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北の星の聖句

 戦闘は長くは続かなかった。


 ブランドが正面から二人を叩き伏せ、エルヴィンが右翼を押さえ、ロルフの矢が逃走経路を塞いだ。だが残った傭兵たちは村の奥に退き、家屋の壁を盾に取って粘った。訓練されていない分、追い詰められた時の獣じみた執着があった。


 馬蹄の音が背後から響いたのは、そのときだった。


 地面が鳴った。一頭の馬が街道の彼方から疾駆してくる振動が、凍った土を伝って足の裏に届く。ナナハルトが振り返ると、冬の曇天を背に、金色の髪が雪片の中に浮かんでいるのが見えた。


 ソスヴァルド王が馬上で息を吸った。深く、腹の底まで冬の空気を引き込み、胸郭を広げ、喉を開いた。


汝の名を記す者よノルデン・リブラ・エスターシュ


 腹腔の奥底から押し出された、祈りとも命令ともつかない振動が、冬の村の空気を震わせた。


光ある槌をもってグロリア・セント・マレウス・闇を砕き(イン・テネブリス)


 ナナハルトの鼓膜が震えた。腹の底を巨大な鐘で叩かれたような振動が、全身を貫いていた。骨を伝い、歯の根を揺らし、胸骨の裏側で何かが共振する感覚。


 剣の溝に沿って、一筋の青白い光が走った。柄元から切っ先へ向かって、血管に血が通うように光が駆け上がっていく。エーテルを活性化させる現象が、今、ソスヴァルド王の声の振動によって強制的に引き起こされていた。


我が民を護る刃となれエスト・ラミナ・プロテクート・メイ


 最後の一節が響いた瞬間、剣の全回路が一斉に発光した。青白い光が刀身を包み、冬の曇り空の下で蒼い残像を引いた。


 ソスヴァルドは馬から飛び降りた。着地と同時に地面を蹴り、凍った泥を砕きながら家屋の壁際に潜んでいた傭兵の群れに踏み込んだ。


 一振り。


 青白い光を纏った刃が、最初の男の斧ごと胸当てを断ち割った。斧の鉄が溶けた飴のように引きちぎれ、革鎧の繊維が焼け焦げる臭いが一瞬で広がった。刃が通り抜けた跡には、鉄が赤熱した筋が残っている。男はそのまま崩れ落ちた。


 二人目は盾を構えたが、ソスヴァルドの剣は盾の鉄板を真っ直ぐに貫通した。木材を割るような単純な力ではなかった。光を纏った刃が金属の分子構造そのものを切り裂いているかのように、抵抗なく通り抜ける。振り抜いた刀身の切っ先から青白い光の粒が散り、冬の空気の中で螢のように消えた。


 三人目は逃げようとしたが、ソスヴァルドの踏み込みの方が速かった。王のフィジカルは異常だった。鎧を纏った大柄な身体が、まるで重力を無視したかのように加速し、逃走する男の背中に一歩で追いついた。


 残りの傭兵たちが武器を捨て、雪の上に両膝をついた。


 ナナハルトはそのすべてを、盾を構えた姿勢のまま見ていた。


 王の聖句が、まだ空気に残っている。意味は分からない。古い言葉だ。だが音だけは消えない。ナナハルトの耳は、その残り香のような響きを、勝手に追い続けていた。


 周囲の騎士たちが拳を突き上げ、白い息を吐き上げている。ブランドが「おう、さすがだな」と笑い、アデルベルトの顔には畏敬に近い光が浮かんでいた。


 だが、ナナハルトの背中だけが冷えていく。


 耳の奥に残っているのは、聖句の荘厳な響きではなかった。


 あの剣が光を纏った瞬間から、ずっと鳴り続けていた、剥き出しの不協和音。低く沈む声の芯が回路の何かと噛み合い、光を引き出してはいたが、その噛み合い方が荒すぎた。歯車に砂が噛んでいるような、ぎこちない振動。声が押し込んだエネルギーの半分以上が、刀身の周囲に熱として漏れ出し、空気を焦がし、ただ散っていた。


 力技だ。奇跡でも、完璧な制御でもなかった。圧倒的な量のエネルギーを、いびつな器に無理やり流し込んで、溢れた分を暴力として叩きつけているだけだ。回路の容量に対して入力が過剰すぎる。だからあの「ピーッ」という甲高い悲鳴のような音がずっと鳴り続けていたのだ。あの剣は耐えている。耐えているだけだ。


 声そのものが持つ物理的な振動と、回路が応答する固有振動の間に、明確な齟齬(ずれ)がある。


 別の鳴らし方がある、とナナハルトは思った。


 同じように鳴らせば、同じように光る。聖句でなくてもいい。歌でもいい。楽器でもいい。波長を合わせれば、あの無駄な溢れは消える。回路が悲鳴を上げなくなる。もっと少ない力で、もっと長く、もっと正確に光を灯せるはずだ。


 エリの言っていた回路を焼き切る程の異常なエーテル漏出。きっと、これがそうだ。そして、この過剰な漏出は改善が可能だ。音を合わせるか、クレーナから習った技術で回路自体を改善するか。近いうちに進言しなくてはいけない。


 ソスヴァルドが剣を鞘に収め、金髪が汗で額に張りついたまま村の被害を確認し始めている。王の碧い目が倒れた傭兵と、泣きながら家屋から出てきた村人の間を行き来していた。その横顔に浮かんでいるのは、勝利の高揚ではなく、もっと切実な何かだった。間に合ったのか、間に合わなかったのか、ということだけを数える男の目。


 ナナハルトは血に濡れた短剣を鞘に戻した。手袋の中で指がぬるついていた。

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