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手で聴く技術

 建物の扉を押すと、金属を削る音がした。


 工房の内部は奥行きがあった。手前には加工台が並び、その奥に大きな作業台、さらに奥に壁面を覆う棚と工具の列。

 光は天井に埋め込まれた回路から来ていた。温度は街よりわずかに低く、石と金属の匂いがした。


 人影があった。


 奥の作業台に向かって、クレーナが立っていた。

 上半身をわずかに前傾させ、両腕を台の上に伸ばした体勢で、小型の工具を持った右手が静止していた。静止しているようで、実際には細かく動いていた。工具の先端が壁の一部に触れ続けていた。壁面の一部、細い回路の走る帯状の区画だった。


 クレーナはナナハルトたちが入ってきても反応はなかった。

 来る事を知っていて気にしていないのか、そもそも興味が無いのか、いずれにせよ、作業は続いていた。

 エリが入ってきていることにも同様だった。


 少し進んで、クレーナの手元が見える位置まで移動した。


 回路の一点が、見た目にすぐ分かるほど歪んでいるわけではなかった。

 ただ、クレーナの工具の先が触れ続けている箇所だけ、光脈の流れが他の箇所と微かに違う。周囲は均一な青白い光が一定の速度で流れているのに対し、その一点だけが僅かにどろつくような、速度が揺れるような動き方をしていた。


「それが歪みか」


 ナナハルトの問いは独り言に近い音量だったが、クレーナは答えた。


「触れてみろ」


 顔は向けなかった。声だけが壁面へ向いたまま横に投げられた。


「触ってどうなる」


「分かるかもしれないし、分からないかもしれない」


 役に立たない答えだった。だがクレーナの右手が少し端に寄り、触れる余地が生まれた。迷いを一秒で処理して、左手を壁面の回路に当てた。


 冷たかった。


 表面は石材に近い硬さで、ひんやりとした感触だった。だがその下に、振動があった。音というよりは圧力の揺らぎに近い何かで、指先ではなく指の骨に響く種類の感触だった。正常に動いている箇所は、それが一定のリズムを刻んでいた。耳を塘いでも聴こえるような、体の中の音に近かった。


 そしてクレーナが指し示した箇所に触れると、そのリズムが一拍だけずれていた。


「……脈が飛んでる。一拍だけ、リズムが合わない」


「そうだ」


 クレーナの工具が止まった。一瞬だけだったが、その一瞬の静けさは長かった。


「ただの不調じゃないな。この壁の裏側の、どこか一点で圧力が逃げてるのか」


「圧力の均衡が崩れている」


「どこから漏れてる」


 クレーナが手を動かした。工具の先端が少し位置を移動した。


「ここに傷がある。微小な傷でも回路の流れは変わる。それを聴け」


 聴け、という言葉を使った。見ろではなく、確かめろでもなく、聴け。


 左手を回路に当てたまま、目を閉じた。


 目を閉じると、指先の骨に響く感触が少し鮮明になった。一定のリズム。一定のリズム。そしてずれ。ずれの位置と、ずれの幅。幅が均一でない。一拍が長くなる時と、短くなる時がある。


 カリンバで弦がわずかにずれた時の感触に似ていた。


 指の腹をゆっくりと動かした。感触を追った。ずれが強い点と弱い点がある。工具を持っていないが、手のひらで傷の輪郭を辿ることはできた。楕円形に近い、片側が伸びた歪な形。


「大体分かった」


 クレーナが手を止めた。


「どこだ」


 指で示した。


 しばらくの沈黙があった。


「……小僧」


 クレーナの声は変わらず乾いていた。


「次はそこを直せ」


 それだけだった。それで全部だった。


 褒めているのか試しているのかは分からなかったが、次を言われたということは、少なくとも外れてはいなかった。

 工具の形を確かめた。これの使い方を教わるところから始めないといけない。


 工房の扉が軽く叩かれたのは、その一時間後くらいのことだった。

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