音律と調整
革紐を解いて布を開くと、暗い金属の光沢が松明の炎に照らされた。
小型四弦変奏器。収穫祭の夜にエリに聴かせた、あの楽器だった。
四本の弦が冷気に触れて微かに軋んだ。ナナハルトは楽器を胸の前に構え、右手の指先で一番太い弦に触れた。弦の冷たさが指先を刺した。
「低い音から入って。基底周波数を揃える」
エリの指示が飛んだ。声から余分な音素が消えていた。
ナナハルトは親指の腹で一番太い弦を弾いた。
低く太い振動が、真鍮のパイプを通って増幅され、地下室全体に広がった。石壁が震えた。床の水たまりに波紋が広がり、天井の結露がぽたりと落ちた。
一人の楽器とは思えない厚みのある音だった。指の皮と金属弦が擦れる微細な摩擦音、パイプの内壁で幾重にも折り返される倍音、それらが不揃いのまま重なり合って、石壁の霜を微かに震わせていた。
「もう少し上げて。三度」
エリの声に従い、ナナハルトは隣の弦を加えた。二本の弦が同時に鳴る。音程が重なった瞬間、何かが変わった。
装置の管の一本が、かすかに震えた。
目に見える振動はない。だが管の表面に張り付いていた結露の氷膜が、細い線状にひび割れた。七年間凍りついていた金属が、音に応えたのだ。
「そのまま維持」
エリが装置に近づいた。黒い手袋の指先が、管の表面に刻まれた回路に触れた。指先が回路をなぞるように動いている。
「四弦目。高い方。短く、鋭く」
ナナハルトは四本の弦すべてに指を走らせた。低音の持続する唸りの上に、高音の鋭い一撃が乗った。パイプが跳ね上げるように高い倍音を鳴らし、地下室の天井に音が衝突して散った。
その瞬間。
管の中を、青白い光が走った。
細い糸のような光が、管の内壁を這うように進み、接合部を越え、次の管へと渡っていく。七年間暗闇だった回路が、一本ずつ、一節ずつ、息を吹き返していた。
ナナハルトの指が止まりかけた。
走る光の色に、見覚えがあった。ソスヴァルド王の髪に走る、あの青のメッシュと同じ色だ。ナナハルトの指が弦の上で硬くなった。装置の管を流れるエーテルの脈動と、王の髪に宿る光。同一の波形。
ハルグリムの銀髪にも、色は違えど光が走っていた。そしてあの男は、エーテルに干渉できた。なら、王も。エリが言っていた『二人以上の適応者』。もう一つの波形の主は王だったのだ。だから彼らは、聖遺物を集めていたのか。
弦が短く軋んだ。エリの声がすぐに引き戻した。
「止めない。あと少しなの」
ナナハルトは唇を噛み、弦に意識を戻した。
四本の指がそれぞれ別の弦を掴み、同時に弾いた。パイプが共鳴し、地下室全体が一つの巨大な楽器のように震えた。
装置が唸り始めた。
管の中を光が走り、回路の文様が次々と点灯していく。赤茶けた液体が接合部から溢れるのが止まり、代わりに透明な水が管の内部を昇り始めた。低い振動音が床から足裏を伝い、壁から天蓋へ、天蓋から階段へと波及していった。
地下水脈から、水が上がってきた。七年間止まっていた揚水機が、息を吹き返したのだ。
「……動いた」
ナナハルトの声は掠れていた。指先が弦から離れてもなお、装置は自律的に振動を続けていた。回路が同期を取り戻し、自らの力で脈動している。
「ああ。これで、子どもたちが雪を溶かさなくて済むな」
ソスヴァルド王が大きく息を吐いた。
「ありがとう、ナナハルト」
王はそう言って、ナナハルトの肩を両手で掴んだ。分厚い掌が、骨に届くほどの力で沈み込んだ。
「お前の働きで、この国は、まだ持つな」
ナナハルトは何も言えなかった。喉が詰まっていた。自分の音楽が、凍えている人間を救えた。リーゼルのような子どもが、清水を口にできる。指先がじんじんと熱を持っていたが、満たされた気持ちだった。
階段の上から技術院の人間たちが駆け降りてきた。装置の出力を確認し、歓声が上がった。誰かがナナハルトの背中を叩いた。誰かがエリに頭を下げた。地下室の空気が、人々の往来で慌ただしく動いた。
エリはその喧騒の中で、壁際に静かに立っていた。フードの影から、装置の回路を見つめていた。その横顔からは何も読み取れなかった。
ナナハルトは強張った指先を開いたり閉じたりした。いつもと違う太さの弦を弾いた感触が、指の腹にまだ残っている。




