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灯る瞳

 午後の王都広場は、朝の練兵場とは空気が違っていた。城下の鍛冶屋、馬丁、パン焼き女、薬草売り。果ては老人や子供までが引き連れられ、並んでいた。


 兵士の列には規律があった。命令があり、整列があり、沈黙があった。だが広場に並んだ市民の列には、ざわめきがあった。不安と好奇心が入り混じった囁きが絶えず列の中を這い回り、子供の泣き声や犬の吠える声が城壁に反射して返ってきた。


 ハルグリムが同じ長机を広場の中央に据え直し、同じ灯火器を置き、同じ穏やかな声で検査の手順を説明した。一つだけ違っていたのは、ハルグリムの隣にソスヴァルド王が立っていたことだった。


「皆の協力に感謝する」


 ソスヴァルド王の声が広場に響いた。金髪が冬の薄い日差しを受けて白く光り、碧眼が列に並んだ市民の一人一人を見ている。戦場で泥にまみれた時と同じ目だった。一人一人の存在を認め、名前がなくとも顔を見る目だった。


「この検査は、お前たちの力を知るためのものだ。我が国が冬を越え、春を迎えるために、どれだけの力がこの街に眠っているかを確かめたい。お前たちの中には、この国を守る新しい力を持つ者がいるかもしれない」


 市民たちの背が、わずかに伸びた。王が自分たちを「力」と呼んでくれた。それだけで、冬の寒さに耐えて並ぶ理由ができた。ソスヴァルド王の言葉には命令の形がなかった。問いかけがあり、期待があり、信頼があった。自分たちが王の役に立てるかもしれないという可能性が、列に並ぶ市民たちの足を温めていた。


 ナナハルトは広場の隅で、建物の壁に肩を預けていた。胸元の鴉のブローチが服の下でかすかに冷たい。今朝のクイルからの定時通信では、エリの容態は安定、都市の基幹系統も順調に回復していると報告されていた。地下では、エリが少しずつ力を取り戻しつつある。だが地上では、その力を削り取るための準備が、善意と期待の声に包まれて着々と進んでいた。


 検査が始まった。手順は午前と同じだった。手袋を外し、真鍮に触れ、「星よ、光を(ステラ・ルクス)」と唱える。鍛冶屋の太い手が触れても真鍮は沈黙し、馬丁の日焼けした指が離れても灯は揺れなかった。パン焼き女が唱えた声はよく通ったが、灯火器は応えなかった。薬草売りの老婆が震える声で言葉を紡いだ時も、真鍮は冷たいままだった。


 帳面に不適合の印が並んでいく。午前の兵士の検査と同じ光景が、今度は市民の列で繰り返されていた。ハルグリムは変わらず一人一人に「ご苦労でした」と声をかけ、ソスヴァルド王は時折、検査を終えた市民に「ありがとう」と頷いた。寒さの中で並んでくれた礼を言うその声に、形式的な響きはなかった。


 三十人ほどが過ぎた頃だった。


 列の向こうに、見覚えのある亜麻色の髪が見えた。


 ナナハルトの呼吸が止まった。壁から背中が離れ、腕を組んでいた手が解けた。指先の反復運動が凍りついたように停止した。


 妹のリーゼルだ。


 三つ編みにした暗めの亜麻色の髪。緑がかった灰色の瞳。ナナハルトの隣で、いつもカリンバの音に身体を揺らしていた妹が、母のゲルダに手を引かれて列に並んでいた。ゲルダの方はいつもの通り背筋をまっすぐに伸ばし、周囲の市民たちと何か言葉を交わしながら順番を待っている。リーゼルは母の手を握ったまま、広場の空気に漂う緊張感を面白そうに見回していた。怯えてはいなかった。王の言った「新しい力」という言葉が、妹の好奇心を刺激しているのかもしれなかった。


 ナナハルトの足が動いた。壁際を離れ、列の方へ二歩踏み出し、そこで止まった。


 何を言えばいい。帰れ、とは言えない。王が全市民に協力を呼びかけた検査だった。拒否する理由がない。リーゼルに適性がない方に賭けることもできた。むしろ、ない方が普通だった。三十二人に二人。六パーセント。この確率の低さに縋るように、ナナハルトは足を止めた。


