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凛として咲く獣-25

「病院?」


巴はユラの働いていた店に入り、従業員に写真を見せると、拍子抜けするほど簡単にユラの話が聞けた。

従業員の個人情報を保護するという発想はないようであった。


「そう、病院に担ぎ込まれた後はどうなったか知らんよ。自分にクスリ打ちすぎて泡拭いてさ、慌てて救急車を呼んだもんよ。ったく、迷惑なもんさ」


嘲るように店員は言葉を発した。

その態度から、部外者へと簡単に情報を漏らした理由を、巴は察する。


「……あまり、好かれてはいなかったようですね」


「そりゃもう最悪だよ。子供に平気でクスリを売るってだけでも論外なのに、無駄に客取ったり男を捕まえるのは上手くてさ。そのくせ自分に都合が悪い事が起こると、すぐに昔の男の名前を出すわけよ。トラちゃんがどうのかって」


不意打ちに、巴の心臓が高鳴った。

『トラちゃん』。

どう考えても寅之助の事だろう。それを考えただけで、巴は息が詰まりそうになった。


「……ところでアンタ、中々可愛いな。ウチで働いてみる気はないか?アンタなら稼げるぞ」


店員の言葉に、巴は現実に引き戻される。

務めて無表情を作り、口を開いた。


「その冗談、流行っているのですか?それよりもユラさんが運ばれたという病院は?」





ユラが運ばれた先は意外にも、この地域の真っ当な基幹病院だった。

もっとアウトローを専門に相手にするような、薄暗い場所へ運ばれたと考えていた巴は拍子抜けした。


場所が変われば常識も変わる。

この第6ブロックの歓楽街に居を構えるような病院ならば、銃によるケガや薬物中毒で運ばれてくるような患者など、日常茶飯事なのだろう。

そしてそんな患者をいちいち通報していては、この病院に患者が来なくなってしまう。

営利的な意味ではなく、この地域の住人の命を守るための、医師としてのプロフェッショナルな判断なのだろう。


「さて、入院先をどう探すべきか……」


巴が独り言ちた瞬間、一人の医者と目があった。


「武蔵野さん!?」


「黒手先生!」


二人は、思わず声を上げた。

かつて巴が、寅之助の祖父が入院していた病院の不正を暴いた際、彼女に協力してくれた医師であった。


「いやはや、ずいぶんと意外な場所で会うものだ」


「こちらに勤めておられたのですね。お子さんのご容態は?」


「ああ、おかげ様で退院できた。5年ぶりだよ、家族全員で食事をしたのは」


そう語る黒手医師の目には涙が浮かんでいた。

それを聞いた巴も、ほっと安堵する。


「そういえば、告発はありがとうございました」


「お礼を言うのはこちらの方だよ。なにせもらったメモリの中身を確認したら、内部通報者保護法を分かりやすくまとめたマニュアルまで入っていたのだから」


「稚拙な作りでしたが、お役に立てたのなら幸いです」


そういって巴は僅かに口角を上げた。

つられて黒手医師も微笑む。


「しかし、まさか第6ブロックの病院に勤めておられるとは」


「ん……そうだな。贖罪と言えば大げさだが……少しでも医者としてマシな事が出来ないか考えてね。妻も納得してくれたよ」


「それでここへ?」


「ま、どちらにせよ汚職に手を染めた医者を雇ってくれる場所が、そんなに多くは無かったという即物的な理由もあったがね」


