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凛として咲く獣-18

第6ブロックの夜は、昼間よりも明るい。

太陽光の届きにくい薄暗い日中とは対照的に、さまざまな看板が光り輝き街を照らす。

空には卑猥な立体映像を映し出す広告用のドローンが音もなく飛んでいる。大小さまざまな光源があたり一面に存在していた。


そんな煌々とした街の中を、1台の黒塗りのセダンが疾走する。

後部座席には一人の年配の男。

そして運転席と助手席には二人の背広。


「ったく、何が金だ。金だけでギャングがやれるか。なぁ?」


年配の男は二人の男へと忌々しげに語りかけた。

二人の男はニコリと愛想笑いを浮かべる。


「おっしゃる通りです」


「『アトロシタス』は万代さんが後を継ぐべきかと」


護衛の二人は判を押したように年配の男に追随する。

それで年配の男は気を良くしたようだった。


「分かってるじゃねぇか。ギャングは男気だよ、俺なんか昔は一人で20人は殺したんだ。気に入った女がいれば、そいつの男の目の前で犯してやった。それをあんな銭勘定が上手いだけのガキにデカい顔させてたまるか」


護衛の男二人は、まるでアンドロイドのようにニコリと笑う。

二人は生物学的には純然たる生身の人間である。

しかし今現在、彼らとロボットを隔てるものは無かった。


「しかもついにあのバカ、俺たちの闇討ちを始めたって話じゃねぇか。バカがビビっておっぱじめるとはな」


「ご用心ください」


「あ?」


護衛の言葉が『万代』と呼ばれた年配の男には気に入らなかったようだった。


「俺がヘナチンのハモンドの手下なんざにやられるとでも思ってんのか、あぁ!?雇われの女衒だぞあいつは!」


「いえ。そんなことは」


「万代さんのお手を煩わせるまでもないと言う事です」


「ケッ!来るなら来いってんだ!返り討ちにしてチンポコ切り落としてあの店へ送りつけてやる!!」


護衛は淡々と取り繕うと、万代の機嫌が直る。

この二人は、このやり取りを何万回も繰り返してきていた。


3人を乗せた黒塗りのセダンは歓楽街を抜け、第6ブロックの中心区画へと走る。

ネイモアシティの下層ブロックといえども、すべてが貧困地区というわけではない。

例えば下層ブロックでも日光が多く当たる中心区域は、自然と高級住宅地が出来上がっていた。





ここはそんな、第6ブロックの高級マンションの一角。

その外壁に、蜘蛛のように壁に張り付く、黒い影があった。


「……ったく、6月だってのにクソみたいな寒さだ」


その影が喋った。

光を吸収する真っ黒なコスチュームを着ており、光源を当てぬ限り、その姿はほとんど視認できない。

そして歓楽街を離れて、その影の近くを飛ぶ広告用のドローンが一機あった。

よくよく見ると、このドローンだけが空を飛ぶ他のドローンと比較してずいぶんとボロボロで、大小の修理の痕があった。


『明日は日中から暑くなるようよ。何を着ればいいか本当に困るわね』


その影が身に着けるインカムから、女性の声が響く。

その女性は離れた場所から、ドローンに搭載されたカメラでその影を見守っていた。


「巴、知ってるか?昔、人類が物を燃やしすぎたせいで地球の環境を変えちまったって話。こうやってたまに急に寒くなったり暑くなったりってのは、その名残だそうだ」


『地球温暖化による気候変動の事?私の知る限り人類の愚行ベスト5には入るわね』


巴と呼ばれた女性がインカムの向こうで鼻白んだのが、影には分かった。

不整合と非論理、それを最も彼女は嫌うからだ。


「バカみてぇだよな。実際に影響がある何十年も前から科学者たちは警告してくれてたのに、デマ扱いしてたって話じゃねぇか。理解できねぇ」


『炭素循環を無視したエネルギー政策の結果、数億人が命を落としたと言われているわ。そうなってやっと対策に本腰を入れたとか』


巴は思う。

その時代から、我々はどれだけ賢くなれているのだろう?と。

いまだに社会は非論理的で、いくつもの機能不全を起こしている。まさにそれが、今こうせざるを得ない理由でもある。


