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凛として咲く獣-17

「おバカ」


その美しい少女は、豚肉・卵・きくらげの炒め物を口の中へと放り込み、無表情でそう言い放った。

対面に座る筋肉質の少年は、面白くなさそうに頬杖をつく。


「行動の前に少しでいいから考えなさいって何度も言っているでしょう。おバカ」


「お前の少し考えるは普通の人の熟慮だろ……」


運ばれてきたエビチリを少年は頬張った。

傷だらけの口内に染みて痛みが走るが、少年は意に介さない。


「普通の人は考えるまでもなく、ギャングに一人で挑もうとは思わない。あ、ごめんなさい、スーラータンメン追加で」


近くを通った店員に少女は手を挙げて注文を追加する。

少年ほどではないにせよ、この少女も、細い体のどこに詰め込めるのだろうと思うほどの健啖家だった。


「はいはいただいま。ってあれ?もしかして巴ちゃん?」


「お久しぶりです」


妙齢の女性店員は、少女を巴と呼び親しげに話しかける。

少年と少女は、小学生の頃からここへ通い詰めていた。


「あらまぁ、本当にキレイになって。私の若いころみたい」


「今でもお綺麗ですよ」


巴はニコリと笑って、妙齢の女性に一切のてらい無く言ってのけた。

全くの余談だが、巴は同性から告白された経験が何度かある。


「まぁなんて良い子。タンメンはお店のおごりにしちゃう」


女性は上機嫌を隠さずに、空いた皿を片づける。

そして少年へと顔を向けた。


「寅之助はアンタ、人相が悪くなったわね。またお爺さんに迷惑かけてないでしょうね」


「あー……まぁ、ほどほどに」


「ダメよ、全く」


女性はそう言うと、空になった皿をもって厨房へと引っ込んでいく。

寅之助と呼ばれた少年はため息をついた。


巴と寅之助は、第4ブロックにある町中華へと来ていた。

昔から馴染みの、手ごろで美味い店。


「……で、貴方は私のために、私を遠ざけて一人でギャングに挑もうとしたと」


巴は珍しく笑みを浮かべた。

にやにやと可笑しそうに、楽しそうに、そして嬉しそうに。

一方で寅之助はひたすらに仏頂面であった。


「もう勘弁してくんねぇかなマジで……」


「ダメよ。私、貴方に胸元を掴まれた時は本当に怖かったんだから。それに傷ついた」


「悪かったよ……」


寅之助は頭を押さえた。

他人の3倍は食べる寅之助が、今日はあまり食事が進んでいない。

一方で巴は、いつも以上に食事を堪能していた。


「昔はトモちゃんトモちゃんって、私の後ろをついて回って。それなりに可愛い顔もしていたのに。いつの間にかゴジラかアンギラスみたいな顔になって……」


「ほっとけ。顔は関係ねぇだろうが。それに俺は俺のツラが割と気に入ってんだよ」


そう言って中華式骨付きポークリブにかじりついた。

まさにその様子は怪獣そっくりだ。


「お前だって昔はもっと……まぁ、お前は今でも可愛いか」


寅之助はつまらなそうに言い放った。一瞬、巴の箸が止まった事には気づきもしない。


「まったく……平気でそういう……」


「は?」


「なんでもない。ま、反省は本当にしているようだし、これくらいにして、建設的な話をしましょうか」


そういうと、巴は自分のリュックサックから小さなポータブルPCを取り出した。

ちょうど皿も片付いた所で、テーブルをウェットティッシュで拭き、PCを置く。


「まず私も認識が甘かったのは認めるわ。貴方に指摘されたギャングの面子から来る行動論理、それは確かに考慮に入れていなかった」


「観念して、警察に行って全部話すか?俺たちも無実ってわけには行かないだろうが、死ぬよりゃいい。特にお前は重たい罪にはならないはずだ」


巴はどこか遠い目をすると、ため息をついた。


「だと良いけれど。法を犯したツケ、か。私も考え無しはあまり他人の事を言えないわね」


昔は少年法という観念があり、未成年は大幅に減刑されたという。

今でも未成年の犯罪は重くはならない傾向があるが、それでも前科や前歴はつく。


「……じゃあ、決まりか。本当にすまん。俺のせいだ」


「いいえ。警察はダメ」


「うん?」


寅之助は怪訝な顔をした。

まさか、武蔵野巴という女が覚悟の決まらない人間とも思えない。

その疑問に答えるように、開いたPCの画面を寅之助へと見せた。


「あん?『警察、ギャンググループ ネイチャーへと捜査情報流出』……警察は暴力団対策課の刑事がネイチャーのメンバーに対し、捜査情報を流出させたというもの……か、なるほど」


「結局のところ、反社会的な団体が大手を振って活動する陰には、公権力がいる。もちろん大半の警察官が真面目に職務をこなしているとは思うけど、どこまで信用できるものか、というのはあると思う」


「……ああ、そうだな」


寅之助は、アモン刑事を思い出していた。

このネイモアシティの第6ブロックでの、寅之助の最も苦い記憶。

そしてこの街で、警察が信用できないと言う事を、寅之助は肌で感じていた。

だがしかし、ギャングという巨大な相手に対する選択肢が、他にあるだろうか?