 列が進んだ。


 リーゼルの前にいた数人が、次々と灯火器に触れては手を離していった。真鍮は沈黙を守り、帳面に不適合の印が増えていく。ナナハルトの指先が、手袋の中で白くなるほど握り込まれていた。


 リーゼルの番が来た。


 ゲルダが娘の背中をぽんと押した。「ほら、行っておいで」と、いつもの歯切れのいい声が聞こえた。リーゼルがゲルダの手を離し、長机の前に進み出た。ハルグリムが冊子をめくり、名前を確認した。


「リーゼル・アスター」


 その名前を読み上げた時、ハルグリムの視線が一瞬だけ横に流れた。壁際に立つナナハルトを見ている。表情は変わらなかった。ただ事実として、目の前に立つ少女がナナハルトの妹であることを確認しただけの動きだった。


「手袋を外し、灯の側面に掌を当ててください」


 リーゼルは手袋を外した。兄の手によく似た、細くしなやかな指だった。爪の端にかすかな機械油の汚れが残っているのは、母の工房を手伝っている証だった。小さな掌が真鍮の筐体に触れた。冷たい金属の感触に、リーゼルの指がほんの一瞬だけ縮んだ。


「では、こう唱えてください。星よ、光を(ステラ・ルクス)


 リーゼルが唇を動かした。兄と同じ形をした口が、異国の響きを紡いだ。声は透き通っていた。怯えも力みもない、ただ言われた通りの言葉を素直に口にしただけの、何の衒いもない少女の声だった。


 灯火器が光った。


 午前のマティスの時よりも、はるかに強い光だった。真鍮の筐体の内側で感応素子が脈打ち、小さな窓から漏れた青白い光が少女の手と顔を下から照らした。リーゼルの緑がかった灰色の瞳に、エリュシオンの回路と同じ色の光が映り込んでいる。その瞳の底で、光が揺れていた。


 広場が静まった。周囲の市民が、少女の手元を見つめている。


 リーゼルが手を離した。光が消え、灯火器は再び冷たい真鍮の色に戻った。少女は自分の掌を見つめ、それから長机の向こうに立つハルグリムを見上げた。


 ハルグリムは頷いた。穏やかな笑みだった。マティスに向けたのと同じ、心からの敬意が込められた笑みだった。


「素晴らしい適性だ。そのまま、少し待っていてください」


 リーゼルの顔が、一瞬で明るくなった。振り返って、列の後方に立つ母の姿を探している。ゲルダを見つけると、少女は小さく手を振った。


 そしてリーゼルは、壁際に立つ兄を見つけた。


「お兄ちゃん!」


 みぞれ混じりの広場の空気を貫いて、その声が届いた。リーゼルの目が輝いていた。得意げで、嬉しそうで、何よりも誰かの役に立てることへの純粋な喜びに満ちた目だった。


「私にもできたよ! 光った!」


 ナナハルトの喉が動いた。何かを言おうとして、声が喉の奥で死んだ。唇は動いたが、音にならなかった。みぞれが頬を打ち、その冷たさだけが、自分がまだ立っていることを教えていた。


 リーゼルは笑っていた。冬の広場の中で、一番温かいものが、あの笑顔だった。ただ、単純に光らせて褒められた。それが嬉しくて堪らないという顔を、少女はしていた。


 ナナハルトの目に、灯火器の残像がちらついていた。リーゼルの手の下で脈打った、あの青白い光。エリュシオンの回路を流れるエーテルと同じ色の光。あの光が灯るたびに、地下の都市から何が汲み上げられるのかを、この場にいる誰も知らない。


 リーゼルが笑い、マティスの背筋が伸び、ソスヴァルドが一人一人に礼を言い、ハルグリムが穏やかに頷いている。どの顔にも翳りがなかった。その善意の透明さが、ナナハルトの息を詰まらせていた。「やめろ」と叫ぶことができなかった。誰を止めればいい。何を止めればいい。全部が正しくて、全部が善意で、全部が妹の笑顔に繋がっていて、そのすべてが、地下で回復しつつある少女の身体から命を削る刃だった。


そして今日、その刃の一つに、妹の名前が刻まれてしまったのだ。

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