『それよりも寅之助、話は変わるけれど……貴方、どうやって壁に張り付いているの?』


「どうやって、って……」


寅之助と呼ばれた影は、間抜けな声を上げる。

彼を見守るドローンは、その怪訝な表情を正確にとらえていた。


「マンションの壁から、ちょっと出っ張ってるリベット、そこから見えねぇか?そこに指と足を引っかけてる」


『リベット……?』


巴はドローンのカメラをズームする。

すると確かに、寅之助の手元と足元には、数センチにも満たぬような丸いリベットの頭が飛び出していた。


『ちょっと待って。貴方、これに指を引っかけてるの?』


「一晩中だってこうしてセミみてぇにくっついてられるぜ?」


巴は目をつぶり、こめかみに指をあてた。

要するに、彼の強靭なピンチ力(摘まむ力)で、ごくわずかに飛び出したリベットを掴み、彼の90kg近い体重を先ほどから支えているというわけだ。

今夜の『作戦』を立案したのは彼女だが、どうやって壁に張り付いて待機するかは、自分に任せろと寅之助は言っていた。

まさかその答えが、こんな力業だとは彼女も想定外だった。


『新手の妖怪かしら……?』


「二日足らずで『万代』のスケジュールを調べ上げた、どっかの綺麗な女の子の話か?……おっ、来たんじゃねぇか?」


寅之助の眼下の駐車場に、一台の高級車が止まった。


運転手が後部座席の扉を開けると、そこから一人の年配の男性が降りてくる。

何やらやり取りをした後、運転手が頭を下げ、高級車はそこから去って行った。


「ドローンのカメラ、見えるか?」


『少し待って頂戴。解像度が荒すぎてAIで補正させる……うん、間違いない。例のボスね。万代とかいう』


巴はほっと息をつく。

これだけ『襲撃』が起こっている中で、このマンションへと万代が来るかどうかは賭けだったからだ。


「これもSNSから?」


『ええ、そう。彼は毎週、この時間になると、このマンションに住んでいる愛人に会いに来るみたい』


寅之助は苦笑した。

何人もギャングの関係者を襲ったが、まだこんな不用心な行動を取る者がいるとは。

それも派閥のボスと来た。


「ったく……みんな自己顕示欲と性欲ってのは我慢が効かないもんかね」


『気候変動の話と同じよ。妥当性や正当性は、快楽の名の元に捻じ曲げられる。不都合なファクトよりも、都合のよいオルタナ・ファクトを選ぶ』


「その結果が身の破滅ってのは良く出来てるね。さて、こっからじゃ見えねぇ。合図くれよ」


『了解、3秒前になったらカウントを始めるわ』


万代はエレベータから降りると、寅之助の張り付いている壁下へと近づいてくる。

それを巴のドローンが静かに監視していた。


『3……2……1』


「ん?」


万代は窓に違和感を覚え、振り向いた。

だが、もう遅かった。

寅之助が、窓ガラスを突き破って侵入に成功する。


「うおおおおっ!?」


万代は声を上げながら、とっさに拳銃を抜こうとする。

しかし焦りか、それとも運動不足か。

懐に入っているはずのブラスター・ピストルを抜こうとしても抜けず、服へと引っ掛け、落とし、そして拾い、やっと寅之助へと突き付ける。

しかしもう、寅之助は間合いへと入っていた。


「今までの連中と比べても、特にヒデェなアンタ」


拳銃を構えた腕をつかみ、引いて、押す。

男の重心が崩れた。そして組み、背負う。

二人の男が、宙を舞った。


「しゃあっ!」


背負い投げ。


それも寅之助は、自分の体重を預けて投げた。

二人分の体重を加えられて、大地に叩きつけられた男は、衝撃で肋骨を折る。

だが万代は、激痛にも関わらず、叫び声を上げる事も出来なかった。

叩きつけられた衝撃で肺の空気がすべて吐き出され、そして全身を襲う痺れは、年配の男の行動をすべてストップさせていた。


『さぁ、長居は避けてすぐに撤収。これから指示するルートで……』


「おう!」


気持ちよくインカムに応答すると、寅之助はぶち破った窓から躊躇なく飛び降りた。


『ちょっ……!?』


