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今後のこと

馬車は、王都の外れへと向かっていた。


華やかな中心街から離れるにつれ、石畳は次第に粗くなり、並ぶ建物も質素なものへと変わっていく。

けれど不思議と、胸の奥は軽かった。


――失ったのではない。

私は、手放したのだ。


「奥様……いえ、リシェル様。本当に、よろしいのですか?」


向かいに座るエレンが、不安げに問いかける。

その瞳には、まだ揺らぎが残っていた。


「ええ」


短く答え、窓の外に視線を戻す。


「もう“奥様”ではないわ。そう呼ぶのも、今日で終わりにしましょう」


エレンは一瞬だけ言葉に詰まり、それから小さく頷いた。


「……では、リシェル様。これから、どちらへ?」


その問いに、私はわずかに口元を緩める。


「まずは、港区画へ向かいましょう」


「港……ですか?」


意外そうな声。無理もない。

かつての公爵夫人が足を運ぶ場所ではないのだから。


「ええ。あそこには、まだ“価値を知られていないもの”が集まるわ」


――人も、物も、情報も。


社交界では見えなかったもの。

見ようともしなかったもの。


でも私は知っている。

あの華やかな世界が、どれほど狭く、歪んだ価値観で成り立っているかを。


「私はね、エレン」


ゆっくりと息を吐きながら、言葉を紡ぐ。


「“完璧な妻”でいるために、多くのものを見てきたの」


誰がどこと繋がっているのか。

どの家が傾き、どの商人が台頭し、どの噂が真実か。


すべて、覚えている。


「それを、今度は自分のために使うだけよ」


その瞬間、エレンの目がはっと見開かれた。


「……商いを、なさるのですか?」


「ええ」


迷いはなかった。


「ローディアの名を捨てた代わりに、“私自身の名”を立てるの」


馬車が大きく揺れ、やがて止まる。


扉が開かれると、潮の香りが一気に流れ込んできた。

人々の怒号、荷を運ぶ音、商人たちの駆け引き。


――生きている、音。


その雑多で力強い空気に、胸が高鳴る。


「さあ、始めましょう」


私はゆっくりと馬車を降りた。


裾を持ち上げる仕草は、かつての優雅なそれのまま。

けれど踏み出す足取りは、まったく違う。


もう誰の妻でもない。

誰かに選ばれる存在でもない。


「ここから先は、“私が選ぶ側”よ」


朝日が完全に昇り、港を黄金色に染め上げる。


その光の中で、リシェル・ヴァン=ローディアだった女は――


ただの「リシェル」として、最初の一歩を踏み出した。

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