王立魔導院
窓の外では雪が降り続けていた。屋根の鋭い勾配を滑り落ちた雪が城壁の根元に堆く積もり、風が吹くたびに白い粉となって灰色の空に舞い上がっている。
豪雪期のヴィンターガルドでは、夜明け前からの除雪が日課となる。兵士も市民も木製のスコップを手に、軍道や家屋の入り口を塞ぐ雪を掻き出し、短い日照時間の間に外での用事を済ませる。午後、早い時間に日が傾き始めると屋内に退き、すり減った靴底の張り替えや春に向けた農具の手入れといった手仕事に取りかかって長い夜を過ごす。急勾配の屋根から滑り落ちた雪が翌朝には再び玄関を塞ぎ、また同じ朝が始まる。
だが今年の冬、選ばれた一部の者たちに限っては事情が違った。
ハルグリムの立案により、雪に閉ざされる豪雪期の屋内時間が、ある計画に割り当てられた。王城の東翼にある旧備品庫が急造の教室に改装され、新たに掲げられた看板には『王立魔導院』と記されている。北の山脈から掘り出された手つかずの聖遺物を、人間が管理し日常的に消費できる『エーテル魔導具』へと転用するための研究と運用教育を担う施設だった。
石壁に漆喰を塗り直し、窓枠の隙間を目張りした簡素な部屋の中央に、長机が並んでいた。天井の梁から吊るした鉄灯篭の炎が石壁に揺れる影を落とし、隙間風が通るたびに炎が僅かに傾いている。集められた生徒たちが椅子に座り、それぞれの机の上に置かれた小さな鉄の器具に向かっていた。
前列に市民、後列に兵士。羊毛や毛皮を何層にも重ね着して丸く膨らんだ市民たちの背中と、軍服の上に防寒の上衣を一枚だけ重ねた兵士たちの肩幅の広い背中が、同じ教室の空気を吸っている。
机の上の器具は、王国の鍛冶師が鋳造した粗末な小型暖炉だった。掌に収まる程度の鉄の筐体の内部に、山脈から掘り出された聖遺物の欠片が一つずつ嵌め込まれている。ハルグリムの指揮の下、技術者たちが力任せにエーテルを流し込んで発熱させた試作品であり、その消費効率は劣悪だった。一の熱を得るために、十のエーテルを垂れ流す。
ナナハルトは生徒たちの前に立っていた。
「掌を筐体に当てたまま、ゆっくり力を抜いてください。エーテルは押し込むものではなく、回路に沿って流すものです。力みすぎると回路が焼けます」
生徒たちの手が、それぞれの器具の表面に置かれていた。
前列のリーゼルは唇を引き結び、器具に集中している。兄が教えているからといって、浮ついた雰囲気は一切ない。
その隣のパン屋の女房マルテは、靴底の繕いよりはましだという顔つきで淡々と掌を当てていた。城下の金物師の娘ハンナは、父親の工房で覚えた手先の勘を活かそうと指先を微かに動かしている。リーゼルの友人フリーダは、静かに目を閉じて掌の下の微かな振動を探っていた。
後列では、マティスが分厚い掌で小さな筐体を握りしめるようにしていた。剣の柄を掴む手が、掌に収まる暖炉を相手に汗を滲ませている。その隣では兵士のヴィルヘルムが眉間に皺を刻んだまま鉄の表面を睨みつけ、前線帰りの伍長グスタフは器具に触れた掌を何度も置き直していた。最後列の若い兵士カールだけが、リーゼルの手元をちらちらと盗み見ては真似をしようとしている。
いずれも先月の適性検査でエーテルへの微弱な適合が確認された者たちだった。市民には冬場の内職代わりに手当が支給され、兵士にはブランド隊長の命令で受講が割り当てられている。動機も立場もばらばらの八人が、同じ鉄の器具の前に座っていた。
マティスの器具が不意に赤熱した。鉄の表面から陽炎のような熱気が立ち上がり、木の机に焦げた匂いが滲む。マティスが慌てて手を引くと、勢いで椅子の脚が石畳を擦り、甲高い音が教室に響いた。
「力を入れすぎです、マティス。剣を振る時の握力とは違います。もっと弱く、細い管を水が流れるような感覚で」
ナナハルトはできるだけ丁寧に教える。
マティスが首の後ろを掻きながら掌を戻した。分厚い指が器具の表面を覆い、その眉間の皺がさらに深くなる。前列のリーゼルの器具が既に安定した温もりを帯びていることに気づいたのだろう、マティスの肩が僅かに下がった。
部屋の隅に、ディートリヒが壁に背を預けて立っていた。軍服の上に防寒用の厚い上衣を重ね着した細い身体は、この季節の標準的な着膨れの中にあっても姿勢だけが軍人のそれだった。銀の前髪の奥から、後列の兵士たちの手元を見ている。
フリーダの器具が微かに温もりを帯びた。鉄の表面に、かすかな赤みが差している。だが次の瞬間、その温もりが揺らぎ、器具全体が断続的に明滅し始めた。エーテルの流れが不安定になっている。フリーダの眉が寄り、掌に力が入った。
ディートリヒの手が、フリーダの掌の上に静かに重なった。素手だった。いつもの革手袋を外した白い指が、フリーダの手を器具の表面に押し戻すように添えられている。
「力を抜いて。流れを止めようとすると、かえって暴れます」
声に力みがなかった。几帳面で神経質な副官が、こういう声を出せることをナナハルトは知らなかった。
「私も、最初はまるで駄目でした」
フリーダが顔を上げた。ディートリヒの視線は器具の表面に落ちたままだった。
