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凛として咲きそーで咲かないけもの そのいち

一度の偉大な行為よりも、日常の正しさを重ねる方がはるかに困難である、とは誰の言葉であったか。


分厚い肉体を持った少年が、学習用端末を両手で持ち、歩いていた。

視線をその端末へと落とし、大きくため息をつく。

普段は風を切って歩く彼であったが、今日ばかりは肩を落としてトボトボと歩いていた。


「あれ、石川じゃん」


聞き覚えのある声に、少年は顔を上げた。

すると目の前には、二人の少女が立っていた。

一人は脱色した髪と、大きな目の少女。

そしてもう一人は、長い黒髪と眼鏡をかけた、美しい少女であった。


「巴……と、オマケか」


「誰がオマケじゃい、可愛い可愛いアリシアちゃんこそ主役じゃい」


茶髪の少女が憤慨して答えた。

しかしその少年、石川寅之助は、茶髪のアリシアをほとんど無視して、巴と呼んだ黒髪の少女に視線を向けていた。


「珍しいわね。貴方がこんな早い時間に帰宅するなんて。部活は?」


凛とした声が響いた。

いつもなら寅之助はその声を聴くだけで嬉しくなってしまうのだが、今日ばかりはどこか気まずさが勝った。


「いやまぁ、今日は早めに上がった。お前らこそどうしたんだよ?」


「そこの美術館でウォーホルの展示があって、それを見に」


「学生で平日なら入場料は1/2!」


巴とアリシアが交互に応えた。

茶髪の少女は嬉しそうに、指を二本立てる。


「ウォーホル?お前はああいうの嫌いかと」


「私、アバンギャルドもキッチュも好きよ?アンダルシアの犬もジョン・ウィックも見る」


「アンダルシアの犬は犬映画じゃねーけどな」


寅之助は小さく笑った。巴も僅かに口角を上げる。

その様子を、アリシアはつまらなそうに見ていた。


「で、アンタ何みてんの?エロ本?」


「学校の端末にエロ本入れて、それ見ながら歩いてる男と思われてんのは、いくらお前でもショックだよ」


そういって寅之助は大きくため息をつくと、手に持った端末を二人へと差し出した。

それを見た巴は大きく目を見開き、アリシアは爆笑する。


「少し酷いわね、これは……」


「あんたこれ、こないだの数学の小テスト!?あんなん簡単だったじゃーん!」


38点と表示された端末に、二人の少女は対照的な反応を返す。

寅之助は見せた端末をしまうと、口を開いた。


「これが4か月も学校をサボった現実ってヤツだよ、全く……」


頭を掻きながら、寅之助は眉間に皺を寄せた。


「おっと、笑ったのは悪かったわね。謝るわ」


アリシアは真顔で謝罪した。

このデリカシーの無い娘が憎まれぬのは、こういったフォローの良さだろうと寅之助は思った。


「いいさ別に」


そういって再び肩を落とした。

そこへ、そっと巴が近づいた。


「勉強、教えましょうか?昔のように」


巴は心配そうな表情で寅之助を見つめた。

小学生の頃、寅之助はロクに勉強が出来なかった。

周囲と同じことを教えられても、彼一人が理解できぬのだ。そんな寅之助を見かねて、かつて巴は根気よく勉強を教えてくれていたのだ。


「……ありがてぇけどな。一人で頑張ってみるさ」


寅之助はさみしそうに笑った。

そして、そっと巴から距離を取る。


「じゃあな。スープ缶の土産があったら買ってきてくれ」


そういって寅之助は、背を向けて歩き去って行った。






翌日。

学生たちが授業を受けている中、寅之助もそこにいた。

身長も175cmと、同学年の生徒と思えば高くはあるのだが、それ以上に彼が持つ全身の肉感が、ひときわ彼を大きく見せていた。


「じゃー過マンガン酸カリウムが赤色から無色に変わった時、何が起こったか……じゃあ、久しぶりに学校に来た石川、答えてみろ」


当てられた寅之助は、体をビクリと震わせた。

