凛として咲きそーで咲かないけもの そのよん
三人の子供たちが揉めていた。
二人の少女と、一人の少年。
「トラ君、なんでこんな事したの」
一人の少女が、少年を問い詰めた。
凛とした立ち姿に、毅然とした口調。
一歩も引かぬという強い意志が見て取れた。
彼女の後ろには、泣いているもう一人の少女の姿があった。
「……ミクちゃんが先にぶった」
問い詰められている少年は、気まずそうに顔を背けつつも、彼にとって妥当な反論を放った。
しかし少女の鉄壁の意思には跳ね返されるばかりであった。
「だからってトラ君がぶっちゃ駄目じゃない!」
『トラ君』は、少女の叱責に身を縮めた。
それでも彼なりに反論はある。蚊の鳴くような声で言い返す。
「……じゃあ、トモちゃんは、おれがずっとぶたれてれば良かったの?」
「そう!」
「えっ?」
あまりにも力強い言い切りに、『トラ君』だけでなく、泣いていた女の子も顔を上げて、少女を見た。
『トモちゃん』は腕を組み、迷いのない声で宣言を続ける。
「いーい?トラ君。女の子はね、男の子より偉いの。だからね、男の子はね、女の子全員に『けいい』を持たなきゃいけないの!」
「……けいい?」
「そう、けいい!」
また『トモちゃん』が良く分からない言葉と、良く分からない概念を持ち出してきた……と明確に言語化までは出来ぬまでも、そのような事を『トラ君』は思った。
だが、こうなるともう勝負有りである。
『トラ君』にとって、『トモちゃん』が知らない言葉を教えてくれる時、それは絶対順守すべき宝物を下賜される時だからだ。
「分かった!?」
「……うん、分かった。トモちゃん、ミクちゃん、ごめんなさい」
そういって『トラ君』は直角に頭を下げ、『トモちゃん』は満足げな表情を浮かべた。
ただ一人、ぶたれた女の子だけが、これで本当に良いのかなぁ……そんな表情を浮かべていた。
サマーズ中学2年の教室は今日もにぎやかだ。
生徒たちは休み時間になると、思い思いの場所で友人達と談笑をし、ゲームに興じ、あるいは宿題を、または読書などをする。
そんな折、突然教室の扉が開いた。
一人の少女が扉を開け、その後ろから、いくつも荷物を抱えた寅之助が入ってくる。
「ご、ごめんね石川くん」
扉を開けた、ピンクのメッシュを入れた少女が、遠慮がちに礼をした。
前が見えぬほどの荷物を抱えた寅之助であったが、その重量をまるで感じさせない軽やかな動きで、その荷物を教壇の上に置いた。
「気にすんな。こんな量の荷物を一人で運ばせようって方がどうかしてる。それに全ての女性にゃ敬意は払わなきゃな」
そういって寅之助はにこやかに笑った。
獣と目のあったメッシュの少女は、少し恥ずかしそうにはにかんだ。
「ありがとう。石川くんって、もっと怖い人かと思ってた」
「んん?そりゃ別に間違ってねぇな。怖いぞ俺は」
「ふふ……じゃあ気をつけよ」
少女と寅之助が談笑しているのを見つけた友人達は、彼に茶々を入れ始める。
「おーおーなんだー寅之助ぇー。点数稼ぎかぁ?」
「お前らにも稼がせてやるからこっち来て手伝え」
「ちぇっ、余計な事言った」
男子生徒たちが数人、頭を掻きながら寅之助と少女の元へと歩み寄り、荷物の整頓を手伝い始める。
その光景を、巴とアリシアが感情の無い目で見ていた。
「……ああいうの、率直にどう思う?」
「たまに鼻につく」
「本当に率直な意見、助かるわ」
巴は無表情のまま答えた。
本当に僅かに、ごく親しい人間だけが気づく程度に、巴の口角が下がっている事にアリシアは気づく。
「何?なんかあったの?」
「実は、貴女が鼻につくと言った、寅之助のあの口癖だけれども……」
巴は、重そうに口を開いた。
「あー……アンタらしいわ、それ。黙って殴られてろなんて普通、言う?」
話を聞き終わると、アリシアは少し引きながら感想を答えた。
巴も頭を押さえながら目を閉じる。
「幼児期特有のジェンダー恒常性と他律的道徳の産物ね。我ながら思い出すたびに閉口している」
顔を押さえてため息をついた。
「で、まぁドン引きエピソードは置いとくとして、それがどうしたんよ?」
「実はその……本質的には差別的な物言いじゃない?女性に限らず、他人には敬意を払うべきで。止めさせたいのだけれど、私が言い出した事でもあるし、どうすればいいか……」
そこまで言うと、アリシアは呆れたように口を開いた。
「そんなん良いでしょうが別に。釣りしてると絡んできて聞いてもないアドバイスしてくるジジイの1万倍は無害でしょ。それともあれでなんか害が出てんの?」
「それは……特にないけれど……」
「ならほっときなさいよ。珍しく石川の肩持っちゃったわ、私」
