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凛として咲く獣-15

ガイは道場の畳の上で、座して目を閉じていた。

私服から日本拳法の道着に着替えている。

そして道着の上から、スーパーセーフと呼ばれる面を被る。さらには胴、股当てと呼ばれるファウルカップ、そしてグローブを身に着けている。


「お待たせしました」


そこへ、同じ格好をした寅之助が入ってくる。

きちりとしたガイと思うと、どことなく不格好だ。


「遅い」


「しゃーないじゃないスか。こんなんつけるの初めてですもん。今からケンカする相手に着せてもらうわけにもいかんですし」


悪びれる様子のない寅之助に、ガイはため息をついた。


「まったく……しかし、なぜ日拳ルールなんだ?」


「シンプルにやってみたかったんですよ。日拳は柔道からの転向組も多いじゃないスか。俺も興味あったんで」


寅之助が素直に答えたのを聞いて、ガイは彼が13歳の少年であることを、初めて感覚的に理解した。

擦り切れていない、13歳のしなやかさと素直さがそこにはあった。


「まぁ、いい。はじめるか」


「へへ……」


面の下で寅之助は笑い、ガイはゆっくりと立ち上がった。

かつて戦った剣術の金串がそうであったように、彼の所作にも流麗な美しさがあった。

格闘技に身をささげた者に共通する美しさだ。


「寅之助、はっきり言う。防具を付けた状態でお前が勝てる可能性は、ゼロだ」


「あぁ?俺に30秒で負けた人がなんか言ってらぁ」


「ン……嫌いじゃないぜ。そういうの」


二人はトラッシュトークをかわしながら、ジリジリと間合いを詰める。

面の視界の悪さと息苦しさ。胴と股当ての動きにくさ。これらに困惑と、どこか胸の高鳴りを覚えながら、寅之助はガイを必死に視界に収めていた。

いや、収めていると思い込んでいた。


「あうっ!?」


突然の腹部への衝撃。次いで激痛。

ガイの前蹴り──日本拳法で言うところの揚蹴りが、寅之助を捉えていた。

寅之助は視界の悪さに翻弄され、蹴りを出された事にも気づかなかった。


「日拳ルールならこれで一本だな」


うずくまる寅之助に、呆れた様子でガイは言い放った。


「痛てて……まぁ、今ここに審判いないんで」


「ン……そうだな。勝ちも負けも、決めるのは俺とお前の二人だけだ」


ガイは笑い、中段で構えた。そして寅之助が立ち上がるのを待つ。

立ち上がった寅之助はその構えを見て、ため息を漏らした。


「すげぇな」


構えの隙の無さ。

あれほど早く、遠くから届き、防具の上からでも響く前蹴り。

良く勝てたなと、改めて思いなおす。


「どうした?」


「あんたに勝ちたいな、って思った」


そういうと、寅之助は飛び込んだ。

蹴りの間合いを外し、突きの間合いへ。

当然、伸びてくるのは因縁のあの技。


直突き。


「ううっ!」


寅之助は、不格好ながらも直突きをブロックする。

ブロックの上、面の上からでも脳を揺らすほどの衝撃。それでもまだ、動ける。


「つかんだ!」


そして突きのさらに内側の、組技の間合いへ。

寅之助は直突きで伸びた左腕を掴んだ。

ガイの腕をへし折った最初の戦いの再現とばかりに、寅之助は引き込みを敢行する。


すぽん。


「……あれ?」


寅之助は厚さ3.2mm程度の鉄板ならば、握るだけで粘土のように曲げる事が出来るほどの握力を持つ。

その握力で掴まれたはずのガイの腕は、あまりにもあっさりと外れた。


これが初戦で、ガイが引き込みに不用意であった理由の一つだ。

分厚いグローブを使っての『つかみ』は、握る力を半減させ、エスケイプを容易にする。

それに慣れてしまっていたからこそ、ガイは寅之助との戦いで引き込みへの警戒が薄かった。


そしてその真逆の事態が、今、寅之助に起こった。

想定外の事態に寅之助の動きが一瞬止まる。その隙を逃すガイではない。


「日拳の打撃は、直突きだけじゃない」


横面打ち。


手のひらによるフックが、寅之助の側頭部を殴打する。

ダメージそのものよりも、頭を下げさせる事を目的とした一撃。

そして次弾。

ガイは体を小さく縮こませた。

大砲に、弾が込められた。


揚げ打ち。


強烈なアッパーカットが、寅之助を上体ごと吹き飛ばした。

たたらを踏んで寅之助は後退する。

通常ならば、これで終わりだ。


「ふんぬうううう!!」


しかしこの少年とて常ならざるもの。

獣の笑みを張り付けて、寅之助はガイへと迫る。

先ほどの失敗を踏まえて、今度は抱えるようにガイへと組み付く。


「大したタフネスだよ、お前は」


がちゃん。


だが組み付く事に成功したはずの寅之助は、その場でゆっくりと倒れた。

脂汗を流し、苦痛に顔を歪め、そして声すら発せないようだった。

組み付いた瞬間に、ガイの股ひざ蹴りが、寅之助の股間に直撃していた。


「……大丈夫か?」


ガイの声に、前のめりに倒れたままの寅之助は、黙って親指を上げた。

