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第三話 憂い

暗闇から姿を現したのは城野だった。僕は読んでいた本を閉じ、城野に軽く会釈する。城野は手を振りながら近づき、僕の隣に座った。


「今日も、ここで本を読んでいたんだね」

「うん。城野さんは用事終わりとか?」

「まぁ、そんなところ。そうだ、川沿くんに聞きたいことがあったんだよね」

「なにを聞きたいの」

「川沿くんは、学校でどんな感じなの?」

「どんな感じか……。まぁ、普通かな」

「仲良い人はいる?」

「んー。まぁ……」

「なにをしているときが楽しい?」

「読書かな。てか、急にどうしたの」


その後も、城野は何度も質問をしてきた。僕に、そんなことを聞いて楽しいのだろうか。逆に心配になってしまう。一つだけ言えることは、城野に一つだけ嘘をついていた。本当は、普通の学校生活なんてしていない。いつも一人で、友達なんていない。一人ぼっちの孤独な人間だ。なぜ、嘘をついてしまったのだろう。こんな僕でも、見栄を張ってしまったのだろうか。それとも、城野に変な心配をかけないためだったのか。いや、僕の嘘は前者だ。見栄を張っただけだ。正直に言えばいいもの、城野に対しては言えなかった。その後も城野は質問を重ね、僕は答え続ける。


「僕も聞きたいんだけ、城野さんは部活とか入ってないの?」

「入ってないよ。家の用事とかもあるから」

「そうなんだ。大変そうだね」

「川沿くんは、部活入っているの?」

「僕は、文芸部だよ。部員はいないけど」

「一人? それって部活なの?」

「うん、まぁ……そう思うよね」

「じゃ、私も入ろうかな」

「本気?」

「半分は本気、半分は冗談」

「それは、どっちなの」

「どっちか笑」

「もし、入ってくれたら僕は嬉しいけど」

「そんなに求めてくれるなら、考えちゃうけど」

「僕、変な言い方しちゃった?」

「そうじゃないけど。一応、考えておこうかな」


しばらく話をしていると、城野が僕と全く違う人だったことに気がつく。趣味が一緒なわけでもなければ、人生についての価値観も違う。聴いている音楽、読んでいる本、見ているテレビなども全く異なるものばかり。好きなものや行きたい場所など、また友達がいない僕に対して城野は多くの友達がいる。


全く異なる価値観の人が、たまたま巡り合った感じだろう。普通であれば、二人が親しくなるとは思えない。共通点は同じ学校、そして学校帰りの目的地が一緒なところだろうか。唯一、同じ趣味というか好きな場所が一緒だったのがこのガーデンベンチ。この場所の良さだけは、同じ意見だった。お互い、目を輝かせながらこのベンチについて語った。


それから僕たちは学校終わりに、このベンチで会うのが日課になっていた。同じ学校にいるというのに学校で会うことはなく、いつも誰もいない静かなベンチで会っていた。別に、ベンチで会う約束をしていたわけではない。なぜか、いつもこのベンチで会っていた。僕の学校帰りが遅いと城野が先にベンチいることもあったが、基本的には城野が後からベンチに来るかたちだった。


僕がベンチで本を読んでいると、いつものように奥の暗闇から歩いてくる。ときには、後ろから驚かせてくることもあった。僕の驚いた顔を見てはクスクスと笑い、僕が驚いてベンチから落ちればゲラゲラと笑う。城野は、すごく楽しそうにしていた。人を驚かすのは、そんなに面白いのだろうか。僕は、驚きと疑問が交差する。正直、最初は心臓に悪いため止めてほしいと思ったが、城野が楽しそうにしているなら「まぁ、いいか」って気持ちになっていた。僕といてもつまらないと思われるくらいなら、このくらい楽しんでもらえたほうがいい。城野は、会う度に僕に質問をする。最初の質問は、いつも決まっていた。


「今日の学校は、どうだった?」と城野に聞かれる。それに対して、僕は「いつもと変わらず、平凡な日だったよ」と言う。そこから、お互いの学校での出来事などを語り、徐々に別の会話に変わっていく。なぜ、城野は僕と会話をしてくれるのだろうか。ただ、いつも行く場所に僕がいたから?そうだとしても、こんな毎日話すものだろうか。


