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凛として咲く獣-11

さらに数日が経過した。

今日も同じように、寅之助はウェイト・トレーニングを行うために路地裏へと向かう。

その時であった。


「げ」


寅之助は踏みつぶされたカエルのような声を上げた。

彼の視線の先には、見覚えのある男が二人いた。

一人は、彼が向かおうとしていた雑貨屋の店主。ホームレスの老人への弁当を、いつも買っている店だ。

そしてもう一人は、見覚えのある広い肩幅と短い金髪。『アトロシタス』で金をせびっていた、あの刑事であった。


「ちっ……面倒だな」


寅之助は柱の陰に隠れた。

向こうが覚えているかどうかは分からない。

しかし、可能な限り会いたくない相手なのは確かであった。


「何やってんだ……?」


両目で5.0を超える視力の寅之助は、二人が気付かない距離から凝視した。

そこでは、やはり雑貨屋の店主が、刑事に金を払っているのが見えた。


「成程ね、ギャングだけじゃなくて普通の店からもショバ代取ってるわけだ。クズめ」


寅之助は吐き捨てた。

しかし数分後に、その見立ては甘かったことを、彼は思い知る。




回り道をし、いつもの雑貨屋ではなく別の店で弁当を買い、路地裏に来る。

すると例の若者たちが呆然としているのが見えた。

ただ立っているというよりも、どこか魂が抜けたような、そんな立ち姿であった。


「何やってんだ、あいつら?」


怪訝な顔をして寅之助は若者たちに近づいた。


「おい、サボるな。ちゃんとジイさんの包帯変えたのか?」


寅之助が声をかけると、若者たちは振り向いた。

その顔は、涙と鼻水でくしゃくしゃになっていた。

寅之助は驚いた。


「……何があった?」


「ジイさんが……ジイさんが……」


泣きじゃくりながら、野球服の男が路地裏を指さした。

そこには、体に複数の穴をあけて、こと切れているホームレスの老人の姿があった。


「ジイさん!」


寅之助は声を上げて、老人に走り寄った。

既にその顔は紫色に染まり、普段の老人が出している臭いとは、また別の異臭を発していた。

おそらくは致命傷となったであろう、老人に空いた複数の穴は焼けこげており、明らかに光線銃による傷であった。

寅之助は体を震わせると、開いたままの老人の瞳を、そっと閉じた。


「……警察を」


寅之助は天を仰いだ。

その視線の先には、路地裏を監視するカメラがある。


「無駄だよ!俺、見たんだ!」


若者の一人が泣きながら叫んだ。

包帯のまかれた手であふれ出る涙をぬぐい、嗚咽を上げながら言葉を紡ぐ。


「撃ったのは警察官だ!間違いない!いつもこの辺でウロウロしてる刑事だ!金髪で大柄の!」


金髪で大柄。

ただそれだけの特徴。だが寅之助は先ほどの、雑貨屋が刑事に金を払っている光景が脳裏によぎった。

そしてなぜ、この路地の隣の雑貨屋が金を払っていたのか?最悪の想像を寅之助はしていた。

この監視カメラも、雑貨屋が管理しているはずだ。


「撃ったのが警察で、殺されたのがホームレスなら、ここじゃあ犯人なんか絶対に捕まらない。どんな証拠があっても……」


もう一人の若者がぽつりと独り言ちた。

『だから僕たちも、ホームレスに石を投げて遊ぼうとした』とは、言わなかった。


「……はは、良かったじゃねぇか。お前らが最初やりたかったようになったぜ」


寅之助は小さく呟いた。

それを聞いた少女はとっさに耳をふさいで目を閉じた。


「やめてくれよ……お願いだからやめてくれ……」


野球服の男も、すがるように言葉を紡ぐ。

だが寅之助は全身を怒張させて言葉をつづけた。


「テメェらがやった事の意味が、ようやくわかったかよクズ共!とっとと此処から消えろ!二度とツラを見せるんじゃあねぇ!!」