そういって黒手医師は笑った。

その顔は、巴が彼と初めて出会った時よりもずいぶんと穏やかで、そして充実した顔に見えた。


「おっと、話し込んでしまったね。それでどうしてここへ?」


「そうでした、実はこの病院に運び込まれた女性を探していまして。ユラ・ヴェラという名前なのですが……」


「ふむ、少し待ちなさい」


そういうと巴を待合室へと待たせ、黒手医師は一旦、近場の病院事務所へと引っ込んだ。そして数分後、印刷した資料を手に戻ってくる。


「どうでしたか?」


「うん、残念だが……」






巴はそれから、病院から僅かに電動キックボードを走らせた、小高い丘の上にいた。

そこには、大理石で作られた、厳かな塔が立っていた。


「ここで文字通りのデッドエンド、か……」


その塔は、身寄りのない、遺体の引き取り手のない人間たちの無縁塚であった。

ユラは病院へと搬送された直後、息を引き取ったとの事であった。


「わざわざここまで来て、私は一体、貴女とどんな話がしたかったのでしょうね」


塔の前で、巴は独り言ちた。そして踵を返そうとした、その時であった。

彼女の良く知る、肉の塊のような少年の姿が、目に入った。


「寅之助……?」


「やっぱりお前だったか」


手に花束を携えた寅之助が、丘の上へと昇ってきていた。





「知っていたの?」


「まさか。ついさっき知ったんだよ。それよりどうしてお前がここへ?」


「貴方こそ、どうやってここを?」


寅之助は、慰霊塔へと献花した。

全てがどこか薄汚れている第6ブロックであったが、この場所だけは美しく保たれていた。


「どうやって、って……ユラさんがどの辺で働いてたのかは知ってたし、そこまで行って、知ってそうなヤツに質問して回ってただけ」


「その頬は、『質問』の成果?」


そういって巴は頬を指さした。

寅之助は何にを指摘されているか気づき、頬をぬぐった。付着していた返り血が剥がれ落ちる。


「おっと。この場所に無礼なもんを付けてきちまった」


「全く……。それで、『どうやって』は理解したけれど、次は『どうして』?」


「どうして……か」


寅之助は困ったように頭をかいた。

そしてぽつり、ぽつりと言葉を紡ぎ始める。


「俺は……この間、ユラさんの話をして、今からでも遅くねぇかもって思ったんだよ。嫌われようが、余計なお世話だろうが、どうにか助けられるかもなって。まぁ遅かったんだけどな」


そういって自嘲的な笑みを浮かべた。

痛々しく、他人を拒絶するような笑み。


「……優しいわね、貴方は」


「優しいもんかよ。優しかったらもっと早く来ている。ただ、ジジイに言われただろ?自分の為だけに生きるなって。それをやらなきゃと思っただけさ」


ぽつ、ぽつと雨が落ちた。

空は晴れている。


「……そうだよ。俺は全然優しくねぇ。俺は自分の事しか考えちゃいなかった。やっと元の生活に戻れたのが楽しくて、ユラさんの事なんか頭から抜け落ちちまってた。俺こそただの偽善者だ」


「やめて。違う。貴方は偽善者じゃない、これはどうしようもなかった」


「どうしようもなくあるかよ!俺が『アトロシタス』から出て、すぐに会いにこれば良かったんだ。学校なんか行ってないで……そうすりゃ間に合ったかもしれねぇ。何とかなったんだよ……」