そこまで話すと同時に、予鈴が鳴った。
アリシアは「じゃ」とだけ言うと自分の席へと戻る。巴は納得いかぬ表情のまま、頬杖をついていた。
「寅之助ぇ~、ちょっといいか?」
「お、ジョセフか。どした?」
ピアスを付けた黒人の少年が、寅之助に声をかけた。中々に整った顔立ちの少年だ。
寅之助とは、同じ柔道部仲間であった。
「お前さぁ、今日は部活出るのか?」
「んー……なんか手がいるのか?出来れば休んでた分も勉強しねぇと」
「実はよぉ、今日はアイス中学の連中と練習試合があってさ」
そこまで言うと寅之助は理解した様子だった。
「そら残念だったな。飛車角金抜きのサマーズ中学柔道部で頑張ってくれ」
「ぬうぅぅ、何たる高い自己評価!だが反論できん!頼むよ、一日くらい良いだろ?」
「負けるのも良い勉強になるぞ」
寅之助はついに、参考書を開き始める。
しかし友人は諦めない。
「頼むよ、女子も見学に来るんだよ」
「だから?」
「お前、結構女子から人気あるんだぜ?お前の活躍に『寅之助さん今日はカッコよかったです!付き合ってください!』とかあるかもしれねーじゃん」
「俺のツラで女の子のファンがつくか」
寅之助は苦笑した。
おそらく自分の戦う姿に女性から応援がつくなど、『アトロシタス』で戦っていた時が最後だろう。
「これはマジだぜ。カーラとかルースとかお前の事結構いいとか言ってたし」
「そりゃ光栄だな」
「頼むよぉ~……」
必死なジョセフに、寅之助はついにため息をついた。
「しょうがねぇな……俺だって柔道がやりたくねぇわけじゃない。分かった、今日は出るよ」
「本当か!」
ジョセフの顔がパっと明るくなった。
参考書から目を離し、寅之助は苦笑する。
「ただし、ここんところランニングと簡単な筋トレくらいしかしてねぇから、体はナマってる。あんまり期待すんなよ」
「あー大丈夫大丈夫、妖怪は腐ったって妖怪だよ。これで女子もキャーキャー言って喜ぶぜ」
「お前ねぇ……もうちょっと女性に対して敬意を……」
寅之助がため息をついた、その時だった。
「待ちなさい」
凛とした……否、今日に限ってはあまり凛としていない声が響いた。
「うぉっ!?」
「うわっ出た!」
いつからそこにいたのだろうか。巴が二人の間からぬっと顔を出した。
「寅之助。貴方、夏休み明けのテストで100番以内に入るという約束は忘れてないでしょうね?もし諦めたのだとしたら早めに……」
巴の苦言に、寅之助は不適に笑う。
そしてちょうど机の上に出していた学習用端末を突き付けた。
「ほれ。こないだの第二言語の小テストだ」
72点。自慢になるほどの点数ではないが、平均点は上回っていた。
少なくとも第二言語の科目に関しては、4か月の遅れを一定取り戻していると言ってよいだろう。
「暗記科目なんか楽なもんよ。気合と根性がありゃ何とかなる。その二つなら売るほどあるしな」
「おおっ!さすがは柔道部のクソゴリラ!その調子で今日も頼むぜ!」
「しゃーっしゃっしゃ!……俺、みんなから影でそんな呼ばれ方してたの?」
男子二人がはしゃぐ一方で、巴は無表情のまま端末を見つめていた。
そして軽く鼻を鳴らすと、端末を突き返す。
「……まぁ、いいわ。好きにすればいい」
そういって巴は、無表情のまま踵を返した。
寅之助とジョセフは、その背中をぽかんとして見送った。
「なんかお姫様、怒ってないか?」
「……ああ、そうだな」
「おい、待てよ」
寅之助は巴を追って、声をかけた。
巴は立ち止まるが振り向かない。
「……何?」
「約束しただろ。ちゃんとお前の気持ちも考えるようにするって。ただ流石にこれは、お前が何を気に入らんのか分からん」
そうだ。私は何が気に入らないのだろう?巴は自問した。
小さくため息をつき、ついには振り向く。
「いえ……そうね。確かにさっきの私の態度は良くなかったわ、ごめんなさい」
まずは謝罪する。
不明瞭な項目があるのならば、まずその周辺を整理し、論理的に考える。
それが武蔵野巴という人間である。
そして、それを実行した最初の出力が、理不尽な態度に対する謝罪。
すると寅之助は笑った。
「別に謝るこたねぇー。お前が嫌だっつーんなら、それは本当にどこか俺に足りねぇ部分があんだ。それを教えてくれると有難ぇな。ホントは自分で気づくべきだけどな」
胸が痛んだ。
寅之助は巴を尊重し、信頼してくれている。
そんな相手に、巴自身でさえ理解できないでいる苛立ちをぶつけてしまったのだ。
寅之助は、大切な部分を変えないまま成長しようとしている。
一方の自分は6歳の時に、彼に理不尽な教えを押し付けた時のままなのか?