そう叫ぶと、寅之助は雑貨屋へと入った。

その背後で、若者たちの慟哭が響いた。




「いらっしゃい。おや、いつもご贔屓に」


すっかりと顔なじみになった雑貨屋の店主は、寅之助を見るとにこやかに笑いかけた。


「今日もバカなガキ共がうるさくてかないませんな。いつも通りのお水を二つとお弁当にプロテイン・バーで?」


寅之助は答えない。

外では野球服の若者の慟哭がまだ聞こえている。

無言でレジへと近づくと、店主へと顔を近づけた。


「なぁ、あんた。率直に聞くよ。1回だけ」


「はい?なんでございましょうか?」


寅之助は嗤った。そして店主の頭を掴むと、レジカウンターに叩きつけた。

こんな状況でも、暴力が楽しい。

恥ずべき癖だと思う。だが今だけは、それを振るう事に躊躇の無い自分が好きになれた。


「ぎゃうっ!?」


「なぁ、なんであのジィさんを殺した?正確には、殺させた?か」


「な、なんの……」


防犯ベルか、あるいは自衛用のライフルか。

店主がカウンター下の何かを探る動きをしたのを見て取った寅之助は、力づくで無理やり店主を引きずり出した。

75kgを抱えての片手懸垂を行う膂力が、このような芸当を可能にする。


「ひっ……」


血だらけの顔で、店主は悲鳴を上げた。

人食い虎が、感情の無い目で見ていたからだ。


「いくら自分の店の物とはいえ、監視カメラのある場所で堂々と……か。いくらでも隠ぺいが出来ると思ったか?」


耳元で寅之助はささやいた。

店主にはそれが、人食い虎が喉を鳴らしている音に聞こえていた。


「違うな。アンタはあのジィさんを、人間だと思っていなかった。殺しても誰も気にやしない。そう思ったんだろ」


寅之助は右手で顔をつかみ、がちりと固定した。


「目、2個もあるんだ。1個くらいいいよな」


そういって寅之助はゆっくりと、親指を店主の左目に近づける。

店主はまるで若い女性のような甲高い悲鳴を上げた。


「お願いだ!やめてくれ!分かった!認める!俺があの刑事に言って『片づけさせた』!!」


「『片づける?』あのジイさんは物じゃない……!」


あのホームレスの老人がなぜ、あそこで寝泊まりしていたか、それは伺いしれない。

しかし彼にも間違いなく幸福な瞬間はあったはずだ。

それは何よりも尊い、決して誰にも奪う権利などない尊厳。


寅之助は躊躇なく親指を沈めた。

店主は、恐怖と痛みと絶望に、絶叫した。


「ああ……ああああ……」


店主は目を片手で押さえながら座り込み、放心状態であった。

だがそれを無理やり寅之助は立たせると、顔を近づけた。


「ひいいいいいいっ……」


これで確定した。

寅之助は『刑事』などと一言も言っていない。

これが公的な場所での証言なら、十分な証拠能力を持つ『秘密の暴露』だ。

もっとも今回の場合は、それでも無意味だろうが。


「……なんでだ?あの爺さんに恨みでもあったのか?」


寅之助は静かに問いかけた。

憔悴した様子で、店主は口を開く。


「店の前であんな汚いジジイがいたんじゃ……客が寄り付かない。明らかにあのジジイがあそこに住み着き始めてから売り上げが下がったんだ……」


息を荒げながら店主は答えた。

ぽたり、ぽたりと潰された目から血が流れ落ちる。


「そんな理由で……!」


明確な殺意が芽生えた。

だがそれでも、寅之助はそれを押しとどめた。

『彼女』がくれた宝物。見ずとも感じる、ストラップにつけた犬のぬいぐるみ。

寅之助は深呼吸した。

そして首をゆっくりと回す。


薄汚れた壁。

壊れたままの棚。

品揃えの悪い商品。


ここは、地獄だ。

弱者が弱者を排除し、あざ笑う地獄。

そして今、弱者を加虐する弱者は、誰だろう?