「エーテルの適性が、ごく僅かしかなかった。私は王やナナハルトのように直感で操ることは、私にはできません。ですが、正しい手順を踏めば才能の差は埋められます。ここで教わることは、その手順です。天才でなくても、諦めなければ力は得られる。私が、その証明です」
フリーダの器具の明滅が収まった。ディートリヒの手がゆっくり離れると、器具は安定した温もりを保ち続けている。後列のマティスが、自分の赤熱した器具と見比べるようにしてフリーダの手元を凝視していた。前列のリーゼルが背筋を伸ばし直す。
ナナハルトは息を浅く吐いた。
ナナハルトが調律した機動靴によって、弱い適合者でしかなかった彼女は前線に立てるようになった。天才の従兄弟であるハルグリムに、現場で並ぶ力を手にした。だからこそ、彼女の言葉には重みがあった。
自分の技術が、ディートリヒという最良の代弁者を得てしまった。
エリの負荷を減らすために考え出した丁寧で安全な手順が、ディートリヒの実体験を通して、誰の目にも正しい技術として映っていた。この教室の誰一人として、その手順の先にある地下の少女の消耗を知らない。
昼を過ぎた頃、廊下に複数の足音が響いた。
扉が開き、冷たい外気が教室に流れ込んだ。雪の匂いを纏った風が鉄灯篭の炎を揺らし、生徒たちの手元に落ちていた黄色い光が一瞬だけ揺れた。
聖王ソスヴァルドが入ってきた。
防寒用の毛皮のマントを肩に掛け、金髪が冷気で僅かに湿っている。頬が寒風で赤みを帯びていた。城壁の巡回から直接来たのだろう。傍らにアデルベルトが従っていた。赤毛の少年騎士の肩にも雪が残っており、革の肩当てに白い層ができている。
生徒たちが一斉に立ち上がった。椅子の脚が石畳を擦る音が重なり、後列の兵士たちは反射的に踵を揃えて直立した。前列の市民たちは立ち上がったまま身体の置き場を失い、リーゼルが三つ編みの先を握りしめている。
「座っていい」
聖王の声は穏やかだった。マントを脱ぎ、アデルベルトに渡す。その動作で防寒着の下の軍服が見えた。袖口に泥と雪解け水の染みが残っている。王みずから除雪の巡回に出ていた証だった。
聖王は最前列のリーゼルの前に歩み寄り、机の上の小さな鉄の器具を見下ろした。
「これが魔導具か」
「は、はい。ナナハルト主任に、使い方を教わっています」
リーゼルの声が上ずった。三つ編みの先を指で弄っている。
聖王ソスヴァルドは身を屈めた。リーゼルと視線の高さを合わせ、鉄の筐体に手を伸ばした。剣ダコのある掌が、小さな器具の表面に触れる。指先に微かな温もりが残っていた。リーゼルが通したエーテルの痕跡だった。
「リーゼル」
名前を呼ばれた瞬間、リーゼルの背筋が伸びた。王の視線がこの瞬間、教室の他の全員を消していた。リーゼルだけが、その前に残されている。
「お前の手が覚えた技術は、この冬を変える。凍えずに済む家が一つ増えるたびに、それはお前の指先が誰かを救ったということだ。そう思ってほしい」
器具から手を離した。リーゼルの睫毛が濡れていた。三つ編みの先を握る指が白くなるほど力が入っている。
聖王は立ち上がり、教室の全員を見回した。
「諸君」
声の大きさは変わらなかった。それなのに、後列の最も遠い席に座るカールの肩までが僅かに揺れた。
「昨夜、城下の南区で幼子が一人、凍死した」
息を呑む音が教室を這った。マルテが口元を手で押さえ、後列のマティスの拳が膝の上で固く握られた。
「暖房の薪が尽きた家だった。私はあの家族に、薪を届けることしかできなかった」
聖王の真摯な眼差しに、前列のマルテが袖口で目元を拭った。
「だが、お前たちがここで学んでいる技術は、薪を必要としない暖かさを生み出せる。来年の冬には、あんな死をなくしたい。力を貸してくれ」
聖王の視線がナナハルトに移った。
「ナナハルト。お前の教え子たちに期待している」
ナナハルトは頭を下げた。それ以外にできることがなかった。
頭を上げた。リーゼルは掌を器具の上に戻していた。マルテの手はもう震えていない。後列ではマティスが器具を睨みつける目に別の色が混じり、カールが両手の指を組んで、もう一度器具に向き直ろうとしている。
凍死した幼子は本当にいるのだろう。薪の尽きた家も、寒さに怯える母親も。この王国の冬は、容赦なく人を殺す。その事実の前では、ナナハルトの「なるべく使わせない」という抵抗など、何の重さも持たなかった。
聖王は教室を一巡し、一人一人の名前を呼んで声をかけた。マティスには「お前の剣腕は知っている。だが、この技術はお前の隊の仲間を守る力にもなる」と言い、ハンナには「お前の父親の腕は城下一だ。その血を活かせ」と告げた。全員の名を覚えていた。全員の事情を知っていた。
扉の前で、ハルグリムが聖王に追従するように小さく頷いていた。その手が既に書類の束を繰っている。配備計画のスケジュール表だった。聖王の善意が生徒たちの指先に力を込めさせ、その上達が街への配備を早めていく。民を救う道と国を強くする道が、寸分の狂いもなく噛み合っていた。
聖王がマントをアデルベルトから受け取り、肩に掛け直して部屋を出た。
扉が閉まった後も、教室の温度は変わらなかった。暖炉の炎は同じ強さで燃えている。だが生徒たちの姿勢が違った。前のめりになり、掌の下の器具に向き合う集中の質が変わっている。
教室にいる全員の掌が、器具の表面にしっかりと押し当てられていた。




