凛として咲く獣-04
「お前さ、絶対にウチになんか仕込んでるだろ?俺が帰ってきた途端にお前がダッシュでウチに来たし」
「ん~?さぁ、どうかしら」
二人の男女が、親しげに会話しながら日の落ちた街を歩いていた。
どちらも20代と言った所だろうか?それくらいに見える雰囲気を醸し出していたが、どちらも実年齢が13歳と言えば、だれしも驚くだろう。
その少年、石川寅之助は、足元に落ちていた石に気づく。
それをスニーカーの爪先で軽く蹴り上げて宙に浮かし、そして中空で再度、蹴り飛ばした。
人工水路に向かって飛んで行ったその石は、何度も水切りし、50メートルはあった向こう岸まで届く。
「へぇ」
その少女、武蔵野巴は眼鏡の奥で、少しだけ目を丸くした。
寅之助は得意げになって巴を見る。
「どうだ?中々のもんだろう?」
「んん、かくし芸には困らなそう」
巴はあまり表情が変わらないが、それでも口角は少しだけ上がっていた。
だが、何かに気づいたように目を伏せると、顔を無表情に戻した。
「強く……なっているわね」
その態度に、寅之助も気づく。
「ああ、そうだな。いつだって鍛えてる。限界までな。誰にも負けたくねぇ」
人の味を覚えた虎のような顔が、牙をむき出しにしていた。
先ほどまで、巴には安心さえも与えていた太い手足が、急に触れればケガをする凶器に見えた。
「率直に聞くわね。どうして学校に来なくなったの?」
「……仕事してる」
「どんな?」
「体を使う仕事」
そこまで言うと、巴は小さくため息をついた。
そして顔を上げると、冷たい視線で寅之助を見た。
美しい顔だった。
寅之助は、その顔が何よりも怖い時があった。
「そういう稚拙な問答はやめましょう。私達らしくない。全部話しなさい」
有無を言わさぬ、毅然とした口調。
巴の凛とした美しさが怖くなるのは、こういう時だ。
寅之助は目をそらして頭をかいた。
「……まず知っていると思うが、半年前にギャング同士の抗争があっただろ?あれでウチの店が半分吹っ飛んでね。しかも保険は一部しか出なかった。……そのあとにウチのジジイが倒れてね、入院してる。で、入院費を稼ぐために、賭け試合に出てる」
「賭け試合?どこで……?」
「言う気はねぇよ」
巴の刺すような視線を、寅之助の獰猛な目が受け止めていた。
お前であっても、絶対にここは引かない。そういう目であった。
巴は話題を変えた。
「行政には相談した?私も力に、なれるかも」
「したさ。保護を受けるためには中途半端に壊れたジジイの店が資産って話でね、金を出して欲しかったらまずは店を売っぱらえとさ。ま、戦争の復興も全然終わってねぇ。社会保障費も切り詰めてんだろうな」
ニュースの中身が、飛び出してきた気がした。
文字や映像でしか知らなかった話が、目の前の、それも家族以外で最も親しい相手に降りかかっている。
わずか13歳の、親もいない子供に、このネイモアシティがこうも厳しいとは。それも彼はギャングの抗争に巻き込まれた被害者だ。
巴は、おおよそ想定はしていたが、それでも頭を殴られたようだった。
そしてこれから口に出す言葉は、覚悟が必要だった。
「私が軽々しく言える事じゃないのは、分かっている。でも客観的な状況は変わらない……」
「頼む。そこから先は言うな」
「お店を売るよう、おじいさんを説得すべきよ」
「……」
寅之助は両目をつぶり、なんともいえぬ表情を作った。
ああ、そうだな、と。
この娘はこういう人間だ。
彼女の正しさは明るく、強く、そして時に他人を傷つける。
「あの店はさ、ジジイの奥さんの夢だったんだとよ。俺がジジイに引き取られた時にはもう死んでたから、会った事ねーんだけど」
寅之助は、目線を明後日の方向へ向けて喋り始めた。
「ジジイが宇宙怪獣だったかロボットだったかの戦争から帰ってきて、そんで夢だった店を出して、そうしたらポックリ逝っちまったそうだ。店で生活できてたのは5年くらいつってたかな」
寅之助は祖父の顔を思い出す。
いつもふざけた冗談しか言わない、だらしのない祖父が、自分の死んだ妻の話をするときだけは誠実なのだ。
「だから、あの店は売れない」
「貴方の行動は尊い。それでも、そのために貴方の人生が壊れるのは間違っている」
強いな、と寅之助は思った。
この武蔵野巴という女は、他人の感情が分からない女ではない。
むしろこの冷たい表情の下に、誰よりも暖かい心を持っている。それを一番知っているのは自分だと、寅之助は思った。
「私が、貴方のお爺さんと話す。あの人なら、絶対に理解してくれる」
「やめろ」
低く怒気を孕んだ声で叫んだ。
野生の虎の唸り声のような声。
巴でさえも、そう多く聞いた事のない声。
そしてその声が巴へと向かってきたのは、初めてだった。
「ジジイはこの話を知らねぇ。保険で賄えてると思ってる」
「なら、猶更……」
「お前の言う通りだよ。ジジイは、きっと俺のためなら店を捨てるよ。そんなジジイの店だから、俺は守る」
巴は、胸が締め付けられるようだった。
ああ、そうだ。
この石川寅之助という男は、罰を与えるように自分を傷つける事がある。
何故かまでは分からない、それを理解したいと思っている。だが分かるのは、そんな時は、決まって誰かに対する優しさが根底にあるのだ。
「それに、大した事じゃねぇ。ジジイは脳梗塞だったらしいが、今じゃだいぶ回復してる。それでも様子を見て1年は絶対に入院てのが医者の話だ。その程度の期間なら、別にいい」
(うん……?)