寅之助は膝から崩れ落ち、両手を大地に着けた。

そんな寅之助に、巴はそっと寄り添い、肩を抱いた。


「貴方のその考えは、明確に間違いよ。自分の全てを使う人間以外を優しいとは言わない!?すべて偽善!?バカな事を言わないで!」


いつの間にか、巴も涙を流していた。

巨大な体を、まるで小動物のように震わせる寅之助に、覆いかぶさるように抱きしめて、二人で涙を流していた。


「……私たちは確かに、自分たち以外の事も考えていく義務があると思う。でもだからって、幸福になる権利が無いなんて言わせない」


「お、おおおぉぉぉ……っ」


獣の悲痛な咆哮が、大理石の棟を震わせた。

その背後では、第6ブロックを支える巨大な卒塔婆のような支柱が、揺るぐことなく少女たちを睥睨していた。





寅之助は、塔の前で首を垂れていた。そしてその横で、巴が目をつぶって手を合わせている。

その美しい顔を、寅之助は横目で見た。多くの物が救われた気がした。


「……人生で初めて、宗教を信じて無くて少し困ったよ。死人に対して、何をどう祈ればいいか分からなかった」


十数秒の瞑目の後、寅之助は口を開いた。


「私だって別に、56億年後に超常的な知性体が全てを救済するなんて、荒唐無稽な話を信じているわけじゃない」


「なら何故、手を合わす?」


寅之助の問いかけに、巴は視線を合わさない。ただ無表情のままに慰霊塔を見据え、口を開いた。


「相手と、自分への敬意。相手が死者だろうと敬意を払う事は可能だし、その敬意を示すフォーマットが、私の場合はたまたまブッディズムだったというだけ」


「お前らしいや」


巴は答えなかった。

そして、踵を返した。


「もう行きましょう。こんな石の下に、彼女はいないのだから」





二人は無言のまま、三次元モノレールに並んで乗った。この車両には、巴と寅之助だけであった。

不思議な浮遊感を覚える超電導モーターの駆動音だけが二人を包む。

そして突然、巴が口を開いた。


「寅之助」


「ん?」


「セックスって、したことある?」


再びの沈黙。だがそれはすぐに破られた。


「……誓って言うが、ユラさんとは何も無かった」


「じゃあ、他の人は?」


今度は、寅之助は答えなかった。

モノレールは古い区画へと突入し、先ほどまで安定した音を立てていたモーターが、不安定に甲高い音を立て始める。


「……『アトロシタス』って所は、暴力を振るえるオスが評価される下らねぇ場所でな。俺はそこじゃあ、一種のアイドルみてぇに扱われていたところがあってな」


寅之助は、ゆっくりと答え始めた。

安定した速度制御を約束する高精度なサーボも、レールの側が不安定であれば完全ではない。モノレールを小刻みな振動が襲った。


「そうなると、俺の事を食ってみたいって、金持ちの年上のお姉さんが何人か出てくるわけだ。……そんで、そういうのが、悪くねぇ稼ぎになるんだよ」


「……そう」


「していいぞ、軽蔑」


巴は、自分の中に僅かに残った澱みが広がった気がした。

そして何かが、切れた。


「寅之助」


「なん……!?」


巴は無理やりに、寅之助の顔を掴んだ。まるで万力の如き強靭な力。

彼女自身、自分のどこからこれほどの力が出ているか、全く分からなかった。

しかし、そんなことはどうでもよかった。


「と、巴……?ちょ、巴さん?」


困惑する寅之助を、巴は無理やり自分へと向き合わせた。

そして獣が獲物を捕食するが如く、唇を触れ合わせた。


「ん……」


「ぬ……ぷはっ!」


寅之助は、無理やりに顔を引きはがした。

5kmの道のりを日常の心拍数のまま走りきれる寅之助であったが、今この時ばかりは心臓が破裂しそうであった。

そしてそれは、目の前の少女も同じ、いやより深刻な様子であった。


「な……な……何しやがる!?」


「……キス」


巴は小声で答えた。

そして顔と言わず耳と言わず、全身を茹で上がらせたまま、巴はどこか冷静に考えた。

私はきっと、ユラという女性に宣言するために、第6ブロックへと行ったのだ。

貴女がどれだけ寅之助に心を砕かれていようと、今この男は私のものだ。それを言いに、会いに言ったのだ。巴はそれを明確に自覚した。


「……貴方が私の事をどう思っているか、聞いてしまったの」


蚊の鳴くような声のまま、巴は小さく呟いた。

歓喜と、絶望と、混乱の渦の中にいた寅之助は、それを聞いて体が硬直する。


「あのお喋りめ……」


「アリシアから聞いたわけじゃない。あの場に私もいたの。……全部、聞いてしまった」


寅之助の顔が曇った。あまり聞かれたくない言葉も、ずいぶんと並べたはずだ。

だが巴はどこか嬉しそうに口を開く。


「……私が指示しなければ、貴方はお手洗いにも行けない。そんな関係も……悪くない」


巴は、彼女が女王のように振る舞い、寅之助が指示を忠実に遂行する。そんな二人の未来を想像して、身悶えする。

