。


「話、乗ってやる」


私はその手を見つめ、ゆっくりと握り返した。


その瞬間。


何かが、確かに動き出した。


---


倉庫を出たとき、空はすでに高くなっていた。


港の喧騒は相変わらず続いている。

けれど、その音の聞こえ方が少しだけ変わっていた。


「リシェル様……今の、本当に大丈夫なのですか?」


エレンの声には、まだ不安が残っている。


「大丈夫よ」


私は歩きながら答える。


「失うものがない人間ほど、強いものはないわ」


そして、ほんの少しだけ視線を遠くへ向けた。


王都の中心――かつて自分がいた場所。


「……それに」


小さく、静かに呟く。


「もう、“奪われる側”ではないもの」

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