ドローンのカメラの向こう側で、巴は目をひん剥いた。

ここはマンションの10階である。


「ほっ……とっ……よっと」


だが寅之助は器用に壁面を蹴り、三角飛びの要領で、マンションの棟と棟の間を、ブレーキをかけながら落下していく。

そして3階あたりの高さから、直接落下して着地した。


「よし、ここから指示をたのまぁ。……巴?」


『やっぱり、妖怪だわ……』


驚嘆と呆れの混じった顔で、巴はドローンのカメラ映像を凝視していた。






2週間前。

土曜日の午前中。

巴の家へと、寅之助は尋ねてきていた。


「トラ兄ぃ!」


巴に促され家の中へと上がると、巴のミニマム版とでもいうべき容貌の少女が、元気よく声を上げて寅之助へと突進してきた。


「よっしゃ、来い!」


寅之助はしゃがむと、両手を広げてその少女を迎え入れる。

がっちり胴体をキャッチすると、まるでぬいぐるみを振り回すかのように、高々と掲げてゆっくりと回転させる。

そして一通り振り回してみせると、安全に着地させる。


「あははははは!トラ兄、久しぶりー!」


「おおー良い元気だケイちゃん」


「えへへへ、お姉ちゃんより可愛くなったでしょ?」


「んー?可愛くねぇ女の子なんていねぇさ」


寅之助が答えると、巴のミニマム版は不満げに頬を膨らませた。

そこへ、今度は巴を成長させたような女性がパタパタと歩いてくる。


「あら寅之助君、本当に久しぶりねぇ。巴ちゃんはガレージにいるよ」


「お久しぶりです、ガレージすね、あざます」


軽く会釈してガレージに行こうとするが、足元に違和感を覚えた。

見ると、ミニマム版が寅之助の足にしがみついている。


「悪いなケイちゃん、また今度な。今日は巴に用がある」


「う~、いっつもお姉ちゃんばっか」


寅之助は黙ってケイの頭をなでると、ガレージへと向かった。

これだけで小さなアパートの一室くらいはありそうな、巨大なガレージだった。


「おう、巴」


「寅之助」


空調のよく効いたガレージに入ると、そこには長い黒髪の美しい少女がいた。

少年と少女は互いの名を呼んで挨拶をする。

巴は珍しくラフな格好をしており、シャツと半ズボンだけだ。

ズボンから伸びた美しい白い足が、寅之助の目に入った。


「おぅぅ……?」


その時、寅之助は妙な声を出した。

自分でもなぜそんな声が出たのか、よく分からなかった。


「どうかしたのかしら?」


「いや、なんでもねぇ。それより早速あの話だ」


寅之助は話を促した。

それを聞き、巴も頷く。


「まず、おおよそはこの間の中華料理屋で説明したけれど、もう一度きちんと説明するわ」


そういって巴はガレージの照明を消し、プロジェクターを起動させた。

ガレージの白い壁に映像が映る。

まず写ったのは、いくつかの新聞や週刊誌の記事であった。


「私も調べてみるまでは知らなかったのは恥ずかしいのだけれど、貴方のいた『アトロシタス』というギャングは内部抗争の真っ最中のようね」


「あー、そういやそんなことも言ってたな」


オーナーや、マネージャーの小太りの男が『内部のゴタゴタ』がどうだとか言っていたのを思い出す。

プロジェクターに写った記事の中には、『時計店、ギャング内部抗争に巻き込まれ半壊』と言った見出しの物もあった。

その記事に、寅之助の視線が注がれていた。


「……バカみてぇだよな。俺がこうなったのは、そもそもコイツらのせいだったのに。こいつらのために働いていた」


『石川時計店』が破壊されなければ、例え騙されていたとしても、1年分くらいの入院費は捻出出来ていたはずだ。

それでも寅之助には、選択肢は無かった。


「知っていたの?」


「バカにするな。新聞くらいは読む。……いや、知ってた上でやったんだ、なおさらバカかな」


寅之助は自嘲した。

それでもあの時、必死に調べて、13歳が合法的に稼げる仕事は、選択肢に無かった。

愚かだと分かっていても、あの時に病院の院長から紹介されて、自分に接触してきた小太りの男──『アトロシタス』のマネージャーに提示された金額には、飛びつく事しかできなかった。