しかし言葉を上げれそうには、無かった。


「無理すんなよ。股当てをつけていても『潰れる』こともあるんだ」


ガイは寅之助に声をかけながら、自分は面をほどき、グローブを外した。

そして防具を片づけると、倒れたままの寅之助の面も外してやる。

新鮮な空気が入り込んでくるのを、寅之助は感じた。


「負けたな……」


その新鮮な空気が、傷ついた肉体を回復させる。

そして寅之助はようやく口を開いた。

万が一もない完敗であった。


「言っただろ?お前が勝てる可能性はゼロだって」


ガイの言葉通りであった。

だが寅之助は激痛を感じながらも、久しぶりに充足感を覚えていた。

股間を押さえながら、うつ伏せに倒れていた寅之助は、ごろりと回って仰向けになる。


「ガイさんは……なんのために格闘技をやってますか?」


「なんだ、突然」


「いいから」


ガイは少しだけ考えると、一息で答えた。


「強くなるためだ」


「強くなったって、あんまり意味ないじゃないスか。例えば銃……くらいなら何とかなるか。戦車とかどうにもならんじゃないスか」


するとガイは一瞬、天を見上げて考える。


「んー……ガービィ・シャスターが素手で歩行戦車を壊した映像を見た事があるぞ」


「そんでもガービィだって科学隊と丸々戦って勝てるかって言われたら無理でしょ」


「剣一人の敵、学ぶに足らず。か」


「それ言った奴は100人を一度にぶった切るくらい強かったらしいってのがムカつきますよね」


二人は笑った。

そしてガイは一瞬だけ逡巡し、すぐに口を開いた。


「さぁな。強くなる意味なんて、ただの自己表現の一つだろう」


天を仰いだままの寅之助は、それを聞いて、無表情のまま口を開く。


「じゃあ、最強ってどう思います?」


「定義さえ分からないな」


「なら最強になれるとしても、なりたくないスか?」


「それは、なりたい」


「定義も分からないのに?」


するとガイは精悍な顔に、力強い笑みを浮かべた。


「俺が、俺の思う、俺だけに通用する最強でいい。それになれるのならば、なりたい」


一瞬の沈黙。

そしてさざ波が徐々に大きくなるように、寅之助は声を上げて笑い出した。


「あはははは、でもいいな、それ。俺もなりたい。無価値ですけど」


「そうだな、無価値だからいいんだ。誰にも価値はない。俺だけの最強」


心の中の澱みが、溶けていくのを感じた。

そして寅之助はグローブを外し、それを眺める。


「……日拳っていいですよね。投打極全部アリで、金的まで使っていい。ほとんど戦争じゃないですか」


「どうした急に?」


「大昔から他人様を殴ったり、殴られたりが楽しいって奴が一杯いたって事じゃないスか。しかもキンタマまで潰してーって奴」


掲げたグローブで、照明を隠す。

視界が暗くなった。


「そんな奴がさ、なんとか社会と上手くやろうとして、グローブとかつけようって言ったわけじゃないスか。偉いなって」


「話が見えないな」


ガイの怪訝な顔に、寅之助はどこか寂しそうに笑みを浮かべた。

そして掲げたグローブを畳に置く。


「俺、他人を殴ったり折ったりするの、楽しいんスよ。でもそういうの、絶対良くない事じゃないスか」


沈黙。

寅之助は表情を変えず、虚空を一点に見据えた。

そこには、錆びた天井しか見えなかった。


「なんだ、そんなことか」


あまりにも拍子抜けする返答に、寅之助は思わず起き上がり、ガイを見た。


「えっ?」


「今の言い方はただの露悪だろう?他人を傷つけるのが楽しいんじゃない。戦うのが楽しいんだ。それとも、今の防具をつけての戦いはつまらなかったのか?」


「いや、超楽しかったッス」


それも久々に、ケンカが楽しかったとは、寅之助は言わなかった。


「だろう?そんなのは格闘技がスポーツとして成立しているんだ。当たり前の話だろ」


ガイは何を分かりきった話を、という表情を隠さなかった。

それを見て寅之助は笑いかけたが、すぐに目を伏せる。


「……でも俺、ガイさんの腕をへし折った時も楽しかったんスよ」


「あんなのはお互い危険を承知の上で、自分の意思であそこにいたんだ。そんな事で恨みなんかない」


「折らずに済ます事だって出来た」


「それもあの場では関係ない。それに俺だって、覚えた技は使ってみたいし、使っていい。それも、お互い承知の上だったんじゃないのか?」


違うのか?とガイは問いかけた。

寅之助は、答えられなかった。


また全身の火傷が、うずいた。

寅之助にとっての暴力の原点はこれだからだ。

弱く抵抗できないものを、一方的に加虐して喜ぶ。そういう人間の血が、自分にも流れている。

だから自分も、本当はそうしたいんじゃないのか、それを常に自問していた。


「なんだか話が読めないが……『武』という字は『戈』を『止』めると書くだろう?これは理不尽な暴力を止めるという……」