巴の知性が、別の話に反応した。
だが、その話はとりあえず横へ置く。
「貴方がいる場所の具体的な危険は分からない。それでも至当な場所ではないのは察せるわ。1年間、貴方が無事な保証は全くない」
「ああ、そうだな。だが選択肢はねぇ。それに、案外向いてるよ」
「今のままでいられる蓋然性は低いと言っているの。もっと酷い犯罪に加担させられるのかもしれないのよ。いえそれだけではなく、殺されるかも」
「じゃあ、どうすればいい?カネでもくれるのか?」
平行線だった。
社会のねじ曲がった特異点は、13歳の二人にはあまりにも重かった。
「……もう帰ろうぜ。お前、明日も学校あんだろ。送っていく」
「別に良いわ。このあたりは治安もいい」
「そうはいくか。今は警察だって信用できねえ。それに、すべての女の子の敬意を払え、ってどこかの幼馴染に、ガキの頃に叩き込まれたしな」
寅之助は笑顔を浮かべた。
悲しい笑顔だった。
二人は無言でモノレールに乗り、この多層構造都市の最上層である、地表ブロックで降りる。
そして、駅に乗り捨てるように置かれた巴の電動キックボードを、寅之助は畳んで、当然のように抱える。
巴はそれに小さく礼を言った。
交わした言葉はそれだけ。あとは無言のまま、連れ立って巴の家まで歩いた。
武家屋敷風の邸宅であった。
「……じゃあな。また時々会おうぜ」
その気はなかった。
もうこれで巴とは会うまい、少なくとも、祖父が退院するまでは。
そう寅之助は決心していた。
「待って。お願いだから少しここで待っていて」
巴はそういうと、急いで家へと戻った。
そして数分後、戻ってくると、寅之助にぬいぐるみを手渡した。
日本犬を模したと思われる、色あせた小さなぬいぐるみだった。
「少女趣味だなんて笑わないで頂戴。だけど……」
巴は小さくうつむいた。
「せめて、このぬいぐるみをもっていて。大切な物なの。だから、これを必ず返しに来て」
寅之助は驚き、そして、徐々に穏やかな顔に戻った。
「へぇ、お前がこういうタイプだとはな」
「良いでしょう別に。できれば、常に近くに置いておいて」
巴は目を潤ませていた。
それは、寅之助でさえ初めて見る表情だった。
「分かったよ、必ず返しに来る。だから、そんな顔すんな」
「近くにも置いておいて。いつでも」
「分かったって」
そういって寅之助と別れた。
手をふって歩いていく寅之助を、巴は小さくなるまで見守っていた。
そして寅之助が見えなくなると、巴は目をふいた。
乾いた目であった。
「ちょっと演技過剰だったかしら?」
巴は目薬をつまみ上げ、しげしげと眺めた。
だが巴は知っている。一番良い嘘というのは、真実の中に混ぜる嘘。
寅之助が心配だという気持ちは、一片の曇りなく真実だ。
ついで自分の端末を操作し、追跡アプリを起動する。
通信は良好。
ぬいぐるみの中に仕込まれた追跡装置は、数センチの誤差で寅之助の動きを追っていた。
「やれやれ、手のかかる友達だわ、昔からね」
巴はそういって、僅かに口角を上げた。
いつもの巴であった。