僕が逆の立場だったら、場所を変えて話すことを止めているかもしれない。城野の見た目、性格からしたら友達は多いだろうし、学校終わりは街に出て遊びに行くとかがあると思う。もしかして、城野も友達がいないとか。いや、それはないだろう。どう考えても、ありえない。城野に疑問を抱きながらも、ベンチでは会話を続けた。


二◯時頃になると、僕たちは解散する。ときには、二一時を過ぎることもあった。一応、僕たちは高校生だ。夜遅くなると、親が心配する可能性があるということで夜遅くまでベンチにいることはなかった。城野と出会って、五日目の出来事だった。授業が終わると、いつものように文芸部の部室に向かった。部室で、少し本を読んでからベンチに向かう。


今日は、城野の方が早くベンチに着いていた。城野は背筋をピンと伸ばし、正面を真っ直ぐ見ている。なにを、眺めているのだろう。川沿いにあるベンチのため、ゆっくり流れる川でも見ているのだろうか。空を明るく照らしてくれていた太陽は姿を隠し、辺りは薄暗く変わっている。太陽の代わりに、姿を現したのは薄い青みを含んだ白色の月だった。


水面に月の光が反射して、川が白くキラキラ光っている。太陽の光に反射して光る海も綺麗だが、これはまた違う良さがあった。いつも驚かされているので、たまには僕も驚かせてみようと思った。でも横から見る城野の表情はいつもと違う。どこか切なそうな表情をしていた。なにかあったのだろうか。もしかして、友達や家族と喧嘩とか?


それとも、他に嫌なことがあったのだろうか。僕は城野を驚かすのをやめて、なんて声をかけるかを考えた。困っている人には、なんて声をかけるのが正解なのだろうか。僕は、これまで読んだ本の内容を必死に思い出す。思い浮かんだのは、心理学の本だった。例えば困っている人に「大丈夫ですか?」と声をかけると、大抵の人は「大丈夫です」と言う。


相手を気遣うことを教えられてきた日本人にとっては、反射的に「大丈夫」と言ってしまう。本当は要望があるのに、中々それを相手に言うことができないのだ。そんなときは、なんて声をかけるのが正解なのだろうか。例えば、「調子はどう?」、「なにかあった?」、「いつもより元気がないね」などの相手が答えやすい質問をするのが良い。他の心理学者の本には、傾聴の3原則として「共感的理解」「無条件の肯定的関心」「自己一致」を挙げられている。


共感的理解は、相手の気持ちや心情に寄り添い、理解しようと努めること。無条件の肯定的関心は、相手の話を善悪の評価せず、ありのままを受け入れること。自己一致は、偽りのない本来の自分でいること。その中でも、人の心を癒すために最も大事なものは共感だと書いてあった。誰かに共感されることで、人の心が楽になることがある。


ポイントは無理に励まさず、気持ちに寄り添うこと。「嫌だったよね」、「悲しかったよね」など相手の発言に対して、寄り添ってあげることが重要になる。人が落ち込んでいるときは、自己効力感が弱くなっている。「大丈夫だよ」、「気にしないほうがいいよ」などの発言は逆効果になる場合がある。


安易に相手を励ます発言は、「この人は、なにもわかっていない」と感じさせてしまうかもしれない。相手の自己効力感を高める方法は、自信を取り戻せるような具体的なことを相手に伝えること。無理やり背中を押すような発言はせず、共感したあとに相手の努力や勇気を褒めることで相手に自身をつけさせることできる。


自己効力感が復活すれば、普段と変わらぬ状態に戻ることができるのだ。また、「なんでも相談してね」、「困ったことがあったら言ってね」など相手の味方であるということを思わせるのが大切になる。味方がいるということは、支えてくれる人がいるということ。支えてくれる人がいると、不安が減る傾向がある。


精神的健康の向上、ストレス軽減、人間関係の改善といった効果があり、相手の精神状態は安定する。また自分の気持ちを言葉にすることで、感情的な重荷が軽くなったりと心が楽になるという。カタルシス効果といい、感情を言葉にして表現することでストレスの軽減、緊張の緩和などの効果がある。それでも駄目なら、相手をそっとしておくのが一番良い。相手に答えやすい質問をしても「なんでもないよ」、「大丈夫だよ」と言われることもあるだろう。それは、全員が話を聞いてほしいわけではないということ。


ゆっくり自分と向き合いたいと思っている人もいる。完全に放置するのではなく、ほどよい距離を保ち、相手を見守ることが大事になる。けれど知識はあるのに、実戦では使用したことがない。友達がいなければ、使用する機会がないのだ。いざとなって対応できるかわからないが、僕はそのことを踏まえてゆっくりと歩き出した。