筋肉が収縮し、持つペンに力が入る。そして指先の力だけでペンが音を立ててつぶれた。

それを横目で見ていた隣の席の生徒は、黙ったまま驚愕の表情を見せる。


「ん?なんだ今の音?ま、いいや。答えてみ」


「……わ、分かんねぇッス」


寅之助はしょんぼりと答えた。

それをやはり、巴が心配そうに見つめていた。




この日、いやしばらくはこの様子だった。

背もたれに体重を預け、天を拝む寅之助の席に、級友たちが集まる。


「おーどうしたよ寅之助。勉強のできる不良が形無しじゃねぇか」


「俺は不良じゃねぇ……」


友人の一人の声に、視線を天に向けたまま答える。

彼らは自信のない寅之助を、まるでネッシーか雪男を見たかのように、はしゃぐ。


「『お姫様』に勉強を教えてもらったら?」


別の背の小さな友人の言葉に、寅之助は反応して視線を戻した。

目をやらずとも、背後の席に、巴の存在を寅之助は感じていた。


「……いや、いいさ。こういうのは自分で頑張らなきゃな」







その日も寅之助は、部活に出る事なく、一路自宅へと急いだ。

学校の門を出ようとすると、そこには一人の少女が不機嫌そうな顔をして立っていた。


「どした?つまんねぇ映画でも見たか?だから俺はガバラの出るヤツは微妙だって……」


「私を頼りなさい」


その少女、武蔵野巴は開口一番にそういった。

有無を言わさぬ強い態度が、その凛とした声に宿っていた。

その様子を見て、寅之助は微笑する。


「やっぱり良いヤツだよ、お前は。だけど少し過保護だ」


その答えに、巴は口をへの字に曲げる。


「非効率だわ。私なら貴方の遅れを取り戻すカリキュラムだって作成できる。頼らない理由がない」


「理由、ね……」


寅之助がそういって首を回すと、数人の生徒たちがこちらを見ている事に気づいた。

巴も、寅之助も、この学校ではどうしても目立つ同士であった。

それだけに、ゴシップの好きな生徒たちの間で、時に有らぬウワサが立てられる事があった。


「……とりあえず、歩きながらにしようぜ」


寅之助の言葉に、巴は無言の同意をし、二人は連れ立って駅へと向かった。

歩きながら、言葉を紡ぐ。


「今日はこのまま、私の家へと行きましょう。早い方がいい」


巴の中では、寅之助が同意することが決定しているようだった。

確かに彼女のいう通り、彼女の補修があれば、寅之助は独力で勉強するよりも、早く後れを取り戻す事が出来るだろう。


「なんか、この間の事を思い出すな」


寅之助は軽い調子で言った。

寅之助が『アトロシタス』で戦っていたあの時。結局はあの時も、巴の助けのおかげで、寅之助は日常を取り戻す事が出来た。


「……あれとは違うわ。社会的に妥当な行為を妥当なまま行うだけ」


巴は拳を強く握った。

目をそらしてはいけない、しかし決して気持ちの良い思い出ではない。


「俺が言った、無価値な最強って話、覚えてるか?」


「……?ええ。良く理解が出来なかったけれど」


その言葉に寅之助は声を上げて笑った。

この巴の反応が、確かに自分の現状の全てだったからだ。


「どうして笑ったの?」


「いやさ、ケンカが強いって、マジで社会的になんの価値もねぇなって思ってよ」


「そうでもないでしょう。トッププロの格闘家は、何千万ギルタンも稼ぐとか」


「んー……そういうことじゃなくってさ」


寅之助が信じる、自分だけの最強。

それはそういった社会的な意義から離れた、自分だけが信じられる最強。

それを目指す事を言っているのだ。

しかしこれは、巴には永遠に理解できまい。


「……本当に分かんねぇと思うけど、俺がお前に頼りたくないのは、なんと言うかそういう事なんだよ」


「理解が出来ない」


巴は無表情のまま切って捨てた。

理解する気もない、というニュアンスも言外に込められている。

しかし寅之助は、巴のこういったところが好きだった。


