6. 初めての舞踏会(前編)
「ねえ、アメリア。王都の街中に、素敵な服屋さんがあったでしょう? そこで何か買えたりしないかな。オーダーメイドじゃなくても、この国のドレスなら……」
「しかし、市販のドレスで宮廷舞踏会にふさわしいものが見つかるとは、到底思えません」
「いいのよ、アメリア。きっと、それらしく見えれば大丈夫ですわ」
未明。アメリアが手配した馬車に乗り込み、ゼーレは王都の街中へと向かった。ローブのフードを目深に被り、角も顔も見えないように隠している。
「こちらが、王都で最も有名な、大きなドレスの仕立て屋でございます」
アメリアに案内され、ゼーレは店の前で足を止めた。「すでに話は通してあります。どうぞご安心くださいませ」と、緊張した面持ちのゼーレに付け加える。
「ようこそいらっしゃいました、王子妃殿下。当店をお選びいただき、誠にありがとうございます」
店主らしき、洒落た身なりの男性が深々と一礼した。そして店の奥に向かって「お持ちなさい」と声をかけると、ほどなくして三着のドレスが運ばれてきた。
薔薇をあしらった豪華な赤いドレスに、水色を基調とした爽やかなレースのドレス、そして金糸の刺繍が施された、白を基調とする上品なドレスだった。
「宮廷舞踏会は、いわば華やかさを競う場でございます。こちらの赤いドレスなら、殿下の髪色にもよくお似合いかと」
本当は、大好きな水色のドレスを着たかった。けれど、今は自分の好みを脇に置いてでも、王子妃としてふさわしい装いを選ばなければならない。皆の言うとおり、華やかな場では王子妃としての立場を示すことも大切なのだから。
「では、それにします……」
急いで決めたドレスは、大至急サイズを直してもらうことになった。ゼーレとアメリアは再び屋敷へ戻り、すぐさま支度に取りかかった。
入浴から髪のアレンジ、メイクアップ、そして着替え。結局、腕の立つ者を見つけることはできず、アメリアとイザベラが懸命に仕上げてくれた。
「とてもお美しゅうございます、奥様」
一通りの支度を終え、どうにか舞踏会に出られる姿にはなったらしい。ゼーレも少しだけ安堵した。アーサー様は、綺麗だと思ってくださるだろうか。そんなことを考えてしまう。
「最後に、こちらを」
アメリアは、王家の紋章が刻まれた大きな宝石箱を取り出し、ゼーレの前でゆっくりと蓋を開けた。中には、銀色に輝く美しいティアラが収められていた。
「奥様のティアラでございます」
「わたくしの……?」
ゼーレはティアラを手に取り、そっと頭に載せようとした。
「……やはり、無理みたいですわね」
ゼーレは「えへへ」と照れ笑いを浮かべ、その場を取り繕った。角を持つゼーレには、人間のために作られたティアラは、どうしても大きさと形が合わなかった。
「……残念ですけれど、今日はティアラなしで参りましょう!」
ゼーレは小さく笑ってそう告げた。せっかくアーサーの妻となった証として身に着けられるはずのティアラだったのに、自分の角があるばかりに、それを戴くことすら叶わない。胸の奥に小さな寂しさを抱えながらも、すべての支度を終えたゼーレは羽織をまとい、ちょうど迎えに来た馬車に乗り込んで王都へと向かった。
◇◇◇
会場の外に設けられた馬車の到着場で、アーサーは壁に寄りかかりながら退屈そうに待っていた。
ソレイユの紋を刻んだ馬車が到着すると、アーサーはその脇へ歩み寄り、扉を開けた。そして、降りてきたゼーレを無表情に見つめた。
わざわざエスコートに来てくれたアーサーを見て、ゼーレはほっと胸を撫で下ろした。けれど、綺麗だと思ってもらえるだろうか、変じゃないかという不安も消えない。複雑な思いを抱えながら、ゼーレは差し出されたアーサーの手に自分の手を重ね、会場の中までエスコートしてもらった。
「ティアラはどうした」
アーサーは前を向いたまま尋ねた。
「申し訳ございません。角と干渉してうまく着けられませんでした……」
「そうか」
ゼーレは申し訳なさそうに答えたが、アーサーはそれ以上追及することもなかった。
会場に足を踏み入れた瞬間、ゼーレはその意味を思い知った。アメリアの言っていた、豪華絢爛という言葉の意味を。