そんなのは、嫌。
「わ、私は……」
巴は喋りながら、思考をフル回転させた。
分からないのではない。気づいているが、目をそらしているはずの領域。
答えが、見つかった。
「私は、貴方を……管理したいという欲求があるのだと思う」
「え?」
「私も、今気づいた」
巴は沈痛な面持ちで呟いた。
寅之助が対等でいたいと言った理由が、ようやく理解できた。
「だから多分、貴方がその管理から離れるのが……嫌だった」
巴は視線を落とした。寅之助の顔を見るのが怖かったからだ。
失望をさせたと思う。
だがそれでも、気づいてしまった事に、嘘をつきたくなかった。
「……まぁ、なんだ。それは普通に、俺も悪ィんだよ」
頭上から降り注ぐ寅之助の声色に、怒りの色は無かった。
むしろどこか気後れしたような、そんな声色だった。
「俺の方も、お前に管理されているのが……割と悪くない気分だった。でもそれじゃあ、俺が楽して、お前の負担が増えるばっかりで、悪いと思ってた」
「いいえ。私は、酷い事をしていた」
二人とも、気まずそうに笑った。
自分の価値観を押し付けても、それに応えてくれる。そんな寅之助が、心地よかった。
知恵も教養もない自分を、正しく導いてくれる。そんな巴が、心地よかった。
だがいつまでも、それだけでは駄目だ。
「ただ、これだけは絶対に言っておきてぇ」
そして先に口を開いたのは寅之助であった。
とぎれとぎれに言葉を紡ぐ。
「ちょっと前にも……言ったけどよ……あー……畜生、前ん時は普通に言えたのに……」
「?」
寅之助は顔をほんのり染めて、一拍置いた。
巴は頭上に疑問符を浮かべたままだ。
「俺は……お前のそういう高慢なところは、今でも好きだ」
「っ……!」
寅之助は顔をますます赤く染めて視線をそらした。巴は無表情のまま、耳だけが茹で上がった。
そしてお互い無言のまま、ただ立ち尽くす。
「嗚呼、糞。言うんじゃなかった」
「いいえ。嬉しいわ」
以前なら、どんな事だって言い合えた。壊そうったって壊れない鋼鉄の絆。その絆の強度はつい先日、実証済み。
普通とは呼べない関係が、心地よかった。
だがその歪みのままではいられない。お互いが別の関係を求めあっている事に、少なくとも寅之助は気づいていた。
「じゃあ、俺はジョセフを待たせてるから」
「あ、寅之助」
巴が思い出したように口を開いた。
「貴女が良く、すべての女性に敬意を払えと言うじゃない?素敵なポリシーだとは思うけど、同時に危険でもあると思う」
「ん?ああ、女性を弱者と決めつけてるのと紙一重って事だろ?分かってるよ、んな事ぁ。俺みたいなマッチョイズム大好き人間は女性を軽視しがちだから、そうならんよう言ってるだけだ」
「あら」
巴は驚いて目を大きくした。一方の寅之助は苦笑する。
「流石に『相手が女性なら、黙って殴られ続けてろ』が間違ってるのは、気づくだろ」
巴も苦笑する。
そうだ、自分とて全く完璧ではない。管理など間違いだ。
それが今まで破綻しなかったのは、いつだって彼が正しく修正してくれていたからではないのか。その事実に、この少年はまだ気づいていない。
「じゃ、今度こそ行くぞ」
「ええ。さようなら」
言葉を交わして、寅之助の大きな背中を見送った。
巴の中の澱みが晴れていく。しかし九割の澱みが晴れても、何故か一割、残った澱みを感じていた。
「……?」
目に見えず観察も出来ない自分の心。
残った一割の正体が『寅之助のファンの女子がいる』という、ジョセフのでまかせだと言う事に、この少女は気づいていなかった。
アイス中学との練習試合は、先方で飛び出した寅之助が、中学生の坑道漢ルールでは禁止されている三角絞めを、意気揚々と繰り出し反則負け。
その後、全敗した。




