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凛として咲く獣-14

ダンスホールの中央で、一人の男が、もう一人の男を一方的に殴打していた。

開けた人垣が疑似的にリングを形成し、その中心で袴をはいた男が一方的に攻め立てている。


「はっ!噂ほどじゃないな!」


袴をはいた男の中高一本拳が、もう一人の剃り込みの入った坊主頭の人中に突き刺さる。

坊主頭の男は、顔を押さえて倒れ伏し、客が湧いた。


「えらく強い新人と聞いていたがこの程度か!我が無明神拳流の敵じゃな」


袴の男が、転んだ。


倒れた坊主頭の男が、足を掴んで引っ張ったのだ。

そしてそのまま坊主頭は、袴の男に馬乗りになった。

かの有名なマウント・ポジションだ。


「あァ~、痛ぇ」


気だるげな様子で、坊主頭が呟いた。

先ほど打たれた鼻と口の間をさすると、倒れた袴の男へ視線を向けた。


「……で、そのナントカ流としてはここからどうなさるんで」


「くっ!」


袴の男は、その坊主頭の股の下で体をくねらせ、回転し、暴れまわった。

しかしまるでベアリングに刺さったシャフトを回すように抵抗がない。だだっぴろい床の上で動いているのとまるで同じように感じた。


マウント・ポジションを『馬乗り』と呼ぶのは厳密には間違いだ。

なにせ実際には乗ってはいない。

相手の胴を股の間に挟み、わずかな中腰で座る。それが正しい表現だ。

こう座る事で、相手が暴れても抵抗がかからず、逆に挟んだ足でコントロールできる。


「論外だなアンタ」


そして頭上から振り下ろされる拳。

マウントパンチ、パウンドなどと呼ばれ、最初期の総合格闘技で猛威を振るい、そして現在では安易に使われない技。


「く、くそっ!」


袴の男は振り下ろされる拳を嫌がって、マウント・ポジションの下で背中を向けた。

柔道などで『亀』などと呼ばれる態勢だ。


「おいおい」


それを見た坊主頭の男は、どこか気の毒そうな視線を袴の男へ向けた。

パウンドを亀になって逃げてはいけない。こんなのは三百年も前からの常識だ。


「古武術ってのはどうしてこう……」


坊主頭の男は苦笑しながら、すくい上げるように男の首に腕を通し、絞める。

亀になってはいけない理由がこれだ。

こうなったバックチョークからは、絶対に逃げられない。


「おい、1回だけ聞いてやる。ギブアップしろ。落ち癖がついちまうぞ」


『落ち癖』とは、絞め技で繰り返し気絶させられることで、わずかな圧力でもすぐに気絶してしまうようになる現象を指す。

『落ち癖』が発症する頻度も程度も個人差が大きいが、酷いものになると、首元に棒状の物が当てられただけで気絶するようになってしまい、日常生活にも支障が出る。


「ギ、ギブアップ……」


袴の男は呟き、そして坊主頭の男は即座に腕を離した。


『勝者!石川寅之助!』


審判が勝ち名乗りを上げた。

寅之助と呼ばれた坊主頭の男は、表情一つ変える事なくリングを後にする。

肩を落として歩くその姿は、まるで敗北者のようだった。


もはや必要のない戦い。

それでも辞める理由も、続ける理由も見いだせず、ただ惰性のように寅之助は戦い続けていた。


「ケンカが、楽しくねぇ……」


寅之助はそうボソリと呟いた。

その姿を、一人の精悍な男が見ていた。





翌日の朝。

寅之助は体が重かった。

安いせんべい布団で一日中眠っていたいと、寅之助は思った。

それでも身に付いたルーティンとは恐ろしいもので、のそのそと布団から這い出すと、顔を洗い、歯を磨き、ミルクを一杯だけ飲む。

そしてトレーニングウェアへと着替えると、毎朝のランニングへと出かける。


そしてこのランニングという奴が厄介だ。

妙な話だが、走っている間は案外に暇なのだ。この感覚はランナーにしか共感は難しいだろう。

そのために、余計なことを考え始めてしまう。


寅之助の場合は、やはり先日と、そしてこれからの事。


巴を拒絶した事は、良い。

そこに後悔はない。胸に空いた穴があるだけだ。

必要な事をしただけだと、その穴の空いた胸を張って言える。


祖父の入院費も巴のおかげで解決した。

そして自分が今、この場に居るカラクリも巴のおかげで分かった。

どおりでアトロシタスのオーナーが、ジジイが入院している事まで知っているわけだ。

巴には感謝しかない。

だから俺がこれからやるべき事。


それは『アトロシタス』を潰す事。


巴の身元が病院側、そしてアトロシタスに割れているかどうかは分からない。

そして、もしバレている場合、巴やジジイへと火の粉が及ぶだろう。

これに対し、おそらく巴は、病院のマネー・ロンダリングや人身売買を警察に通報することで、『アトロシタス』の動きを抑制できると考えているのだろう。


だがそれは甘い。

巴はああいう連中の事を分かっていない。

あいつらは損得も論理も関係ない、面子で生きている連中だ。

自分がハジをかかされたと感じたら、どれだけ損をしてもその復讐に来る。


だから俺がなんとかする。

13歳の中学生が、一人でギャングをなんとかするなんて荒唐無稽だ。

まぁ、俺は死ぬんだろうなと思う。

だがそれでも、巴の通報と、俺が引き起こす混乱で、巴やジジイへの目は誤魔化せるかもしれない。

それならば、やる価値はある。


「はぁ……はぁ……はぁ……くそ、どこだココ」


考え事をしながら走ると、気づけばずいぶんと遠い場所まで来ていた。

死ぬことをリアルに考えると、足がすくみ、胃が縮みあがる。

そして何よりも、ケンカが楽しくなくなった。


いやそもそも、自分はなぜ暴力を楽しむのだろう?