「あ、そういうのは要らねッス。そういう話が好きそうな武道関係者の、不祥事の多さヤバいじゃないですか。大嘘ですよ、そういうの」


「まぁ聞けよ。俺だってこんなもん信じてないさ。野蛮な技術を社会に認めさせるための建前だ。だが建前にだって一片の真実はある、じゃなきゃ社会が納得しないからな」


寅之助は起き上がり、あぐらをかいた。

全身の火傷痕はまだ、疼いている。


「お前も知っての通り、『戈』ってのは悪い暴力って意味だ。そして『武』ってのは『戈』を『止(と)める』じゃない、『止(や)める』だ」


ガイは宙に文字を描きながら、話を続ける。


「つまりだ、悪い事に使わないならどうしようが文句を言われる筋合いはない、って意味だと思うようにしている」


寅之助は頬杖をつき、そして苦笑した。


「それがガイさんの解釈?微妙なトコに着地したな~。もうちょいそれらしい話すると思いましたわ」


「しょうがないだろう。本質的には暴力なんて悪い物なのは確かなんだ。だが、少なくとも今の話にウソはないだろう?」


「それはそうですけど。しかしペラペラと出てきますね」


「道場の経営をしていると、こういう屁理屈も覚えなきゃいけないんだよ」


ガイは口元をヘの字にする。

面白くもない説教をする機会が意外と多いのだろう。


「悪い事に使わないんだったらなんだっていい、か」


あまりにも当たり前すぎて、寅之助は自分の悩みが馬鹿馬鹿しくなった。

だがガイの言う通り、この言葉に嘘はない。

そして自分の悩みの正体が、分かった気がした。


寅之助は、誰かのようになろうとしすぎたのだ。憧れた彼女のように潔白であろうとしすぎたのだと。


「……ああ、そうか。だからケンカも最強も無価値なんだ。無価値だからいいんだ」


そしてケンカが楽しくなくなった理由にも気が付いた。

死をリアルに感じて、怖気づいたからだと思っていた。

だが今までの戦いの中で、死を感じた事などいくらでもあった。


祖父のため、ギャングを倒すため、そして巴のため。

そんな最もらしい『何かの為』の戦い。それに不純さを感じていたのだ。


この目的の正しさ自体に揺らぎはない。

寅之助は自分の強さをそれらのために使うのも正しいし、また使う義務もあるとは考える。


だがそれは、『ケンカ』や『最強』を目指すのとはまた別の理屈だ。それを彼は混同していた。

寅之助は社会に対して無価値な、自己実現のために強くなりたいのだ。

ケンカを使って何かを得ようとしたくなかった。

そこに対しては、純粋でいたかったのだ。


「くだらねー事に、悩まされ続けていたなぁ……」


「何に納得したのかは知らんが、もしお前が、弱い人間を食い物にするために暴力を使うのたなら、俺はお前の顔面に直突きをブチこむぞ」


「死んでも嫌ッスね。そんなことをするのは」


気付けば、火傷のうずきは消えていた。

代わりに体が芯から温まるのを感じた。


「さてと、休憩はもう良いだろう。続きをやろうか」


「あー……防具取っちゃったんで、ちょい待ってください」


「いや取ったままでいい。片づけておいてくれ」


そういうとガイは畳の中央へと歩き、構えた。

日本拳法の構えでは無かった。

身は正体、両手は開手。


「今度は柔道のルールで、やろう」


寅之助は無表情になり、そして少し驚き、最期には声を上げて笑った。


「いいんスか?ガイさんが勝つ可能性はゼロっスよ?」


「俺にキンタマ蹴り上げられて、泡ふいていたヤツがなんか言ってるな」


二人は視線を合わせ、笑う。

そして寅之助は立ち上がり、猛烈な勢いで駆け出した。






寅之助がガイの道場に来たのは昼前だったが、帰る頃には日が傾きかけていた。


「また来いよ」


「来られたら、来ます」


「来ない奴じゃないか」


そういって二人は笑いあった。

二人の顔はどちらも傷だらけで、腫れあがっていた。

しかし両者とも、晴れ晴れとした笑顔だった。


「いやそうじゃなくて……本当に来たいんスよ。でも来られるかどうか、分からないんで」


寅之助は伏し目がちに言った。その様に、ガイも何かを察したようだった。

黙って寅之助の肩を軽く叩いた。


「おっと」


すると、寅之助のポケットから、端末にチェーンで繋がれた犬のぬいぐるみが転げ落ちた。


「可愛いのつけてるじゃないか」


ガイはくすりと笑う。


「お守りです。俺の大事な。……でももしかしたら、今日からはもう、必要ないかもしれない」


「これは余計な事を言ったかな」


寅之助は無言で手を挙げて答えると、スニーカーを履いて立ち上がった。

擦り切れてボロボロのスニーカーだ。新しいのを買おうと、寅之助は思った。


「それじゃあ、また」


寅之助が挨拶すると、ガイが口を開いた。


「寅之助」


「はい?」


「今日は、楽しかったな」


「……はい。今日は、楽しかった」


引き戸を閉める音が、気持ちよく響いた。




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