「……おい。いつまでも鳴いてんじゃねぇよ。今の時代、目ん玉くらい治るだろうが」


「は、はひぃ……」


寅之助は手のひらを見せた。

血に染まった親指を見て、店主は再び悲鳴を上げる。


「それでも両目が見えないまま、病院行くのは怖ぇよな?もう一個も潰されたくなかったら、とっとと監視カメラの映像をよこせ」







第6ブロックといえど、すべてが貧民街や歓楽街というわけではない。

例えばブロック中心の、日当たりが良好な地域などは、一定の階層の人々が住居を構えている。

そんな第6ブロックの中心地区に居を構えるアモン刑事は、ダウンタウンから歓楽街を手広く管区として手掛けている。

スポーツカーを運転する彼は上機嫌だった。


「中々の臨時収入だな……」


金髪のその刑事は、上機嫌で膨らんだ財布を弄んだ。

自動運転でスポーツカーをガレージへとバックで入れると、軽い足取りで車から降りる。


「今、帰ったぞ」


自宅へ帰ると、アモン刑事は違和感を覚えた。

いつもなら自分を迎える息子も、妻もいない。

そして何よりも音もしない。

だが玄関は空いていて、妻の車もある。外出はしていない。

違和感を覚えながら、リビングの扉を開けた。


「おかえり」


そこには、剃りこみの入った坊主頭の、筋肉質の男がソファに座っていた。

獣のようなその顔に、張り付いた不自然な笑み。

そして両脇には、彼の妻と息子が、震えながら座らされていた。


「貴様ぁっ!」


アモン刑事はとっさに銃を抜いた。

その男──石川寅之助は、ふざけたように両手を上げる。


「まぁ、待てよ。少し話そうぜ」


そう話しながらも、寅之助は重心を移していた。

すぐにソファから飛び跳ねて、銃弾に対処可能なように、目に見えぬ重心移動を行っている。


「……思い出した。貴様、『アトロシタス』の用心棒だな?何の用だ」


「おっ、さすがは刑事。記憶力がいいな」


そういうと寅之助は、目の前に置かれたクリスタルガラス製のテーブルの上に、記憶メモリを滑らせた。


「なんだ?これは」


「あんたがホームレスを殺した証拠映像だよ」


その瞬間に、寅之助以外のこの場にいる人間の表情が変わった。

アモン刑事は顔を引きつらせ、その妻は泣きそうになり、息子は不安そうに眼を潤ませる。


「あなた、本当なの……?」


「バカ!チンピラの言う事などでまかせだ!信じる奴があるか!」


アモン刑事は妻を叱責し、大声で喚いた。

その様子は、滑稽なほどに真実を物語っていた。


「いい家だよな。刑事の給料なんざ知らねぇが、こんな家に住めるほどは貰えねぇんじゃねぇの?」


寅之助は嘲る調子で話しながら、部屋の内装を見渡した。

祖父の経営する第4ブロックの時計店、自分が住んでいるアパート、そして先ほどの雑貨屋。

そのいずれもが、この家と比較すればまるでウサギ小屋だ。


「こういう暮らしを維持するためには、ああいうアルバイトが必要なわけだ」


「いいか?貴様のやっていることは立派な住居不法侵入だ。ブチこんでやるから動くなよ」


アモン刑事は銃を突きつけたまま、寅之助に手錠をかけようとゆっくりと近づいた。

その様子を見て、寅之助は声を上げて笑った。


「なんだ?わざわざ逮捕してくれんのか?鉄砲のタマをブチこんだ方が早いんじゃねぇの!?さっきジイさんにやったみたいによぉ!!」


その言葉にアモン刑事の妻はわっと泣き出した。

彼女は既に、夫がホームレスを撃ち殺す映像を、寅之助に見せられていた。

その様子に息子もつられて泣き始め、そしてアモン刑事は狼狽する。


「何が狙いだ……?二人だけで……」


「ホームレスなんざ殺しても誰も気にしない。あんたもあの店主も、そう思ったんだろうな」


アモン刑事の言葉を遮るように、寅之助はつぶやいた。


「これは確率の問題だ。確かに、身寄りのないホームレスを殺して気にする人間は僅かだろうさ。だがなぁ、それが許せねぇって人間もいるんだよ……ほんのちょっぴりだけど、確実に!」