他人を傷つけたいわけじゃない。

そしてなぜ『最強』などという、ありもしない物を目指すのだろう?

せめて死ぬ前に、この答えが欲しい。


「よぉ、探したぜ。変な所で会うもんだ」


突然、声をかけられた。

寅之助が振り向くと、そこには一人の青年が立っていた。

レザーのジャケットを着こなした、中々に整った顔立ちの、精悍な青年であった。


「あ……」


寅之助は、その青年の名前は知らない。

だが確かに、その青年を知っていた。


「ま、俺なんか覚えちゃいないかな」


「……俺が折った腕は、どうスか」


寅之助が答えると、その青年は眉を上げた。

かつて寅之助が戦った、日本拳法の男であった。30秒で試合を決めろと言われ、寅之助は彼の腕をへし折っていた。


「ああ、現代医療ってのは凄いもんさ。それよりも、体を冷やしちゃいけない。歩きながら話そうか」


薄汚れた街並みを、二人の男が連れ立って歩く。

広告ドローンが早朝から宙を舞い、薄汚れた屋台の数々は店の準備を始めていた。

その中を、鍛え抜かれた二人の男が、歩く。

寅之助のように膨らんだ体ではないものの、この男も十分に引き締まった肉体であることは、服の上からでも十分見て取れた。


「門ガイだ」


「カドガイ?」


「門 ガイ」


日本拳法の男はそう名乗った。

寅之助は名乗られたのを理解できず、間抜けな返答をする。


「あ、ああガイさんスか。石川寅之助です」


「知ってるよ。それよりも、よく俺なんか覚えていたな」


「『アトロシタス』でやった相手じゃアナタが一番強かったッスから」


「30秒かからなかった相手が?」


「別に皮肉やお世辞で言ってねぇッスよ。あれは10回に1回ひけるクジが、2回連続で引けただけ。普通にやったら……10に、7か8は俺が負けていました」


寅之助は、この男の鋭い直突きを思い出す。

あれこそもし直撃していたら、10秒とかからずに自分が負けていただろう。


「逆に言えば、100回に1回は、俺は30秒で瞬殺されるわけだ」


そういってガイは笑った。

つられて寅之助も笑う。気持ちよく笑えたのは久しぶりだった。


「んで、何の御用です?」


「ン……前から話がしたくてね、何度か試合も見せてもらっている。18歳だって?まだ若いのに大したもんだ」


すると寅之助は気まずそうに眼をそらした。

僅かに口ごもり、そして言葉を発する。


「あ、いや……実は、13ス」


「ははっ、その顔や物腰で中学生はないだろう」


ガイは一笑に付した。そこで寅之助は、申し訳なさそうに自分のIDを見せた。

するとガイの顔が凍り付く。


「……え、本当に13歳!?俺の半分!?」


ガイは天を仰ぎ、顔を手のひらで押さえた。

その手の下で、目が獣のそれになったことは、寅之助からは見えなかった。


「いや~……マジか。俺、中学生に負けたのかぁ。死にたくなってきた」


「なんか、すいません」


「謝るなよ。余計ミジメになる」


ガイは冗談めかして言った。

だが、寅之助は感じた。

この精悍でさわやかな青年には、自分と同じ熱と、臭いがある。

人を食べる、獣の臭い。

寅之助は無意識に重心を、戦うためのそれに変化させていた。

しかしその緊張は、気の抜けた声で破られた。


「……なぁ、このあと時間あるかい?」




第5ブロック。

第6ブロックから一階層上がっただけで、空気はどこか軽かった。

地表ブロックにより近くなっただけあって、さんさんとした美しい青空が見える。

これでも、上層ブロックと比較するとまだくすんでいるのだが。


そしてその空気の中を歩く獣が二頭。

分厚い獣と、引き締まった獣が連れ立って向かった先は、寂れた道場だった。


「んん……良い道場だ」


「皮肉か?まぁ上がれよ」


おそらくは、元は自動車工場か何かであったのであろう。

頑丈な鉄骨やクレーン、十分に補強されたコスモ・チタニウムの床材など、その痕跡が見て取れる。


だが畳、サンドバック、巨大な姿見、丁寧に片づけられた防具やバーベルなど、誰恥じる事の無い立派な道場であった。

寅之助は心底本気で褒めたのだが、伝わらなかったようだった。


「良いな、この臭い」


い草の臭いが鼻孔を刺激し、それだけで寅之助は涙が出そうだった。

そして、獣の気配を敏感に感じ取っていた。


「……さてと。真剣に格闘技をやっている男同士が、道場で二人きりだ。やる事は、一つしかないよな」


そういうと、ガイは身に着けていたレザーのジャケットを脱ぎ捨てた。

血管の這う太い腕があらわになる。


「どっちにしろ、これが目的で来たんでしょ?会った瞬間から分かってましたよ」


「ま、そういうことだ。ましてや負けたのが中学生とあっちゃあな」


そういって、ガイは一歩ずつ寅之助に近づく。

お互いの間合いまで残り三歩と言った距離だろうか?寅之助は手のひらを前に出し、ガイを制した。


「なんだ?まさかビビったんじゃないだろうな」


「別にやぶさかじゃねぇッスよ。ただどうせなら、ちょっとやりたい事があって」


「やりたい事?」


ガイは怪訝な顔をし、寅之助は微笑んだ。


「どうせなら、日拳のルールでやりません?」




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