角を隠す
ナナハルトは、居住区にあるクレーナの『もう一つの工房』へ案内されることになっていた。昨日のような中枢区の聖域とは違い、インフラ維持のために一般の職人たちも出入りする街中の作業場だという。
ウーラの家は、いつも食べ物の匂いがした。
今朝はパンだった。台所に入ると主の姿はなく、代わりに丸く焼かれた小麦の塊が木製の台に乗って、まだ湯気を上げていた。
「そこ、焼きたてのパンがあるわよ」
奥の空間から声だけが聴こえた。
ナナハルトはまだ温かいそれを一つ手に取り、無作法に端をかじりながら声のした方へ足を向けた。麦の香ばしさと微かな甘みが口の中に広がる。
続きの部屋を覗き込むと、エリが立っていた。
いつもの黒い外套姿で、両手をわずかに前に出した格好のまま固まっている。
ウーラがその背後に回り込み、深いコバルト青の布を頭からすっぽりと巻きつけているところだった。
「来たわね、ちょうどいいところに」
ウーラは振り返ることなく言った。
「動かないで」
「……動いていない」
「動きそうな気配がしたのよ」
ウーラの指が器用に布の端を折り、首の後ろで留め具をかけた。エリの角が、そのすっぽりとした布の中に消えた。完全に、きれいに。
ナナハルトは目を瞬かせた。
「それは隠せるんだな」
「この素材はエーテルをある程度遮蔽するから、回路の発光も抑えられるわ」
エリが自分の答えながら、頭に載ったものの形を指先で確かめていた。少し高い位置に布のふくらみがある。普通に見れば、凝った帽子のようにも見えた。
「エーテルの光を散らすの。わたしが誰であるかは、風の音に紛れて見えなくなる」
「完璧ではないでしょうけど」
ウーラがそう言いながら、布の端をもう一度整えた。
温度を確かめるように何度も布の重なりを撫でつけるその手つきは、白い蛇が卵の周りにとぐろを巻き直すような手つきだった。
「大丈夫。似合ってるわよ」
エリは答えなかった。視線だけが少し斜め下に動き、自分の頭に何があるかを確かめようとして、当然それは見えないことに気づいた。
ナナハルトはその光景を眺めていた。
「昨日の工房の時とは違うんだな。……街まで同行するってあまりない事なのか?」
エリの普段の黒衣とは違う、頭をすっぽりと覆う布のシルエットを見ながらナナハルトは言った。昨日、あの高い場所にある透明な回廊から都市を見下ろしていた彼女の手振りが微かに蘇った。彼女にとっての街は下から見上げるものではなく、上から管理するものだという印象があったからだ。
「とても珍しいことね」
答えたのはエリではなく、ウーラだった。白蛇の目を細めて、少しだけ艶のある声で笑った。
「マザー・エリュシオンが直接、住民の歩く石畳に下りるなんてね。私の記憶にある限り、数十年に一度あるかないかといったところよ。……風の吹き回しが変わったのかしら」
ウーラがからかうようにエリの顔を覗き込んだが、エリの表情は相変わらず平坦だった。
「あなたが行くから。案内は必要」
エリがナナハルトを見て答えた。長い理由を省略した、事実だけの述べ方だった。ウーラの言葉を受けた後では、その短さが妙に響いた。
——案内だけでは済まない気がした。