「じゃあ、また別の理屈だ。これなら分かってもらえっかな。俺はさ、お前と対等になりてぇんだよ」


寅之助は、少し顔を赤らめてそう言った。

あの日。海を見ながら巴を抱きしめた時。

寅之助は、自分の中にある感情に気づいていた。もしかしたら今までも感じていたかもしれない。しかし気づく事の無かった感情に。


「対等だと思うけれど……?」


巴は冷静なまま答えた。

僅かに眉間に皺を寄せて、頭の上に疑問符を浮かべているのが見て取れた。

きっと彼女は、私は寅之助のような腕力はない、そんなことを考えているのだろう。


「違うのさ。俺とお前は対等じゃねぇ」


お前のように、気高くはあれない。寅之助はそう思っていた。

それが巴の評価とは、大きく乖離している事にも気づかずに。


「助けようとしてくれて、ありがとう。これだけは言っておかねぇとな」


駅に着いた。

寅之助は学校がある第4ブロック、巴は第1ブロックのさらに上の表層ブロック。ここで二人は道が分かれる。


「待ちなさい。理解が出来ないけれど、とりあえず貴方の事は尊重するわ。ただし……」


踵を変えそうとする寅之助の制服を、巴はつかんだ。

中々に強い力だった。


「期限は設ける。夏休み明けの学年テストで、100番以内に入りなさい。無理だったら大人しく私に教わる事」


「ハードルたけぇな」


「前はもっと上の方にいたでしょう?」


巴の無表情に、寅之助は苦笑した。

こいつは俺の気持ちなんか何も気づいてない。だが、そういうところがたまらない。


「じゃあな。また明日」


「全く……ええ、また明日」


『また明日』。

そう言えることが、二人は嬉しかった。






寅之助は自宅のカギを開けた。

住居と兼用の『石川時計店』は、絶賛閉店中だ。

彼の祖父が退院するにはもう少しかかる見通しだった。


寅之助は制服を脱いで部屋着へと着替えると、店の掃除を始める。

ピンクのエプロンを身に着け、丁寧に店の埃を取り払う。

人の出入りがなくとも、こうまで汚れは貯まるものかと感心する。


そして彼は掃除を終え、作り置きしておいた料理を温めると、それを口に運びながら参考書を開いた。

片隅の棚の上には、エメラルドに光る戦闘ロボットのオモチャと、小さな犬のぬいぐるみが並んで置かれている。


「えーと接線方向の方程式を求めるにはまず微分して……」


一気に四か月の現在まで、ステップアップする事は出来ない。

少しずつ、少しずつ薄皮を張るように、知識を貯め込んでいくしかない。


「う~ん、クソッ、脳みそがスクランブルエッグになりそうだ」


1時間後、寅之助はそういって教科書を置いた。

腰を上げると、洗面所まで行って顔を洗う


「ふう……」


鏡の中に自分の顔が映る。

縮んだ柔道耳。

いくつもの古傷の後。

戦いの傷跡が目に入る。

戦士の顔。例え整ってはいなくても、好きになれる自分の顔。


「少しだけ……走ってこようか」


そう呟くが、寅之助は顔を振った。

何かに一生懸命な事は、他の何かをやらない言い訳になる。

だがそれはただの逃避だ。

柔道を、その言い訳に使いたくはなかった。


「よっと」


寅之助は逆立ちすると、手のひらをつかず、指の力だけで体を支える。

そしてそのまま、逆立ちで歩き、居間まで戻った。


「今はこれだけだ。さっ、次は歴史をやらねぇと」


寅之助はそういうと、快活な声を上げた。







「はーい、じゃあ席に戻って。こないだの小テストを返すからなー」


教師が壇上でそういうと、各生徒の端末へと、テストの結果がDLされた。

その結果を見て、寅之助は苦笑する。


「ま、魔法のようにはいかねぇわな」


52点。

その点数を受け入れよう、それがまず第一歩なのだ。そう自分に言い聞かせたのだった。


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