寅之助は拳に力が入る。

そして目を引かないようにゆっくりと、足をテーブルの下へと滑り込ませる。


「そういうのを正義って言うんじゃねぇのかよ、えぇ!?警察官!」


「だ、黙れ!」


アモン刑事が叫んだ、次の瞬間だった。

寅之助の爪先が、ガラスのテーブルを蹴り上げ、砕いた。

その破片にアモン刑事は一瞬、目をそらす。


「まさか、金でもせびりに来たと勘違いしてんのか?」


アモンの耳元で、虎の声が囁いた。

目をそらしたほんの一瞬の間に、寅之助はアモンに体を密着させていた。

驚いて銃を向けようとするが、そこは既に寅之助の間合いであった。


脇固め。


銃を持った腕が、瞬時に寅之助の関節技に極められていた。

アモン刑事とて仕事として格闘技を行う者である。

その速度と精度に、思わず舌を巻いた。


「ぎいっ!」


極められた腕に激痛が走り、思わず銃を落とした。

そして次には、折られる。そう思った瞬間に、拘束が緩んだ。


「な……?」


腕を押さえながら立ち上がると、落とした銃を寅之助が持っていた。

感情の無い目で、アモン刑事に狙いをつけている。


「なっ……?やっ、やめ……!」


だが次の瞬間には、寅之助はアモン刑事の足元へと拳銃を放り投げた。

広いリビングに、寅之助とアモンが、銃を挟んで相対していた。


「拾えよ」


寅之助は促した。

アモン刑事は理解できぬまま、それでも拳銃を拾う。


「お前には1ミリも理解できねぇだろうがな、俺はお前に殺された……ジイさんの尊厳を取り返しに来た」


寅之助の目は、普段の獣のそれではなかった。

感情ではない。

確固たる意志と、決意をひめた目。


「撃てよ。ジイさんにやったみたいに、丸腰の俺を撃ち殺せばいい。俺は今からアンタに近づいて、アンタの骨を折る」


「狂っているのか……?」


アモン刑事は呟くと、チラリと横目で妻子を見た。

こんなチンピラを殺すのはわけがない。いくらでもやってきた事だ。

だがそれを、妻子の前で行いたくはない。そんな本音が筒抜けの動作であった。


「やらなきゃアンタの奥さんと子供の首をへし折る」


寅之助の言葉に、アモン刑事の目が座った。

銃を持つ手に入っていた過剰な力が抜け、引き金を引くための適度な力がその手に宿る。


「そうだ、そうじゃなきゃな」


空気が、張り付いた。

ただ時計の秒針を刻む音だけが、周囲に響く。

アモンの妻子が、同時につばを飲み込んだ。


「チンピラぁっ!!」


その瞬間にアモンは引き金を引き、寅之助は真横へと飛んだ。

光弾がフローリングの床を撃ち抜く。


「こっ、このっ!!」


2発。3発。

連続して引き金を引くが、寅之助の俊敏な動きに、銃弾はただただ家具や調度品を壊すばかりであった。

そして少しずつ、しかし着実に、武道家は刑事へと近づいていく。

ついには、手を伸ばせば手が届きそうな距離。

アモン刑事と寅之助は、確かに目があった。


「死ねえぇぇぇぇぇ!」


最後の一発は、寅之助のこめかみをかすめた。

NYPDが大量の映像データから叩きだした、実戦での拳銃の命中率。1.8メートルの距離で、なんと僅か38%。


多分に運の要素は含む。

それでも、強者と戦うことは出来るのだ。その意思さえあれば。


「くっ!」


「当てられるのは、動けもしない老人だけ、か」


アモン刑事は慌てて空になったバッテリーをパージし、新品の充電済みバッテリーへと交換を試みる。

しかしそれはあまりにも、人食い虎の速度を甘く見ていた。


「しゃっ!」


寅之助は、もたつくアモン刑事を片足タックルでテイクダウンする。そしてそのまま、ある技を完成させる。


それは、柔道の誕生時には既に存在していた技。

しかしその黎明期には、既に禁じられていた技。

柔道だけでなく、柔術や、軍隊格闘であるサンボでさえ禁止する技。


足搦。


アモン刑事の膝関節が、砕けた。


「ぎにゃああああああああ!」


足がちぎれるかの如く激痛に、アモン刑事は転がり回り、拳銃を落とした。

寅之助はその拳銃を拾うと、空になったバッテリーを再装填する。

これで再度、弾が打てる。


「おい」


寅之助は転がり回るアモンを掴むと、その頬を張った。

そして弾を込めなおした銃を、再びアモンに持たせる。


「俺は出ていく。アンタはその銃で、また俺を撃ってもいいし、別の何かを撃ってもいい」


「……?」


激痛に脂汗を流しながら、アモン刑事は怪訝な表情を浮かべた。

それを後目に、寅之助は彼の息子へと近づく。


「お前の親父はな、お前を育てるために何の罪もない人間を一杯殺してるんだってさ。良かったな」


それだけ言うと、寅之助はリビングから出て行った。

アモン刑事の叫び声。

そして銃声が一発だけ、鳴った。


「あなた!?あなたぁぁぁぁぁぁ!」


「パパァあぁぁああああああ!」


寅之助は家を出た。

その背後から、女性と子供の泣き声が響いていた。




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