城野が座るベンチに近づいていく。一◯メートル、五メートルと近づくにつれて城野の表情がくっきりと見えてくる。やっぱり、いつもと違う表情だ。僕の足音に、気がついた城野はすぐに横を見る。僕と目が合うと、いつものような笑顔に戻った。城野は少し微笑み、僕に向かって手を振る。気がつくと、僕も思わず口角が上がってしまっていた。


「なにか、あったの?」

「え? どうして?」

「いつもより、元気がないように見えたから」

「そう? そんなことないよ」

「そうならいいんだけど……」

「遠くを見ていたの」

「遠く?」

「そう」

「遠くって、川の向こう側?」

「川の向こう側って、なにがあるのかな」

「う〜ん、なにがあるんだろう……。海とかかな?」

「海かぁ。それはワクワクするね」


また表情が変わった。笑顔で話していた城野が、再び寂しそうな顔をする。城野は、僕に言いたくなかったのだろうか。それとも僕がもっと聞いていれば、城野は答えてくれていたのだろうか。否定の仕方を見る限り、なにかあったのかと考えてしまう。でも何事もなかったような振る舞いをされ、これ以上のことを聞くことはできなかった。


「川沿くんは、今の生活好き?」

「今の生活? ん〜、好きではないけど」

「それは、なんで?」

「僕は、早く大人になりたいんだ」

「どうして?」

「大人のほうが楽しそうじゃん。今の生活をしているくらいなら、早く大人になった方がいいのかなと思って」

「それは、あまいね。きっと、大人のほうが辛いことが多いよ」

「やっぱり、そうなのかな……」

「私は、逆かな」

「逆?」

「私は、今の生活がずっと続いて欲しいかな。大人にならず、このまま」

「学生のままってこと?」

「そうだよ」

「今の生活が楽しいから?」

「ん〜。それは、少し違うかも。川沿くんは、今が楽しくないから?」

「城野さんと違って、僕は楽しいと思えるような毎日じゃないから」

「私も毎日が楽しいわけじゃないよ。楽しくない日だってある」

「そうなんだ。城野さんも大変なんだね」

「女の子は、いろいろあるんだよ」


僕は、勘違いしていたのかもしれない。城野に限っては、楽しい日ばかりなのかと思っていた。悩みは、誰にでもある。他人から見たら、なにもかも上手くいっているように見える人だって悩みはある。そんな人に悩みがあるわけないじゃんって思うかもしれないが、それは大きな間違いだ。そんな人だからこその悩みもあるはず。僕には、理解できない悩みがあるんだろう。


ある起業家の本には、人生における最大の無駄は“悩み”だと書いてあったのを思い出した。自分に悩んだり、他人のために悩む時間は、自分の人生を削るもの。貴重な自分時間を、捨てていると言っても過言ではないと。悩んでいたって、しょうがない。行動に移すべきだ。と書いてあったが仕事や恋愛、勉学などの概念では正解なのだろう。


他の人間関係の話になると、どうだろうか。それは、全く異なるものなんじゃないかと考えてしまう。友人や恋人など困っている人に対して、それが言えるのだろうか。悩むことは無駄と言っている人は、それを相手に伝えているのだろうか。相手が納得し、効果が出ているエビデンスがたくさんあるのなら是非言ってみたいものだが。悩みにも、良い悩みと悪い悩みがある。頭から、ずっと離れない状態で毎日不安になったり、落ち着かないようなものは悪い悩みだろう。良い悩みは、悩むことで答えが出たり、前向きな結果に繋がる悩みのこと。


反対に、悩むと幸せになるという本も見たことがある。悩むことで自分の考えに気づくことができ、本音がわかるという。また自分だと思えるものに集中でき、自分らしさが出てくる。相手に使う時間も、幸せになるためには良いらしい。自分に存在価値を与えてくれて、人生の意義を見出してくれる。さらに、自分の時間も豊かにしてくれるのだと。その後も、城野と話をした。悩んでいることは口に出さなかったが、僕が質問をするとしっかり答えてくれる。


「川沿くんは、聞き上手だね」

「そんなこと初めて言われたよ」

「会話が上手なのに、なんで友達がいないの?」

「……。ん?」

「えっ、違うの?」


城野の言葉を聞いた途端、見える限りの世界が静止しているように見えた。目の前をゆっくり流れる川、風で揺れる木、先ほどまで体を動かしていた城野なども。城野の口から出てきた言葉に動揺を隠しきれない。僕は、驚きのあまり固まってしまった。頭の中で、さまざまな考察をする。なぜ、バレている?学校で見られていた?会話の途中で言ってしまったのだろうか?または会話の流れで、そう思われてしまったのだろうか?


