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会議室の外

 廊下に出ると、赤い髪が壁に背をもたれていた。


 腕を組んだアデルベルトが、正面を向いたまま立っている。扉が開いた音で視線がこちらに来た。ナナハルトと目が合った瞬間に、赤毛の少年騎士の顎がかすかに引き締まったのが分かった。


「アデル、聞いていたのか」


「壁が薄いからな。あと、お前の事、待ってた」


 素っ気なかった。王城の石壁は厚い。だが樫材の扉の隙間から声は漏れる。アデルベルトが会議の中身をどこまで拾ったのか、表情からは読めなかった。


 廊下に二人だけだった。遠くで下士官の靴音が反響しているが、この区画には他に人の気配がなかった。


 アデルベルトが壁から背を起こした。


「北の山脈に調査団を送ると言っていたな」


 ナナハルトは答えなかった。


「真実を隠してるよな。ナナハルト」


 低い声で断定された。アデルベルトはナナハルトが盾を壊しに抜け出して戻った事を知っている。


「答えられない。でもアデル……君が見たことを上に言わないでいてくれた事は感謝してるよ」


 声が石壁に吸われた。反響が消えるまでの数秒が長かった。ナナハルトも秘密を語るようにできるだけ低い声を出す。


「あの日も、今もさ。お前がそうしてるのって、あの女の子のため、なんだろ……エリっていう。兵器を出した子」


 ナナハルトは息をつまらせて、ギュッと拳を閉じた。


「研究機関の主任、だってな。出世だ」


 アデルベルトは話題を変えた。組んだ腕の革手袋の指が、二の腕に深く食い込んでいる。


「お前の知識や腕が抜きん出ていることくらい、俺にだって分かる。ハルグリムさんでさえ盾の調整を一人では仕上げられなかった。だからこそだ」


 赤毛の少年騎士の目が、正面からナナハルトを射た。


「上はお前を使い潰すつもりだ。お前の技術を、お前の時間を、骨の髄まで搾り取る。今日の会議で聞いただろう。妹まで適合者として帳面に載った。暖房だの照明だのと綺麗な名前を並べて、お前の作った仕組みの中に組み込まれていく……兵器の子を護るのも……」


「エリは兵器じゃないよ……」


 ナナハルトはアデルベルトの口を遮った。


「そうだな。あの子はお前の大切な子なんだろ。だが、お前が護ろうとしているあの子には、名前がついてしまった。今日からは悪魔……なんだよ」


 声の硬さが、そこで一瞬だけ崩れた。廊下の奥まで響かせるための声ではなく、目の前の一人にだけ届かせようとする、剥き出しの声。

 ナナハルトは唇を噛んだ。その通りだ。


「お前一人で全部抱え込むのは、もう限界だろう。春になればもっと物事は動く。山脈に調査団が行く。お前のいた場所も、お前が守ってきたものも、全部ハルグリムさんの帳面に載る」


 ナナハルトは口を開いた。開いて、閉じた。言葉の形が喉まで来ていたが、乾いた気管の壁に貼りついて音にならなかった。


「……覚悟を決めろ。何を守って、何を手放すのか。自分で天秤にかけないと、全部持っていかれる」


 その時、廊下の奥で音がした。


 石壁の窓枠の上端から、水滴が一つ落ちた。会議室から漏れ出た熱で溶けた結露の雫が、石畳に当たって小さく跳ね、ナナハルトの靴先を濡らした。廊下を吹き抜ける風は、骨の髄まで凍みるほどに冷たかった。


 窓硝子の外では、灰色の空から粉雪が激しく舞い始めていた。これまでの雪の上にさらに分厚い白を重ねていく。容赦のない寒波が、王都を塗り潰そうとしている。不規則に風が石壁を叩く音が、二人の沈黙の底に溜まっていった。


 春になり雪が溶ければ、地下都市が明らかになってしまう。それまでの間、自分はこの極寒の王都で、彼女の命を削る『魔法』を教え続けなければならないのだ。


「もし、お前が……」


 その時、軍靴の音が聞こえて、アデルベルトは口を結んだ。背を向け、軍靴の音が廊下の角を曲がって遠ざかっていった。だが、途中までの言葉で分かった。アデルベルトは、ナナハルトが国を裏切るつもりはないのか、そう問いたいのだと。


「大丈夫だ。僕も、家族がいる。お世話になった人だって沢山いるし、王だってハルグルムさんだって国を良くしようとしている事は分かっているよ」


「ならいいけどな……少しはさ、俺を頼りなよ」


 ナナハルトははっとした。一人で立っているつもりだった。すっかり一人きりで、全てを考えるつもりでいた。

 胸元のブローチは問題なく動いていた。クイルやエリにも会議の内容は届いているはずだった。

 聖王国も地下都市も、ナナハルトには味方がいる。一人ではない。


 だが、何もかもすべてを話すことはできなかった。人の良いアデルベルトを巻き込みたくはなかったからだ。


「ありがとう。頭が冷えた。きちんと考える。もし、道を間違えたら……アデルが、僕に制裁を加えて欲しい」


「馬鹿。碌でもないことを言うなよ」


 もう、息のつまりはなかった。


 聖王国の決定は、地下都市のエーテルが過剰に消費されるものだった。春までの猶予でエリは回復するが、聖遺物の利用は、確実に都市を削る。

 ナナハルトが今、聖王国に協力しない場合は、自分以外の誰かの荒い調整となって、回路の負荷は何倍にも膨れ上がり、地下のエーテルが無駄に灼かれていく。

 協力すれば、負荷や消費を抑えることは出来るかもしれない。


 どちらを選んでも、エリから――地下都市の平穏が奪われるならば、協力したほうがマシだ。もはや妹までも巻き込んでいる。ナナハルトにはもう選択肢が無かった。

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