8.そして日常へ
『ほら、ここを読んでください【子供同士の結婚のみならず、友人関係も結ばない事を誓う】とあるでしょう?』
署名の際に、この辺りは特に念入りに説明をしている。記憶にあろうがなかろうが、そういう誓約をした事実は覆らない。
説明するヒースの声は諭すような音を保っている。感情に任せて突き放すような事をしていないのはとても偉い。
対するファイファ嬢の声はほとんど聞こえてこない。時折、か細い声が漏れているようだが意味のある言葉を返す事はできていないようだ。
淡々と説明するヒースの声を聴きながら、メニューを眺めて甘味を選んでいる。全員で。
ここまで来たなら、最後まで説明したヒースを引き留める事もできないだろう。疲れて移動してくるだろうヒースの分も込みで甘味の盛り合わせを幾つか選んでおく。
盛り合わせるケーキの種類で小競り合いが起きているのをぼんやり眺めている所に、ファイファ嬢が細い声を出したのが聞こえてきた。
『しょ…署名は、たしかに、わたくしがしましたが、それは過去の事』
『……そうですね、それで?』
ヒースの声の温度が一段階下がる。
ファイファ嬢の執念はまあ認めるけど、ヒースにこんな声を出させてまで手に入れたいものってなんなんだろうな?
『ここにも、記載があるように、関係性が変わったのであれば、この誓約書を破棄できるではありませんか…なら』
『関係性は、変わりましたか?』
ああ、ヒースの笑顔が落ちただろうな……と思った。
ヒースの感情を逆撫でし続けるファイファ嬢は、本当にヒースの外側のきれいなとこしか見えてないらしい。
思わず全員の動きが止まった事で、衣擦れの音一つしない室内には、二人の会話が良く通った。
皆、額を押さえたり、天を仰いだり、思い思いの体勢でヒースに想いを馳せている。よくがんばったよ…!
『ぇ……だって……だって今のわたくしはキャフル様の事をお慕いして…!』
『それ、変わったのは貴女の感情だけですよね? 私の外側を見て勝手に判断して、特に私を慮る事のない貴女と、そんな貴女に対して特に興味を持てない私という関係性は変わってない、でしょう?』
『っ…!』
そろそろヒース戻ってくるな、飲み物どうする? と問われたので、レモネードを私の分と合わせて二つと頼む。
『入学直後から貴女が…いえ、あなた達が私の事を忘れているのは理解してましたし、そこから普通に友人として関係を構築してきたのであれば誓約書の破棄も吝かではないと考えていましたけど……この誓約書に署名をした人達の反応はだいたい同じで、私に敵愾心をむき出しにするか、すり寄って思い通りに動かそうとしてくるかのどちらかでしたね』
耐え切れずにファイファ嬢が膝をついたのだろう、やや重い打撃音がした後、そんなつもりはなかった、とか、それでもあなたが、みたいな涙声が聞こえてきていたけど、ヒースに対しての謝罪やそれに類する言葉は一言たりとも聞こえてこなかった。
ヒースもそれを確認したのだろう。
『そんなわけで、私は誓約書の通り、貴女と如何なる縁も結ぶつもりはありません、悪しからず』
そう言った後、簡単な挨拶をしたヒースが部屋を出る音がした。その時点で精石は用済、停止処理。
空の食器類をまとめて回収依頼を出したら、新しく頼んだ甘味と飲み物をそれぞれの席に分配する。
ヒースの分を含めて、全員の席に分配が終わった所でこちらの部屋の扉が開いた。
「お疲れ様、ヒース」
「つかれたよおさふぃ―――…!」
扉を閉めるまではよそゆき顔を保ってていたヒースが、くしゃくしゃの顔になって肩になついてくる。
そのまま床に座り込みそうになるのを支えて、隣の椅子に座らせ、グラスを手に持たせる。ヒースが両手で包んだグラスからレモネードを飲むのを眺めながら…ふと我に返った。
「んああついうっかり…!」
「えへ、ありがとうサフィ」
「相変わらずの面倒見の良さ」
アーキアに苦笑されて両手で顔を覆う。昔はヒョロヒョロしていて、うっかり変な体勢で転びそうになったりしていたヒースを支えたり、それ以外にもなにくれとなく面倒を見ていた。
健康になり、私より体格もよくなったヒースにはもうそんな世話を焼く必要はないのだが、何かの拍子に私のスイッチが入ると昔のように手を出してしまう癖が残っており…時々こうなる。