「……それでもやっぱ、警察が一番マシな選択肢じゃねぇか?」


寅之助のごく建設的な物言いに、巴は苦笑した。

これから自分が言おうとしている内容が、あまりにも対照的だったからだ。


「だけれども、腹が立たない?」


「腹が立つ?」


「そう。社会というシステムは貴方を守らなかった。ギャングは貴方を搾取した。どちらにも一発、カマしてやりたくない?」


巴は頬杖をついて、口角を上げた。

寅之助はあっけに取られ、一瞬、言葉を失った。


「……俺は一体、どこの誰の高潔さってもんを守ろうとしてたんだっけか」


「さぁ?貴方の頭の中だけにいる人じゃない?」


巴は笑ったまま言い放った。

確かに自分は、ほんの数か月前までなら考えもしなかった事を言っている。でも、今の自分は嫌いじゃない。彼女はそう思った。


「……確かに、俺はお前の事を勝手に美化してたのかもな。友達失格だ」


「でもね、寅之助。貴方の頭の中にしかいない人は、きっと貴方に感謝してる。貴方が身を削ってまで守ろうとしてくれた事をね」


「それは違う。お前だ、お前が俺を助けようとしてくれたんだ。だから俺はその借りを返しただけだ」


一瞬の沈黙。

そして寅之助はウーロン茶を流し込むと、ため息をついた。


「なぁ……なんでここまでしてくれる?今回の件だけじゃない。なんで4歳の時、俺を助けた?お前なら、俺が単なるトラブルの元でしかないと、あの歳でもわかったはずだ」


「それは……一言でいうのは難しいわ。複数の、複合的な理由よ」


活気の良い店の声が響く。

家族連れ。恋人や友人と食べに来ているグループ。一人でラーメンをすする者もいる。

誰も彼もがどこか嬉しそうだった。

みなそれぞれに思い思いの幸福があり、人生がある。


「でも私は……そうね、事象を見る時に、どうしても感情よりも理性が先に働いてしまう。貴方と初めて会った時、それをどう思うかよりも、貴方が……その……」


巴は口ごもった。

寅之助は小さく息を吐いた。


「いいよ。はっきり言え。お前なら言っても構わねぇ」


「……ご両親に、虐待されている事が、すぐに分析できた。見捨てれば、後悔する結果になるだろうと類推できた。後悔はしたくなかった。それだけの、利己的な理由」


巴は自嘲的に笑った。

そう、結局のところ自分は利己的なだけの女なのだ。

社会が論理的であってほしい、正しくあって欲しい。そういう感情を満足させるためだけに動いているにすぎない。

ただの脳の報酬系を満足させているだけだ。


「なんだ。やっぱり、俺の頭の中だけの女じゃねぇじゃん。ちょっぴり修正が必要だったけど」


「え?」


寅之助はカニチャーハンを飲み込むと、巴の目をまっすぐに見た。


「お前は、イイ奴だよ」


「そう?」


「お前は正しい事をしたいだけだと、堂々と言ってる事に気づかねぇのかよ。イイ奴だよ、損な性分だけどな」


今度は、巴が言葉を失った。

寅之助がカニチャーハンの皿を、レンゲで擦る音が気持ちよく響いた。

大盛りのカニチャーハンはあっという間に空の皿へと変わる。


「損な性分、か。そうかもね。でも、良い事もあったの」


「へぇ?例えば」


「貴方に、会えた」