「僕、そんなこと言ったっけ……?」

「もしかして、友達いないのかな?って思っただけ笑」

「……。えっと、まぁ当たってるけど」

「やっぱり、そうだったんだ」

「なんか、嘘ついててごめん……」

「謝ることないでしょ」

「友達がいないなんて、ダサいよね」

「別に友達がいないとか、今の環境になじめないとかは決して悪いことじゃないと思うよ。自分のことは、自分で理解しようと思える方が楽にならない?」

「そんなこと考えたことなかったよ」

「安心して。私も、友達はいないから」

「……。いや、それは嘘だね」

「本当だよ」


一瞬、耳を疑った。城野は、包み隠さず堂々と言っている。真剣な面持ちで僕を見ていたため、城野が嘘をついているように見えなかった。しかし、少しだけ信じられない気持ちもある。容姿や性格が良い、城野に限ってそんなことがあるのだろうか。学校で、一人でいるのも全く想像できない。僕を、からかっているだけなのだろうか。段々と、疑問が頭の中で湧き上がってくる。もう一度、僕は「本当に?」と疑いの目で問いかけた。


「本当の本当だよ」

「けど、東京の友達とかは?」

「引っ越してからは、会ってないし連絡も取ってないから」

「そうなんだ……。今の学校での友達も?」

「まぁ、女子は大変だから」

「……。女子は……か」


城野は、僕の母と同じ言葉を言っていた。同じ言葉を聞く限り、女子は本当に大変なんだろう。城野の言っていることは、本当なのかもしれない。でも、少しだけ疑っている自分がいるのも確かだ。今度、学校で城野を見に行こうか考えてしまう。ストーカーみたいに思われるだろうか。もし見にいくなら絶対に城野にバレないようにしなくてはいけない。周りの学生たちに僕と知り合いと思われるのが嫌かもしれないし、城野自身が見られるのを望んでいない可能性もある。考え事をしていると、城野は僕に再び質問をしてきた。


「川沿くんは、友達が欲しいとか思わないの?」

「入学当初は、思ったよ。けど、今はもう無理だよ」

「そんなことないでしょ。これから頑張れば友達ができると思うけど」

「そうかな。城野さんは?」

「私は、もっと大変だから。友達が出来たとしても、長く続かないと思うし」

「途中で、友情関係が壊れちゃうってこと?」

「ん〜。そうかも」

「それは、なにか原因があるの?」

「たぶん、私が悪いかな」

「そうなんだ……。けど、それは僕も一緒かも」

「どうして?」

「友達が出来たとしても、友情関係を維持できるか不安なんだ」

「友情関係の維持かぁ。私には、良いアドバイスが出来ないかも……笑」

「変なこと聞いてごめん。まぁ僕も良いアドバイスが出来るわけじゃないから……」

「謝らないでよ。川沿くんに話を聞いてもらって、ちょっと気持ちが楽になった気がする」

「それは、良かった。けど、僕も同じ気持ちだよ」


本当かどうかは知らないが、少しでも城野の気持ちが和らいだなら良かった。僕も本当のことを言えて、気持ちがスッキリした気がする。思っていることを言葉にすることで、心が楽になるというのは間違いないかもしれない。その後は、友達がいない同士で学校とは関係ない話をした。解散するまでの残り時間、お互いの趣味の話、好きなアーティストの話、好きな本の話など。


話をしていると、空の色は漆を塗ったような暗さに変化していた。僕達は一緒にベンチを立ち上がり、言葉を交わす。城野は「じゃあね」と言い、小さく手を振った。僕も手を振り返し、しばらく歩くと僕の姿が見えなくなるくらいの所で城野は振り向き、もう一度手を振ってくれた。こうやって長い時間を人と話すのは、いつぶりだろう。これまでの寂しい人生の中、少しだけ心が動いた気がした。こういうとき、学校に友達がいれば城野のことを聞けたかもしれない。小さな後悔を抱きながら、僕はベンチをあとにした。

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