疲れたり凹んだりしたヒースのくしゃくしゃの顔がスイッチの一つのような気はしているが……今日はまあ、いいか。
面倒くさい相手と一人でお話してきたヒースを労うのだ、大義名分がある。それに、今ここにいる皆は知ってる事だしね。
「うん、今日はしょうがないってことで」
「開き直ったぁ」
「これは割増で面倒見がよくなる開き直りっぷりと見ました」
「ほっといて! ほらヒース、疲れてるんだから糖分を摂りなさい!」
「はーい」
どんなに格好良くなって、どんなに立派になっても、かわいくてほっとけない所があるのが私の知ってるヒースだ。
そういう所全部ひっくるめて私はヒースを愛してるので、外側しか見てない人間に婚約者の立場を譲るつもりはない。
今回はヒースが頑張ったけど、次があるようなら私が出張ろう。と考えながら、ヒースの頬についたクリームを拭った。
「…シゴデキスパダリになったら振られる気がする」
「なってから言って?」
***
ファイファ嬢から情報が回ったようで、ギラギラガールズは大人しくなった。
署名をした件とか、そのあたりの詳細を彼女達が思い出したのかどうかは定かではないが、こちらとしては重要視もしてないし、これ以上関わる気もない。
別の科のお嬢さん達も一時期に比べると大人しくなったので、こちらとしては学園生活が落ち着いて良い所。
「ヒースったら三年も我慢してえらいわね…」
「直接来る人がいなかったから放置してただけだよ」
カフェテリアで昼食を摂りながら、先日の話を伝えたヒースに対するレティのリアクションである。
レティの方にも、昔を忘れて色々接触しようとした人間はいたようだけど、直接来る前に先手を打ったのだそうだ。
「誓約書に名前がある人間に、私を見ると昔の私達の絵姿が見えるようにねえ、呪いをかけたの」
「手段を選ばなすぎでは?」
「ある意味正しいと思うけど、そんな対処ができるのはレティくらいよ……」
呆れた声を出す事しかできなかったけど、確かにそれは無駄がなくて良いなと思ってしまった。
ちなみに、魔術科と呪術科は共同授業がある。力の使い方が似ているので、両方扱えるようになる可能性は少なからずあるそうだ。
とは言え、学生のうちからどちらも使いこなせるような人間は稀なので、レティが優秀なのである。
呪いにめげずに、あるいは過去を反省して近づいてくる者がいるなら、誓約書を破棄しても良いかなとレティは考えていたようだ。
しかし、改めて繰り返すが、今のところ破棄された誓約書は一枚もない。
数年で人間が劇的に変わる事も、稀なのだろう。
「あ、そうそう、昨日からレイナが体調を崩しててね…」
「何?! 私はなんの連絡も受けていないぞ! すぐ行こう!」
「はいはい、ステイステイ」
「むきゅっ…」
風の精霊に毎度おなじみの拘束をしてもらって、私とレティは苦笑する。
レイナが体調を崩したら、ヒースがレイナの元に向かう。それは何の不思議もない事だ。
「今回は病気じゃないみたいだけど、一度診て欲しいから、今日の帰りに寄ってもらえると助かるよ、主治医サマ」
「…すまない…では帰りに寄らせてもらうとするよ」
ヒースはレイナ・レティの主治医を務めている。
その関係で、レイナの室内にはヒースの守護精霊の分体が控えており、何らかの病が紛れ込むとヒースと共にいる本体に連絡が届くようになっているわけだが、それはさておき。
ヒースの立場としては、彼の守護精霊が対応できる範囲の病や不調に関してのみ医者と同等の対応ができると言うものだが、対応外の場合でも適切な医者や術師に繋ぐ事ができる立場にいるのだ。
この立場は、ヒースが病の守護精霊との意思疎通ができており、精霊術師として国が定める基準を満たしている事。そしてその関係でエクスターク家とリジン家が共同で運営している研究所の職員である事の二点を踏まえて公的に認められている。
公的に認められなくても、レイナ・レティの血の病を治し、魔力過多症への対処をしてくれたヒースに恩義を感じているメディウィル公爵は、公爵家専属医師として抱え込むつもりだったようなので、大きく立場が変わる事はなかっただろうけれど。
全ては『少し調べたらわかる事』なんだよね。
と誰ともなく呟いて、私達は午後の授業に向けて動き出した。