自分さえ間違えなければ、きっと寅之助を幸福にできる。寅之助自身がそれを望むと言うのなら、それは一つの選択肢であるように思えた。

だが寅之助は、自分を律する事が誰よりも得意な少年は、ゆっくりと、そして明確にその未来を拒絶する。


「俺は……お前をそういう人間にだけは絶対にしたくない」


「どうして?その理由を、貴方の口から聞かせて欲しい」


寅之助も巴も、もはや全身が紅潮していた。二人とも目の焦点が定まらず、何を考えていいかさえ分からない。

ただただ外部の入力に、反射的な出力を返すのが精いっぱい。

しかしそんな状況であっても、何よりも大切な物を蔵の奥から取り出すように、少年は可能な限り思考しながら、言葉を紡いだ。


「お前が、武蔵野巴という人間が、一番大切にしているものが、他人の尊厳と客観的な正義だから……俺はそう、思っている」


ああ、嬉しいな。

巴はこう思うのは何度目か、もはや数えられなかった。

自分が大切にしている形の無いものを、自分ではない誰かが当ててくれる。これはきっと、ホモ・サピエンスという生物にとって、最も歓喜を感じる部分を押すスイッチだ。

そのスイッチを、もっと押して欲しい。

そう思い、巴は言葉を浴びせかける。


「それ、私をまた美化していない?」


「それだけは絶対にない。だったらなんで4歳の時に、見ず知らずの俺を助けた?」


「ただの気まぐれかも」


「じゃあ俺とジジイを死ぬ思いまでして助けてくれたのは?」


「所有欲じゃない?」


「だったらなんで、さっきあんな顔をしてユラさんに手を合わせてくれたんだ?」


清められた水が、澱みを洗い流してくれた気がした。

三次元モノレールが古い区間を抜けて、再び安定的なモーター音を取り戻す。


「それは……自覚が無かったわね……」


ああ、好きになったのが、この人で良かった。

切れたものが、繋がっていく気がした。

寅之助が、肩を寄せた。


「……絶対の約束はできない。だけど俺は必ず、いつかお前に追いついてみせる」


「もう追いついているとは、思わない?」


「今の、この状況を見てみろ。お前がその気なら俺は手も足も出ねぇんだよ。俺はな、お前に追いつくまで言っちゃならねぇと絶対に決めた言葉が喉元まで出かかってんだよ!」


「言ってしまえばいいのに」


巴は朗らかに笑った。

こんなに面白い事があるだろうか。今この状況で、負けたのは自分だと双方が思っているのだ。


「寅之助」


「なんだよもう……」


「私、貴方の事をたまに性的な目で見ている」


寅之助は無表情になった。

オーバーフローした感情が、彼の思考を完全に停止させてしまった。

擬死したタヌキのようになった虎の体を、巴は人差し指でゆっくりとなぞった。

始めて行う行為だが、巴は背中を走り抜けるぞくりとした快感を覚え、そして寅之助の体が跳ねる。


「起きた?」


「なんて返しゃあいいんだよ……」


「貴方は私を、そうは見てないの?」


顔を真っ赤にしたまま、寅之助は眉間に皺を寄せた。

そしてこの停止した脳みそをフル稼働させて、何とかして言葉を選ぶ。


「前にお前ん家に行った時……お前が短パンでいたのが……良かった」


ズボンから伸びる白い足を思い出しながら、寅之助は言った。

女性の乳房も、秘部も、散々ふれた。女体など、こんなものかと思った。

それでも触れもしない巴の白い足を思い出すだけで、寅之助は自分の肉体が反応してしまうのを感じる。

そして、その表情を見て、巴は満面の笑みを浮かべた。


『次はキーストン、キーストンです。第3ブロック方面の方はお乗り換えです』


車内アナウンスが響いた。

二人は夢から覚めたように体をビクリと震わせると、正気に戻ったかのように、モノレールから降りる準備を始める。


「ん」


立ち上がった寅之助は、巴へと手を差し出した。

ようやく脳のオーバーフローが収まりつつある巴は、一瞬、呆けた顔をする。そして笑って、その手を掴んで立ち上がった。

二人はそのまま手を繋ぎ、モノレールから降りた。

手のひらからお互いの体温を感じながらホームへ立ち、次のモノレールを待つ中で、巴がポツリと呟いた。


「……私、とんでもない事を言って、とんでもない事をしなかった?」


「今更かよ」


巴は手を離すと、顔を両手で覆った。

その隙間から見える顔も、手も、全身が紅潮している。収まったオーバーフローが再び始まっている。

それを見て、寅之助は自分の唇を、親指でなぞりながら苦笑した。


「まぁ……なんだ。休み明けの学年テスト、100番以内には絶対入るからさ」


「……絶対よ。入らなかったら本当に承知しないから」




それから、1年と半年が経過した。



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