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旅支度と髪飾り

 工房に沈黙が降りた。


 ウーラの針も止まっていた。白い手が膝の上の刺繍枠を抱くように持ち、穏やかな瞳がクレーナの横顔を見つめていた。

 ナナハルトは頷いた。深く、一度だけ。


「分かりました、師匠クレーナ」


 クレーナの黄色い瞳が一瞬だけ揺れた。


「もう一つある」


 クレーナが声を落とした。作業台の向こうに座ったままのエリに、一瞬だけ視線を向けた。エリは円卓の間から工房に移動して以来、静かに壁際に立って四柱の作業を見ていた。エリは瞬きもせず、その工程を見続けていた。視線が眺める様子ではなく、記録しているそれだと分かる。


「何、クレーナ」


「その目だ」


 クレーナの指が、エリの瞳を指した。


「光が強い場所では瞳孔の形が変わる。横に長い四角になるだろう。あれは地上の民の目にはない形だ」


 ナナハルトは思い出した。ウーラの水耕農園で、天蓋の光に照らされたエリの瞳。丸く見えていた瞳孔が、光量の変化に応じて横長の長方形に収縮した、あの不思議な変容。地上の山羊の目を思い起こさせる、しかしどこか神秘的で穏やかな瞳。


「地上の人間はあれを見たら恐れるだろう。『悪魔のしるし』だとか何とか言ってな。フードを被れ。深く。目を合わせるな。特に聖職者と名乗る者には絶対に見せるな」


 クレーナの声は低く、刃物のように鋭かった。

 エリが小さく頷いた。


「了解したわ。クレーナ。フードを被る」


 その声はいつもの平坦な声だった。だがナナハルトの耳は、エリの声に含まれたごく微かな音の変化を拾った。エリの声のどこかに、かすかな間があった。




 服が完成したのは、五日後の朝だった。


 工房の作業台に広げられたそれを見て、ナナハルトは息を呑んだ。


 外見は地上の裕福な町娘のそれだった。フリルのあるブラウスに深緑のワンピース、その上から厚手で裾の長い灰緑のケープを羽織る形になっている。フードが深く、顔の半分以上を隠せる。これを着たエリは、一見するとどこかの領主の娘か、お忍びの貴人に見えるだろう。


 だが裏地に触れた瞬間、ナナハルトの指は違いを知った。


 生地の内側に、蜘蛛の巣のように細いエーテル伝導繊維が走っている。ウーラの刺繍だった。表からは見えない。だが裏地に手を当てると、微かな温もりが掌に伝わってくる。エーテルが蓄えられている証拠だった。血管のように全身を巡る循環経路が、この服の中に縫い込まれていた。


 金具はクレーナの仕事だった。一つ一つの留め金に、極小の回路が刻まれている。ベルトの尾錠バックルにも、フードの留め具にも。服の各部が連動して、エーテルの循環を維持するための精密な機構が組み込まれていた。


「着なさい、エリュシオン」


 ウーラの声は、娘の晴れ着を仕立てた母親の声だった。


 衣服の仕上げとして、エリが目を閉じた。

 黒髪の間から伸びる、大きく美しい山羊角。それが微かに発光し、エーテルの脈動に合わせて輪郭が揺らぐ。


「出力を……0.2パーセントまで絞るわ」


 エリが呟くと、角は生き物のように収縮を始めた。黒い弧を描いていた巨大な角が、陶器が溶けるような滑らかさで小さくなり、やがて彼女の耳の上に、指の長さほどの可憐な突起として収まった。エリュシオンという都市名を冠する少女としての熱量を象徴する猛々しさは消え、それは異教の装身具のような静かな質感を帯びている。


「まあ、可愛らしい。これならこの飾りが映えるわね」


 ウーラが立ち上がり、髪を押さえるように、幅のある布をエリの頭に巻いた。頭頂は覆わず、帯のように頭を巡るその布の端が、側頭部から後ろにかけて流れている。

 角の根元に触れる位置に、青い飾りが一つずつ結びつけられた。見たことのない形の、青い花だった。けれどナナハルトはなぜか――どこかで、その形を知っているような気がした。それが微かに揺れて、硬質な小さな音を立てる。


「街の可愛らしいお嬢さんね。これなら、誰もあなたを都市の管理者だなんて思わないわ」


 ウーラが満足げにエリの肩を叩く。青い花の飾りは地上の一般的な装飾にも見えるが、その結び目にはウーラの祈るような循環の法が込められていた。


 エリが腕を通した。


 フリルのついた黒いブラウスと深緑のワンピースの上に、灰緑の厚手ケープが重なる。クレーナが首元の留め具の位置を調整し、フードの深さを確認した。ウーラが裾の刺繍の最後の一目を縫い終えた。


 ナナハルトは、目の前に立つエリの姿を見た。


 角は目立たない大きさにまで縮められ、帯のような布と青い花の飾りで覆われていた。黒髪がケープの襟元に流れ、金色の瞳が剥き出しのまま真っ直ぐにナナハルトを見ている。

 村の服に身を包んだ黒い少女は、確かにどこかの領主の娘に見えた。その所作が美しすぎて、村人には近づきがたい雰囲気が出ているだろうが、少なくとも見た目だけなら地上に紛れることはできる。


「似合う」


 ナナハルトは言った。


 エリの瞳がナナハルトを見た。


「『似合う』。外見と被服の適合性を示す評価語ね。ありがとう」


「いや、そういう意味じゃなくて……いや、うん、まあいいか」

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