血塗れの伝令
戦場の始末が始まる前に、次の蹄音が来た。
東の街道から、馬が一頭、崩れるように走ってきた。鞍の上の人間は片手で手綱を握り、もう片方の腕は力なく垂れている。馬が従士団の陣の前で膝を折り、乗り手が雪の上に転がり落ちた。
顔が血で塗り潰されていた。自分の血か、他人の血か、判別がつかない。だが口は動いていた。
「王都……方面……グランツ本隊……北の峠を越えた。三千……」
声が途切れ、伝令の身体が雪の上に沈んだ。
三千という数字だけが空気に残った。たった今、二百を退けるだけで弦が一本ほつれた従士団に、その十五倍の軍勢が王都に向かっている。ナナハルトの指が、切れかかった四弦目を無意識に撫でていた。
ソスヴァルド王が馬を返した。頬に飛んだ返り血を拭いもしない顔が、東の空を一瞥して戻ってきた。
「全軍、王都へ向かう。今すぐにだ」
ハルグリムが帳面を閉じた。
「負傷者の処置と馬の交替に一刻。それが最短です」
「半刻にしろ」
「陛下」
「半刻だ、ハルグリム。三千が王都に着く前に、私が着かなければ意味がない」
王の声から感情が消えていた。距離と兵数だけをすり合わせている声だった。返り血の乾き始めた顔は、もう目の前の戦場にはなく、王都までの道のりを見ていた。
ブランドが両手剣を鞘に戻しながら立ち上がった。
「おう。行くぞ、全員。飯は馬の上で食え」
従士団が動き出した。傷の手当ても武器の手入れも馬に跨がりながら行われ、勝った戦場を振り返る者は誰もいなかった。
ナナハルトは楽器盾の弦を一本ずつ確認した。四弦目のほつれた巻き線を指で押さえ、応急の結びを作った。次の戦場までに、張り直す時間はあるだろうか。
馬繋ぎ場に戻ると、栗毛の軍馬は他の馬と同じように荒い鼻息を吐いていたが、ナナハルトが手綱を取った瞬間に首を下げ、鼻先を肩口に押しつけてきた。汗で濡れた毛並みの下の体温が、血に冷えた掌に染みた。
「もう少しだけ、頼む」
馬の首筋を撫でた。掌に残った血の匂いを、馬は嫌がらなかった。鐙を踏み込むと内腿の張りが出撃時よりも深く食い込んだが、鞍に重心を落とした瞬間に馬が歩き出す拍を、身体が覚えていた。
アデルベルトが隣に馬を寄せた。血と泥にまみれた顔で、ナナハルトの手綱を握る手を一瞥した。
「振り落とされるなよ。王都まで止まらない」
「わかってる」
東の空に、冬の雲が低く垂れ込めていた。王都の方角だった。
煙が見えたのは、最後の峠を越えた瞬間だった。
夜通しの強行軍で兵士たちの足は限界に近く、馬の息は白い柱となって凍てついた朝の空気に立ち昇っていた。北からの冬風が針葉樹の梢を揺らし、枝に積もった雪が断続的に落ちてくる。その雪片の向こうに、灰色の煙が三筋、四筋、城壁の内側から立ち昇っていた。
王都が燃えていた。