貧困とはこういうことだ。

自分に選択肢など、無かった。


「話がずれたわ。さて、ここからだけど、この内部抗争を利用して『アトロシタス』を完全に崩壊させる」


「へへ……で、どうすんだ?」


寅之助に促され、巴はスクリーンを切り替えた。

複数の男たちの顔と、それらの関係図が示される。


「まずアトロシタスは前任のボスが急死して、その跡目争いの真っ最中。そして有力な後継者候補はこの三人」


巴が端末を操作すると、三人の男がピックアップされる。

そのうちの一人を見て、寅之助は声を上げた。


「オーナー!?コイツこんな偉かったのか!?」


「知っているの?」


「知ってるも何も、俺の仕事先のオーナーだよ。組織の中じゃあ、もっと下っ端なのかと」


寅之助は神経質そうな男の顔を思い浮かべる。


「どういう人間か教えてくれる?貴方の主観的な所感で構わないわ」


「一言でいうと小物。何かあるごとにビビって甲高い声で喚き散らすのがうるさくてなぁ」


寅之助は切って捨てた後、さらに言葉を続ける。


「なんか敵対するギャングの偉いさんとモメた事があってな、そん時の慌てようったらなかったぜ。腰が低いとか謙虚とかじゃなく、完全に媚びてやがんの」


完全に侮蔑の表情を浮かべ、寅之助は吐き捨てた。

まぁモメる原因を作ったのは俺なんだけど、とは寅之助は言わなかった。


「そのくせまぁ目下の人間には普段から高圧的だわ、嘘が多いわで、好きになれる要素ゼロ」


言葉と表情からにじみ出る寅之助の嫌悪感を横目で見ながら、巴は顎に手を当てて考え込む。


「ふむ……残りの二人は?この万代と川澄というそうだけれど」


「あー……こっちはあんまり詳しくねぇなぁ。この万代ってのが何回か店に来てるのを見かけた事がある程度だ。あとはウワサだけ」


「どんなウワサ?」


「二人とも似たようなもんだよ。万代は彼氏のいる女性を、その目の前で犯すのが好きだとか。川澄は殺す前に絶対に拷問するだとか。セックスと暴力の話をすれば自分がタフだと証明できると勘違いしてるバカなチンピラ」


興味のなさそうに寅之助は言った。

やはりこちらの二人にも、同じように嫌悪感をあらわにする。


「ふむ……私の調べた情報とも一致する、か」


そういって巴はレーザー・ポインタを操作し、オーナーの顔を丸く囲む。


「この中で、もっとも有力な後継者としてみなされているのが貴方の言う所のオーナー、ドナルド・ハモンド」


「マジで?あとの二人ってよっぽどポンコツなのか?」


器も小さく、寅之助には頭も切れるようには思えなかった。当然、人望もなく、寅之助以外のバウンサーたちや娼婦、バーテンダーなどが頻繁に愚痴るのも耳にしている。

とてもではないが、何らかの組織を率いるほどの器とは思えなかった。


「理由を一言でいうと金ね。『アトロシタス』のマネーロンダリングをこの男が担当しているみたい。その他にも医薬品の横流しや人身売買、お約束のドラッグと、多額の利益を上げて組織に貢献している」


