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暖炉を直す

 台所に戻ったとき、エリは壁際の棚に目を留めた。


 茶色く縮んだ物体が、紐に通されてぶら下がっている。隣には平たく押し潰された何かがあり、その横に、液体に漬け込まれた小さな実が瓶の中に沈んでいた。


「これ、食べるもの?」


 ゲルダが振り返った。


「ああ、干し林檎と干し肉だよ。こっちは酢漬けのイボラの実。冬を越すには、こうやって保つしかないからね」


 エリはぶら下がった干し肉に手を伸ばし、指先で表面に触れた。水分が抜かれている。繊維の構造は残っているが、もとの生体組織とは別のものに変質していた。


「……死んだ有機物。水分を意図的に除去しているの。腐敗増殖域を脱するための処理ね」


「まあ、そうだね。干すんだよ。お日様に当てて、風を通して」


エリュシオン(わたしのくに)には、これがないの。都市の食糧は常に新鮮な状態で供給される。腐敗そのものが発生しない」


 ゲルダがエリの顔をまじまじと見た。


「腐らないのかい。そりゃあ便利だろうけど……干し林檎は食べたことないの?」


「ないの」


「じゃあ囓ってみな」


 ゲルダが棚から一切れを取って、エリの手に乗せた。エリはそれを口に含んだ。甘みが凝縮されていた。新鮮な果実とは異なる、時間が圧縮されたような密度の味だった。


「……甘いわ。鮮度は失われているの。でも、情報量が、増えている」


「そうだろう? 干すとね、味が濃くなるんだよ」


 ゲルダは得意そうに笑った。エリは干し林檎の残りを噛みながら、この処理を考えていた。劣化ではなく、変換。失うことで得るもの。エリュシオンの設計にはない概念だった。


 その日の夕方、エリは暖炉の前に立っていた。


 日が落ちると、家の中の温度が急速に下がった。ゲルダが薪を暖炉にくべ、火を熾したが、炎の熱は暖炉の正面にしか届かない。部屋の隅は冷えたままで、リーゼルが毛布を肩に巻いて丸くなっている。


 エリは暖炉の構造を観測した。


 空気の流れが見えた。正確には、温度分布の不均一性と、煙の流路から逆算される気流パターンが見えた。灰が炉底に不規則に堆積し、空気の取り入れ口が火床に対して最適な角度を取っていない。燃焼に使われた空気の大半が、熱を運ぶ前に煙突から逃げている。


「ゲルダさん」


「ん?」


「灰の位置を変えたいの。この空気孔の板も、少しだけ傾けていい?」


 ゲルダが首を傾げた。エリは暖炉の脇にしゃがみ、灰を掻き寄せて炉底に弧を描くように配置し直した。空気孔の鉄板を、指三本分だけ角度を変えた。


 炎の色が変わった。


 赤みがかっていた炎が、青白い芯を持つようになった。燃焼効率が上がっている。熱が煙突に逃げずに室内へ放射されるようになり、数分もしないうちに、暖炉から離れた壁際にまで温度の変化が及んだ。


「……あったかい」


 リーゼルが毛布の中から顔を出した。


 ゲルダが暖炉の前に来て、手をかざした。同じ量の薪しか使っていないのに、明らかに違う熱量が手のひらに届いている。


「こりゃあ驚いた。灰の置き方ひとつでこんなに変わるのかい」


「空気の通り道を整えただけ。燃焼に必要な酸素が炉底に届けば、同じ燃料でより多くの熱が取れるの」


「へえ……」


 ゲルダの目が細くなった。感心している目だった。そしてそれは、クレーナがナナハルトの手を初めて認めたときの目にも、どこか似ていた。


「いいねえ。うちに来てまだ二日なのに、もう家を一つ直しちまった」


 ゲルダが笑って、エリの肩をぽんと叩いた。その手の温度は、人間の体温としては標準的な範囲だった。だがその一叩きが伝えてきた振動は、エリの処理系統の中で、うまく分類できない場所に落ちた。


 夕食の前に、エリは荷物の中から小さな包みを取り出した。


「これを」


 ゲルダに差し出した。白い固形物が、布に包まれている。


「なんだいこりゃ」


「石鹸。灰と油脂から作ったの。身体や衣服を洗うと、汚れと一緒に病気の原因になるものも落とせるわ」


 ゲルダが包みを開いて、鼻を近づけた。ウーラが配合した薬草の、清浄で穏やかな匂いがした。


「へえ……いい匂いだねえ」


 ゲルダはしばらく石鹸を手の中で転がしていた。表面の滑らかさと、素材の均質さを確かめているようだった。職人の目だった。


「やっぱりいいところのお嬢さんだねえ、エリちゃんは。こんなもん持ち歩いてるんだから」


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