共存という名の呪い
ハルグリムは歓声を上げなかった。
歓声の輪に加わらなかった銀髪の参謀は、稼働し始めた装置の側面に取り付けられた古い計器盤の前に立っていた。七年間ゼロを指し続けていた出力計の針が、ゆっくりと右へ動き始めている。
少年が弦を弾いただけだ。たった四本の弦に指を走らせただけで、この王都の基幹インフラが再起動した。
針が揚水に必要な基準線を越え、なお微増している。計器盤のガラスが細かく震えを、ハルグリムの革手袋が吸い取るように表面に触れた。
高圧の蒸気を逃がすための排出弁が、小さく軋んだ。余剰出力が、すでに蒸気としてその先に伸びる太い金属管の口を探している。
壁に貼られた配管図面には、同型の設備が王都の三か所に記されていた。すべてに停止中を示す赤い×印が打たれている。ハルグリムはその横に◯の印を打ち直した。
装置の駆動音が、地下室の石壁に低く反響していた。排気口から漏れる高周波の震えが、歓声の隙間を縫って耳に届く。
ハルグリムは、主君の背中を見つめた。ソスヴァルド王が少年の肩を抱き、感謝を述べている。王は少年の顔だけを見ていた。
その様子を見て頷くと、ハルグリムは音もなく身を翻し、階段を上り始めた。
その背中を、壁際に立っていたエリが追っていた。
―
地上に出ると、冬の陽が西に傾いていた。地下にいた時間は体感よりも長かったらしい。
橙色の光が王都の屋根を舐め、石畳に長い影を落としている。空気は冷たかったが、地下室のそれとは質が違った。風が動いている。生きた空気だ。
ナナハルトは自分の右手を見下ろした。指先に弦の跡が赤く残り、少し腫れていた。いつもと違う太さの弦を力任せに弾いた分、少し痛めたらしい。肩の力が抜けている自分に気がついた。
「痛い?」
エリが隣で訊いた。
「少しだけ。でも、いい痛みだよ。あの装置が動いたんだ。水が出たんだ」
「ナナハルト……笑っているの」
「そりゃあ、笑うさ」
ナナハルトは振り返った。王城の灰色の城壁が、夕陽に照らされてわずかに温かみを帯びた色に見えた。
「僕の音楽で、人が救えた。これ以上のことはないよ」
エリは数歩歩いてから、立ち止まる。夕陽に照らされた王都の街並みを見渡していた。屋根の煙が風に流され、路地の奥で子どもの声がした。すべてが橙色の光の中で、ゆっくりと冬の夜へ向かっている。
「そうだ。エーテル消費量は大丈夫か? 都市は傷んでいないか」
ナナハルトは、エリが地上へ来た理由を思い出した。エーテルの過剰な摂取による都市の痛み。その観測のためにエリはここに居る。
「良い推測。確かに変動したわ。私とナナハルトで調整したのだから、問題にはならない程度よ。ただ……」
言葉の末尾に含まれていた微かな躊躇が聞き取れたので、エリの顔を覗きこんだ。表情に変化はなく、それ以上の事は読み取れない。
「エリ? こういうのは止めた方がいいか?」
「今の人間の消費規模なら、影響は軽微」
エリはそう言って、再び歩き始めた。
つまりかけた息が安堵して流れた。今日は良い日だったのだ。凍えていた子どもたちに、清水が届く。それだけでいいではないか。
二人は夕陽の中を歩いた。