「チンピラヤクザ共でも結局は金がねぇと首が回んねぇって事か。親近感が沸くね」


吐き捨てるように寅之助は言い放った。

無自覚に『人身売買』の商品の一つにされた屈辱は、消えそうにないようであった。


「あとは私よりも、彼を直接知る貴方の方が想像はつくんじゃないかしら?」


「人望ゼロの小物が、銭勘定だけで組織の頭になろうとしてんのが、能無しの武闘派チンピラ二人には気に入らねぇって事か」


「もちろん、その能無し武闘派の二人も別に仲は良くない。でもこの『オーナー』よりはお互いマシと思っているって感じね」


巴も表情を動かさぬまま補足した。

その無表情から、寅之助だけは彼女も少し怒っていることが読み取れた。


「しかし、よくそこまで調べたな。どうやったんだ?」


「運が良かったのよ。例の、お祖父様が入院していた病院……あそこが『アトロシタス』の隠れ蓑だったことは話したでしょう?」


「ああ。ギャングのマネロンと医療費水増し用だったって話な。で、院長をオメーがボコボコにしたんだっけ?」


寅之助がいかにも楽しそうに笑う。

巴はその下品な笑いを横目で流し、淡々と続けた。


「その時に病院のシステムから、院長のIDとパスワードを抜いておいたの。それを試しに『アトロシタス』のメインサーバに放り込んでみたら……そのまま入れちゃった」


巴は呆れた様子で肩をすくめた。

寅之助も苦笑する。


「そのパス、当ててやろうか?アルファベットで『password』だろ?」


「残念、『12345678』だったわ」


二人は顔を見合わせて笑った。

どれほど高度なセキュリティを構築していたとしても、使う人間がお粗末では意味がない。

まさにそれこそが『アトロシタス』に付け入る隙でもある。


「おほん。さて、ここからが重要。いい?」


「へいへい、拝聴しましょう」


寅之助も座りなおして姿勢を正す。


「まず当面の目標として、私たちはドナルド・ハモンド……貴方のいう『オーナー』への、この二人からのヘイトを集中させる」


「具体的には?」


「まずは小さな嫌がらせね。他二人の派閥構成員に……そうね、言葉を選ばずに言えば、闇討ちを仕掛けてもらえるかしら?」


巴の言葉に、寅之助は楽しそうに笑った。

全身の筋肉が熱を持ち、戦うことへの歓喜に打ち震えている。


「ようやく俺の仕事か」


「正体が露見しないように気を付けて頂戴。ここで貴方が捕まったら主客転倒」


「奴らは恨みを買っている事なんて想像もしていない、ってのが俺たち最大の武器なわけだ。驚かせてやる」


すると巴はふん、と鼻を鳴らした。

プロジェクターが熱を帯びる。


「それしきで満足?私は奴らの肝に液体窒素をかけたいわ」


その言葉に寅之助は笑いながら首を振る。

昔とは少し変わった。しかしそれでも、やっぱりコイツは良い。


そしてプロジェクターがまた切り替わる。

今度は顔写真の入ったリストであった。


「あとで印刷してこれを渡すわ」


「何だ、これ?」


「標的になる構成員と、その主な居場所のリスト」


その言葉に寅之助は目を丸くするが、一方の巴は特になんのリアクションもなかった。

なんの気負いもなく、いつも通りの涼しい顔であった。


「おお、相変わらずスゲェな」


「これは簡単。構成員の名簿は『アトロシタス』のサーバから手に入った。あとはただのルーチンワーク」


巴は無表情である事が多いが、それでも長くその顔を見続けると、その無表情にも種類がある事が分かってくる。

これは退屈な時の顔だな、そう寅之助は思った。


「そこからSNSに検索をかけて、本名のアカウントを持っている人間を何人か見つけたら、その交友関係からリストを広げていっただけ。ま、煩雑ではあったかしら」


巴の情報解析手法はオシントと呼ばれ、誰でも手に入る公開情報を繋ぎ合わせる事で、個人の特定や居場所を探り当てる手段である。

これは、たかが公開情報、たかがSNSと侮ってはいけない。

2018年にイギリスで発生したロシアの工作員による毒殺事件の犯人を、イギリスの市民団体がこの手法で特定に成功している。


「んで、このリストに載ってる連中をシバキ倒していけば……」


「そう。例の幹部二人の部下だけが倒されて、オーナーの部下だけは無傷。疑心暗鬼の種にはなる」


寅之助は頭に疑問符を浮かべた。


「種?」


「これだけではまだ弱い。結局、人間を一番動かし、恨ませ、そして駆り立てるのはなんだと思う?」


巴は悪戯っぽく笑い、問いかけた。

寅之助は喉を鳴らしながら、腕を組んで考え込む。


「んー……愛?」


寅之助の答えに、思わず巴は噴き出した。

つられて寅之助も笑いだしそうになるが、それでも反論を試みる。


「笑うなよ、俺は大真面目だ」


「いえ、ごめんなさい。そうね。貴方らしい素敵な回答。ただもうちょっと俗っぽい答えなら、金」


「なんだ、ギャングの情婦でも誘拐してこいと言われるのかと思った」


「おっと。思ったよりも剣呑な事を考えていたわね」


巴はPCを操作しながら声を漏らした。

そして説明を続ける。


「私がやりたいのは、彼らの資金操作。おそらく『オーナー』には組織全体の資金を、構成員や組織へと分配する権限があるはず。これを乗っ取って給料の遅配や振り込みのミスを頻発させる」


そういうと巴はパソコンの画面を寅之助へと見せた。

そこにはなんと、どうやったのか『アトロシタス』の資金管理システムのログイン画面が表示されていた。


「あとはIDとパスさえ手に入れれば、システムに侵入して、自由に資金をコントロールできる。」


「カネで揉めれば、連中の最後の歯止めが取れて、内紛が本格化する、か」


「もちろんそこで終わりじゃないわ。そのタイミングで病院の資金洗浄も警察に通報する。病院は第6ブロックの管区ではない以上、捜査に入る警察への影響力も薄いと見るわ。これで完全に彼らも終わる」