次の皿へと腕を伸ばそうとした寅之助の動きが、止まった。

そして寅之助の顔が、わずかに赤くなる。


「お前さ……それ、他の奴には言うなよ。絶対に勘違いされるぞ」


「ええ。だから絶対に勘違いしない、正しく解釈してくれる相手だから言うの」


二人は気づかない。

勘違いしているのは、誰かという事に。


「それで話を戻すけど、どうする?一応言っておくけど、私なりに勝算もあって言っているのよ」


「いや、それでもよぉ……流石に警察抜きでギャングとやりあうっちゅうのは……」


「顔、笑っているわよ」


慌てて寅之助は顔を手のひらで隠した。

こんなに楽しいのは、多分、生まれて初めてだった。






二人は三次元モノレールに乗り、第2ブロック、第1ブロックとあがり、さらに第1ブロック上の最上層の表層ブロックで降りた。

そこからは、澄み渡った満点の星空が見える。

海上に浮かび、さらには基部ブロックが海洋汚染除去ユニットになっているネイモアシティ周辺の大気は、太陽系でも屈指の清浄度だった。


「スゲー綺麗、第4や第6からじゃこんなの見えねーぞ」


寅之助は空を見上げてため息をついた。

彼の目には空に輝く星々が、この世のものと思えぬほど幻想的に映った。


「……そう、そうなのね」


何気ないその一言に、巴は自分の胸を切り裂かれた。

自分は、下層からこの夜空がどう見えるか、今この瞬間まで想像もしなかった。

最上層に住む自分は、この星空を当然のものとして享受し、美しいとさえ思わなかった。


「うん?どうしたよ?」


その様子に、寅之助は素早く反応した。

心配そうに巴の顔を覗き込む。


「いえ、何でもない。そうね、綺麗な夜空」


「お前を家まで送っていくと、これが見えるから役得だな。まぁ本当に見たけりゃ普通にここまで上がってくるだけなんだけどさ」


寅之助は楽しそうに笑った。

本当に屈託のない笑顔だった。

それを見て、やはり巴は居心地を悪そうにする。


「……あのさ、俺だって成長しないわけじゃない。お前がなんでそんなツラしてんのか、少しは理解できるよ」


「えっ」


突然の言葉に、巴は思わず振り向いた。

視線の合った獣の顔が、ニヤリと笑う。


「お前はさ、そんな顔してくれるからイイ奴なんだ。手だって差し伸べてくれる。お前はやれることをやってくれてるよ」


巴は無表情のまま、視線を下へと向けた。

親しい人間にだけは分かる、巴が苦痛を感じている時の表情であった。


「……でも、私に高慢さが無いとは言えない。どこかで、貴方を見下しているのかも」


「だとしたらなんなんだ?お前が前に言ってただろ。『客観的な状況は変わらない』だったっけ?ジジイの店を売る、売らないって話した時にさ」


「あれは本当に御免なさい。今でも後悔している」


巴はうつむくが、寅之助は慌てて声を上げる。


「いやお前が正しかったって言いたいのさ。結局、どう思おうと物理的にやれることを選ぶしかない。そしてお前はその選択肢を増やしてくれた。ちょっとやり方は良くなかったけどな」


「そうかしら……」


巴は納得が出来なかった。

心の無い正しさが、本当に世界をよく出来るのだろうか?

