凛として咲く獣-03
夕暮れの時計店に、ガラス戸から日差しが差し込んだ。
光は入口に立つ少女を照らし、その奥にいる少年には届かない。
「何しに来た?」
少年は、口を開いた。
目いっぱい敵意をにじませて、言葉を紡いだ。
しかしそれが虚構であることは、少女に見抜かれていた。
「とりあえず掃除を手伝うわ。さっきも言ったけど、可愛いエプロンね」
「ぬ」
筋骨隆々の少年が、ピンクのエプロンを身に着けて掃除している姿では、確かに悪意など伝わろうはずもない。
少年は苦虫を嚙み潰した顔を浮かべながら、掃除用具を探している少女に、必死に反論を試みる。
「これはウチのジジイの趣味だ」
「ええ、疑わないわ。でも貴方、結構可愛いものが好きよね」
少女は眼鏡を通して、涼し気な目で少年を見つめてそう返した。
僅かに上がった口角には、13歳という年齢に見合わない凛とした美しさがあった。
少年は観念した。
この少女との付き合いはもう10年にもなろうか。しかし勝った事は両手で数えられるほどだ。
「ああもう、掃除は良い、本当にもう終わりだ。何しに来たんだよ」
少年は掃除機を片付け、エプロンを脱ぐ。
おそらく無意識なのだろう、彼が丁寧にエプロンをたたむ姿を見て、少女は可笑しくて笑い、そして安堵した。
まだ、この少年は変わっていない。
「……何か二人で食べにいかない?」
日がさらに傾き、光は少年まで届いた。
少女の名は、武蔵野 巴。今年の5月で14歳。
少年の名は、石川寅之助。来年の2月で14歳。
二人は日の傾いた街を、連れ立って歩いていた。
「ん……?今日はここではなくて?」
巴は足を止め、寅之助はそのまま通り過ぎた。
巴が指をさしたのは、寅之助がお気に入りの町中華だ。
中学生の財力でも利用できる、手ごろな店。
「たまには別のもん食いたいだろ。おごってやる」
「私、ここで良い。というか、ここが良いんだけど」
初めて食事した時は、衝撃だった。
巴にとって外食とは、清潔で、厳かで、繊細な味が楽しめる場所だったからだ。
小学生の頃、寅之助と遊んだ帰りに来たこの店は、その常識をすべて覆した。
油汚れした店に、乱暴で雑な味。最初は嫌悪感さえあった。
だが巴の世界が広がっていくうちに、そして寅之助と何度も行くうちに、気付いたらお気に入りの場所になっていた。
寅之助とだけでなく、別の友人達やアリシアとも良くここへきているほどだ。
「……俺が、嫌なんだよ」
寅之助は変わっていない。
それは確信できる。
だが『何か』が寅之助にまとわりつき始めている。それを巴は直感的に見抜いた。
「……ええ、良いわ。ぜひ新しいお店を紹介して頂戴」
そしてその『何か』を探りにここへ来たのだ。
巴は寅之助の誘いに乗った。
三次元モノレールに二人は乗ると、第1ブロックで降りた。
巴の住居ブロックよりは一つ下、寅之助の住居ブロックよりは三つ上の階層だ。
第4ブロックのようにどこか薄汚れていない、小ぎれいな街並みが眼前に広がる。
そこから路面電車に乗って向かった先は、小規模なビストロだった。
「あら」
巴がかつて知っていた『外食』の概念に近い店。
思っていたような店ではなかった、そう思い安堵するが、すぐさま思い直す。
「メニュー、見るか?」
巴の気持ちを知ってか知らずか、寅之助は普段の様子のままメニューを差し出した。
丁寧な装丁に箔押しの文字。
おそらくはフォントも既製品ではなく、この店のこだわりが見て取れた。
高級店ではないが、中学生の、それも『寅之助』の財力ではかなり厳しい店なのは、このメニュー一つでもはっきりとわかる。
巴は言葉を選びながら、寅之助に探りを入れる。
「珍しいわね。貴方がこういう店を選ぶなんて。嫌いじゃないわ」
「そいつは良かったよ」
寅之助はニっと笑った。
実のところ、巴はこの店の雰囲気を本当に気に入っていた。
これは寅之助の影響もあるであろうが、あまり極端に畏まった店よりは、適度に庶民的な雰囲気の方が好きだ。
それでいて、こういった丁寧に作られたメニューのように、細部へのこだわりがある、そんな店。
巴の好みにパズルのようにかみ合う店であった。
(さて……)
巴はメニューを見るふりをしながら、寅之助の心理を読む。
友人と食事に来ているのだ。別にあの町中華でなんの問題もない。
だが寅之助は明確に『嫌』と言った。
なぜ嫌なのか?これは寅之助の無意識のアピールではないのか?
この店が寅之助の財力に見合わないのは明白だ。
それがバレないと思ったのか?この少年はそこまでバカではない。
彼の状況に思いをはせる。
彼の祖父、正確には大叔父が入院してその一か月後に、彼は急に学校へ来なくなった。
そして再開すると、この羽振りの良さ。
彼は無意識のSOSを、自分に発している。そして彼が今どのような状況か、おおよそ察せる。
「とらの……」
「あのよ」
巴が名を呼ぼうとする前に、寅之助が視線を切りながら語り掛けた。
断固たる強い意志が見て取れた。
「お前は頭がいい。そしてまぁ、強くて、イイ奴だ。だから俺は、お前から逃げ回っていた。きっとこの後はケンカになる。だからよ、せめて美味いメシ食った後にしねぇか」
巴の良く知る普段の寅之助だった。
余裕があって、強気で、そしてどこか素直で。
「久々に会えて、正直うれしかった」
寅之助は、視線を切ったままそう続けた。
「そうね。……私も」
巴は小さくうなずいた。
一つだけ読み違えたな、と思った。
彼がこの店に自分を連れて来たのは、ただ単に、久々に会えた親友を喜ばせたかっただけなのだ。
尊い気持ちに二人は満たされた。
そしてその根源が何なのか、二人とも気づいていなかった。