そこまで言うと、巴はプロジェクターを消し、ガレージの明かりをつけた。

空調の回る音がガレージに響く。


「ん……?いやなんか勝った気でいたわ。そのカネを操作するIDとパスはどうやって手に入れるんだ?」


「もちろん直接忍びこんで奪えばいい。オーナーの部屋は貴方のお店にあるんでしょう?このセキュリティ意識の低さなら、個人用のPCから直接ログインできるはず」


「忍び込めって……いや俺、そんなんやった事ねぇぞ?大丈夫かな……」


すると巴はきょとんとした顔をした。

そして自分自身に指をさす。


「ん?それは大丈夫。忍び込むのは私がやるわ。何度も経験はある。貴方は気を引いて頂戴」


寅之助は一気に血の気が引いた。

そして爆発するような感情が押し寄せてきた。

しかしその爆発は、理性という冷水に消し止められた。


「ぬ、ぬう……わ、分かった。気をつけろ」


苦渋の表情で、寅之助は了解した。


『ダメだ』

『危険だ』

『殴り倒しても行かせない』


そんな言葉が、いくつも頭の中から現れては消えて行った。

それでもあの時、第5ブロックの駅に現れた巴が、服を脱いだ時の心の痛み。

あの痛みに誓ったのだ。

もう二度と、彼女を美化という檻へと閉じ込めはしない。

その様子を見て、巴はくすりと笑った。


「ありがとう。心配してくれて、嬉しいわ。私も殴られる痛みも恐怖も知っている。でも私がやった方が、はるかに成功率は高い」


寅之助は大きく息を吸い、吐いた。

そしてほんの一瞬だけ目を閉じ、開けると、巴の目を見た。傷の無い宝石のようだった。


「……さぁ、それよりも、今日は見せたいものがあるの」


脱力した寅之助の腕を引っ張ると、ガレージのさらに奥へと歩いていく。

そしてそこには、カバーので覆われた何かがあった。

ちょうど人間ほどの大きさの物体であった。


「今日はこれが一番見せたかったの」


巴は珍しく表情をあらわにして、自慢げにカバーを外した。

そこには、真っ黒な装甲服がハンガーにかかっていた。


「どう?」


「……お前さ、ぬいぐるみの時にも似たような事を言ったけど、絶対に最近バットマン見ただろ?」


「え、あー……まぁ、スコット・スナイダー期をちょっと全巻……」


「まったく……」


呆れて脱力したテンションのまま、その黒服に寅之助は近づいた。

サイズ的に、明らかに自分用のそれだ。


奇妙な黒だった。

光を吸収するあまり、黒というよりはまるで穴に見える。

これを着て暗闇に潜むだけで、確かに肉眼での判別は難しいだろう。


「闇討ち用か」


「そういう事」


そういうと、巴は次にボロボロのドローンを持ち出した。

寅之助はそのドローンに見覚えがあった。


「それ、第6ブロックでブンブン飛んでる奴だよな?広告用の」


「ゴミ捨て場に山ほど捨ててあったの。共食いをさせたら1機分くらいにはなった」


スイッチを入れると、ほとんど音もなく宙に浮いた。

飛行音で不快にさせては広告としては逆効果との理由で、元から静穏性の高い機種ではあった。そこへ、さらに手が加えられているようだった。