だが確かに寅之助の、そしてかつての自分の言う通り、物理的に可能な選択以外を選ぶことなど出来ない。


「あとな、お前の高慢で賢いところが、俺は超好きだ」


巴の両耳が真っ赤に染まった。

表情はピクリともしないまま、耳だけが真っ赤に染まった。

努めて無表情を維持しても、それだけが抑えられなかった。


「そういうの、勘違いするって貴方が言わなかったっけ?筋肉馬鹿」


「その返しもどっかの小賢しい女が言ってたよな」


二人が笑いながら歩くと、いつの間にか巴の自宅へと到着していた。

実際の歩く距離よりも、短い時間に感じた。


「……そういえば、貴方、明日は学校に来るの?」


「行きたいけどな、仕事がある。お前の『作戦』を考えると店には出続けた方がいいだろ?」


背後にある邸宅からの光が巴へと当たり、そして寅之助はその影になっていた。


「そう、そうね……」


「どっちにしろ今度の土曜日にはきちんと打ち合わせするんだろ?すぐ会えるさ」


そういって寅之助は手を挙げて、去って行こうとする。

しかし途中で、はたと足が止まった。


「……そういえば一つ聞きたかったんだけどよ」


「何?」


「お前、どうしてあそこに突然現れたんだ?俺が第5ブロックにいたのは偶然だぞ。でもお前は完全に待ち構えていたよな?」


「あー……」


巴は声を上げて、そして珍しく目を泳がせた。

しばらく逡巡すると、意を決して、というよりは諦めたように口を開く。


「……芸能人は、食べ物とぬいぐるみをプレゼントされても絶対に受け取らないそうよ。何が入っているか分からないから」


「は?……あ!!」


寅之助は声を上げると、慌てて自分のベルト止めから、巴から受け取った犬のぬいぐるみのキーホルダーを取った。

そして軽くぬいぐるみを押すと、固い物体が入っているのを指先で感じた。


「おい、巴さんよ。中身開けるぞ」


「……どうぞ」


ぬいぐるみのファスナーを降ろすと、中から小さな金属製の円盤が現れた。

財布やカバンなどの居場所を端末に知らせる、追跡タグであった。

寅之助がどこにいるか、筒抜けだったというわけだ。


「おっ、お前……お前さぁ……俺、結構これが救いになってた部分あったんだけど!?」


「あら。それは何より」


「あらじゃねぇよ!バットマンかテメーは!?」


寅之助は脱力して座り込んだ。

うなだれて下を向くと、小さく声を上げ続けている。


「……なぁ、聞きたくない事をもう一個聞いていい?」


寅之助は顔を下げたまま、弱弱しく声を発した。

巴は人差し指を顎に当てる。


「聞かなければいいのに」


巴の言葉を無視して、寅之助は言葉を続ける。


「お前さぁ……さっき、なんか、服を……脱ごうとしたじゃん。あれさぁ……」


「ん?ええ。もちろんあれは十分な勝算があったわ。だって貴方、私の事を『友達じゃない』なんて言いながら、ぬいぐるみを捨てるどころか、まだ持ち歩いているんですもの」


平然と言い放ったのを聞き、寅之助は溜息をついた。

本当に深く、長い溜息であった。


「私の『イイ奴』って評価、撤回する?」


「してやらねぇよクソ。イイ奴でいやがれ」


だがコイツはこういう奴だ、という納得が、寅之助の中にはあった。

見上げて巴の顔を見る。

ニコニコと笑っていた。

悔しいが、それでも悲しそうな顔をしているよりはいいと、寅之助は自分を無理やり納得させた。


「はぁ……じゃあな。おやすみ、武蔵野巴」


「ええ。おやすみ石川寅之助」


あいさつを交わすと、二人はまた逆方向へと歩いて行った。


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