招待された令嬢たちのドレスを目にした途端、先ほどまで美しいと思っていた自分の薔薇色のドレスが、ひどく安っぽく見えてしまった。見たこともないほど繊細なレースに、滑らかな光沢を放つ生地。そして、ドレスだけではない。彼女たちの身を飾るジュエリーもまた、見たことのない色や形をした宝石が、目を見張るほどの大きさで燦然と輝いていた。
ゼーレは恥ずかしくなった。こんな格好では、アーサーに恥をかかせてしまったに違いない。そう思ううちに、会場に入ってから少しずつアーサーの後ろへと下がっていき、やがて彼は振り向くことなくゼーレを残してひとり前へ進んでしまった。
そんなゼーレから離れたアーサーは、瞬く間に大勢の令嬢たちに囲まれた。
「アーサー様、今日もなんて素敵なのでしょう」
「どうか、今夜こそ一曲踊ってくださいませ」
「今日のドレスは、アーサー様の髪色に合わせて選びましたの」
ゼーレは初めて理解した。自分が一目惚れしたアーサーは、他の人々にとっても、それほどまでに美しい存在なのだと。
悔しくて、悲しかった。妻がいると知っているはずなのに、誰ひとりとしてゼーレに目を向けようとはしない。ゼーレはホールの隅へと移動し、壁際にそっと背中を預けた。
ただひたすらにアーサーを目で追いながら、周囲の人々を観察した。憧れていた人間の世界に溶け込むことは、思っていた以上に難しそうだった。これまで人間の集まる舞踏会で、こんなふうに無視されたことがなかったのは、きっと父である魔王がそばにいたからなのだと、このとき初めて気づいた。
他の令嬢たちに笑顔を向けるアーサー。
他国の姫君の手に口づけるアーサー。
誘われたダンスに応じるアーサー。
楽しそうに笑うアーサー。
そして、自分のことなど、探そうともしないアーサー。
ゼーレは今すぐにでも帰りたいと思った。
「このような場所でお目にかかれるとは、光栄です」
ふいに、目の前から男の声がした。栗色の短髪をきれいに整えた、明るく爽やかな雰囲気の良い男だった。鍛え上げられた体つきに、男らしく精悍な顔立ち。そんな人物が、どうして自分に声をかけてくるのだろう。ゼーレは思わず戸惑った。
「……人違いではございませんか?」
「まさか。薔薇のように凛としたマギナの姫君を、見間違えるはずがありませんよ」
「それなら、よかったですわ」
ゼーレは少し申し訳なさそうに、苦笑を浮かべた。
「俺はアルカディア王国騎士団長、ルーカス・シュテルンベルクと申します。どうぞ、ルーカスとお呼びください」
そう言うと、ルーカスは片膝をつき、ゼーレの手を取って優雅に口づけた。それから彼女の顔を少し見上げ、にこりと笑って立ち上がった。
「やはり、間近で拝見すると、その角は格別ですね。あまりの美しさに見惚れてしまいます」
「角、ですか?」
「ええ。俺は騎士として、これまで様々な国を訪れてきました。多くの魔族にも会い、それなりの数の角を見てきましたが、殿下の角ほど力強く、美しいものは初めてです」
ルーカスは屈託のない笑顔でそう語った。ゼーレは思わず、自分の角にそっと触れた。
この国に来てから、初めて褒められた。しかも、それが自分の自慢の角だった。嬉しさに、今にも涙がこぼれそうになる。けれど、せっかく綺麗にメイクしてもらったのだから、泣くわけにはいかない。ゼーレは笑顔を浮かべたまま、目尻に滲んだ涙を指先でそっと拭った。
その様子を見たルーカスは、先ほどまでの満面の笑みをふっと引き締め、ゼーレの手を優しく取った。
「いつでもお頼りください、ゼーレ様」
「え……?」
「お辛い時は、いつでもお呼びください。たとえどこにいようと、すぐに駆けつけますから」
あまりにも突然の親切に、ゼーレはどう反応すればいいのかわからなかった。ただ、心臓の鼓動がどんどん速くなり、今にも胸から飛び出してしまいそうだった。
ルーカスは戸惑うゼーレの目をまっすぐに見つめ、かすかに微笑んだ。
「それでは、また近いうちにお会いしましょう」
そう言って深く一礼すると、ルーカスは颯爽とその場を後にした。賑やかなダンスホールの片隅に、ゼーレだけが取り残された。心臓はまだ、ばくばくと激しく鳴っている。
「……いつでも呼ぶって、どうやって呼べばいいんだか」