またよく見ると、カメラやマイクなど、元のドローンにはない装置も付け加えられている。


「これで上空から貴方のサポートが出来る」


巴はニヤリと笑った。

まるで寅之助のような笑みであった。


「よくこれだけ準備したなぁ」


「まだ終わりじゃないわよ?」


最期に巴はテーブルの上に小さな缶やグローブ、警棒などを並べていく。


「これは閃光弾、スタンガン、上手くいくかは未知数だけど、対ブラスター用の攪乱幕。それからこれはラジコンのモーターを使った……」


「待った、要するに武器か?俺用の?」


寅之助は巴の説明を静止した。

思わぬ声に、巴は驚いて手を止める。


「ええ、そうだけれど……どうかした?」


「防具やカモフラージュの服はギリ良いとして、武器は使わない。使っていいのは精々、道着と帯くらいまでだ。せっかく用意してもらって悪いな」


「……言っている意味が良く分からないのだけど」


巴は眉間に皺を寄せ、目を細めて寅之助を見た。

無表情な彼女にしては珍しく、今日は頻繁に表情が変わる日であった。


「なっはっは。まぁ、そうだろうな。意味不明だろうよ。俺の、俺だけに通じる、俺の無価値な最強って奴だからな」


「……?」


寅之助は笑い、巴は困惑する。

そして少年は少しばかり考えると、理解されぬことを承知で口を開いた。


「あー……そうだな、武器を使って誰かを襲うなんてカッコ悪ぃだろ?素手がいい」


「状況、分かっている?相手は武器どころか銃を確実に持っているわよ」


「お前が全部正しいのは分かってるよ。でもな、これは俺にとって絶対に譲れないんだよ。ケンカを素手でやるって事は。俺が俺であるために」


寅之助は自分の手のひらを見た。

何度も何度も固い道着を握り込む事で、手の関節には『柔道ダコ』が出来ていた。

このタコこそが彼なのだ。例え誰に理解されなくとも。


「……理解が出来ないのは、理解したわ」


「悪いな」


「いえ、持っていってもらうわ」


少女も引かなかった。

肉体の強さはともかく、意思の強さにおいて、少年に引けを取らなかった。


「使わなくてもいい、でも持っていきなさい。これが最大限の譲歩」


無表情のまま発せられた毅然とした声は、ガレージに凛として響いた。

この獣は、どうしてもその声には弱かった。


「んー……それも嫌だ、つったら?」


「だったらこの作戦は取りやめて二人で警察に行きましょう。どっちにする?」


一歩も引かないという、頑とした覚悟が見て取れた。

寅之助はため息をつき、肩を落とした。


「……分かったよ。ただし本当にヤバくならないと使わねぇからな」


渋々と了承した。

何よりも、お前に前科なんかつけたくないんだ、とは言わなかった。


「……じゃあ、武器の説明をするから背筋を正して聞きなさい」


貴方だけじゃない、私も貴方に傷ついて欲しくないの。

彼女も、そうは言わなかった。




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